第9話 願いが叶う噂話


 ここ最近、俺は学校が終わる瞬間が一番好きだった。

 学校が終われば、家に帰れる。もう教室にいなくても良い。そう思うだけで自分の心が弾むのがわかった。まるで待ち望んだ新作のゲームを買いに行くような、そんな高揚感に心が満たされる。


 学校に居なければ、風宮悠一と美少女達が作り出す日常を見ることもない。高校に入学してから、それが俺にとって至福の瞬間だと気づくのに、大して時間は掛からなかった。


 楓花が風宮と楽しそうに話す光景を見ているだけで、気分が悪くて吐き気がする。そんな光景を見続けて耐えられるメンタルなんて俺にはなかった。

 だから足早に、俺はホームルームが終わったと同時に帰り支度を始める。綺麗に入れるのも面倒になって、適当に教科書をカバンに詰め込む。


 一日の授業が全て終わってホームルームが終われば、すぐに帰る準備をする。そして颯爽と教室を出て行くのが俺の日常だった。

 あまり教室に長居すれば、問答無用に風宮達の見たくもない日常を見せられる。そう思うと自然と帰り支度をする手が速くなっていた。


「もう帰るのか?」

「あぁ、別になにか部活に入ってるわけでもないし……学校に残る必要もないだろ?」


 俺の隣の席から聞こえる啓太の声に雑な返事をしながら、帰り支度を終えた俺はカバンを背負う。


「それもそうか」

「お前も早く帰ってゲームかアニメでも見てろよ。それか最近ハマったソシャゲでもしてろ」

「まるで俺がぼっちみたいな言い方やめてくれませんかね⁉︎」


 あまりにもなにも考えずに話してしまったから、啓太が拗ね始めた。正直、早くこの教室から出たくて構うのも面倒になった。


「それは悪かったな。俺も同じだから安心しろ」

「俺とお前は友達ですらなかったのか……?」

「はいはい。俺達は親友だから拗ねんなって、だから早くお前も帰れ」

「折角今日は一緒にゲーセン行かないかって誘おうと思ったのに」

「そういうことか……悪い。今日はもう予定入ってる」


 そう言って、俺は啓太の誘いを断った。

 昼休みに楓花から連絡があって決まったことだが、今日の夜は彼女の家に行くことになっている。

 なにかあったかと思うかもしれないが、特になにもない。ただ楓花の母親が今日の夕飯は鍋するから良かったら俺も来ないかって誘われただけだ。今日は俺の親達は仕事で遅くなるらしいから、その誘いは俺には願ってもないことだ。飯の準備するの面倒だし。

 それに楓花の家に行けるなら、他の予定なんてどうでも良かった。


「また誘ってくれ。今度は行く」

「なら明日行こうぜ? ちょっと前に出た新作の格ゲーが気になってるんだよ」

「明日か、何も予定なかったら行く」

「あれ? そうならないように今誘ってるんだけど?」

「特別な用事とか入るかもしれないだろ? 保険だよ保険、一応な?」

「なんだよ! 焦らせやがって! 俺と遊びたくないみたいに聞こえたからビビったわ!」

「そんなことないから安心しろ」


 お前より楓花を優先してるだけだ、とは言わないでおこう。とりあえず頭の中で明日の予定に啓太と遊ぶことを入れておくことした。


「じゃあ先に帰るわ」

「おう、また明日な」


 別れの言葉を交わして、俺が席を立つ。

 しかしその時、啓太がなにか思い出したような顔で俺を見ていた。


「そう言えばは見つかったのか?」


 席を立って歩き出した瞬間、そんなことを啓太が言っていた。

 急に意味のわからないことを言い出した啓太に、俺は思わず足を止めていた。


「……なんの話だ?」

「もう忘れたのかよ? なんか最近噂になってる神社の話だよ」

「神社……?」


 啓太の話に思い当たることがなくて、つい俺は眉を寄せた。

 その話がなにか考えて、薄らと少し前にそんな話を聞いたような気がした。

 しかし俺が思い出すよりも先に、啓太は話し始めていた。


「アレだよ。なんか願い事をすると叶う神社があるって話」

「……あぁ、その話か」


 啓太にそう言われて、俺は思い出した。

 確かそれは、俺達の学校で急に流行り出した神社の話だ。

 とある場所にある神社で願い事をすると必ず叶う。よくある学生達の間で流行る恋愛祈願の与太話だ。

 そんな馬鹿馬鹿しい話があったことを、今まで忘れていた。あまりにどうでもよくて。


「あの時のお前、なんか目が血走ってたぞ? お前にも好きな人がいるんだと思って安心したくらいだったのに」


 だけどそんな話に縋ろうとしたんだから、俺もどうかしてたんだろうな。

 少しずつ思い出して、あの日のことを思い出した俺は啓太に鼻で笑っていた。


「俺に好きな人なんていないっての。雑誌の懸賞に当たって欲しかったからだ」

「そこまでして欲しいもんあるか?」

「最新のゲーム機。転売多くて買えないし、それに高い」

「あっ、納得したわ」


 適当に誤魔化せるから啓太は扱いやすくて助かった。

 今度こそ話は終わりだと俺は「じゃあな」と啓太に告げて、教室から出て行くことにした。

 教室から出て行く途中で、彼らの姿が目に入った。


「なぁ、今日ゲーセン行かないか?」

「格ゲーしないなら良いよ」

「ぐっ……なんでこういう時の梨香は鋭いんだよ」

「私もそこまで馬鹿じゃないの。それで? それでも悠一は行きたいの?」

「みんなが行ってくれるなら行きたいな」

「ふーん……別に私は今日バイトないし良いけど、愛菜達は?」

「私も今日は暇だから良いよ。楓花はどう?」

「今日は夜に予定あるから、少しだけなら良いよ」


 聞きたくもない話が聞こえて、うんざりした。

 学校が終わっても、風宮悠一達の日常は続くらしい。楓花がちゃんと夜の予定のことを忘れてなくて良かったと思った。

 まぁ風宮と少しでも距離を縮めるなら、こういう誘いには乗らないと駄目だろう。楓花が誘いに応じるのも当然だった。

 というか、今日はゲーセンに行かなくて良かった。もし行ってたら鉢合わせになったかもしれない。


「……本当、運が良い」


 彼らの話に、思わずそう呟いた。

 学校以外で楓花が風宮と距離を縮める場面を見るなんて御免だ。なにが悲しくて、学校の外でも好きな人が他の男と仲良くする光景を見ないといけないんだか。


 楽しそうに話しながら帰り支度をする楓花達の後ろを通り過ぎて、俺は教室を出て行く。

 その時、偶然楓花と目が合った。俺を見た途端、彼女の手が小さく振られているのを見て、俺も小さく頷く。

 教室で影の薄い俺でも、彼女は見ている。そう思うと、不思議と嬉しかった。


 やっぱり彼女が好きなんだなと思ってしまう。


 そんな彼女が風宮に取られると思うだけで、また吐きそうになった。

 もし神様にでも願ったら、楓花の好きな人が俺に変わることなんてあるんだろうか?

 恋愛祈願の神社、そんなものがあるわけない。神社がある場所に行っても、そこに存在しない神社なんてあるわけないんだから。


 その場所に行けば――その神社はんだから、噂話なんて所詮はそんなものだ。


 あの日、噂話に縋って神社を探した時のことを思い出して、俺は小さな溜息を漏らした。

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