最終章 毛むくじゃらな犬をめぐる冒険3

1. 崑崙丘の陸吾のはなし



 俺は森で生まれた。俺はいつも母のあとをついて回っていた。豊かな毛並みのしま模様の獣で、尾は九つあった。母は森の中で木の実が落ちている場所を知っていたし、鹿や鳥などの小さな獣を狩る術にも長けていた。母と俺には獲物を仕留めるするどい爪と牙があり、厚い毛皮に守られた身体を傷つけられるものは、なにもいなかった。母のそばで俺は安心しきっていた。寒い夜も、洞窟の奥で身を寄せ合い眠った。暖かく、幸せだった。

 母は常々、俺に「人間を甘く見てはいけません」と言っていた。

 俺も人間は知っていた。森に迷い込んできたのを、何度か見たことがあった。二足で歩き、空いた手で器用に道具を使うのは珍しかったが、小さく、足も遅く、力もない。身体には毛皮もなく貧相で、なんとも弱々しい生き物だった。母はなにを言っているのだろうと、俺は思った。あんなのは、すこしも怖くはない。

「人間は、恐ろしい生き物ですよ。シロアリとて弱く小さな生き物ですが、群れになると森の巨木すら朽ち果てさせます。私たちにはできぬことです。ゆめゆめ、油断してはなりません」

 母の忠告を忘れたわけではなかった。しかし結局のところ、俺は母が言っていたことの本当の意味を理解してはいなかった。

 ある日、俺が森の外れでひとりでいると、こちらに人間が近づいてくるのが見えた。俺はたぶん、すぐに母に知らせにいくべきだった。でも、見たところ人間の数は少なかった。群れれば恐ろしいとはいっても、あの程度なら数のうちにもならない。

 森は俺たちの縄張りだった。そこに分け入ろうなど、生意気だ。ちょっと追い払ってやろうと、俺は人間を追いかけた。人間たちはすぐに逃げ出した。

 次の瞬間、俺の身体はぽんと跳ねた。網にからめとられ、木の枝からぶら下がっていた。

 檻に入れられた俺の周りを、人間たちが取り囲んでいた。

「いったい、この獣はなんだ?」

りくというこんろん丘の神獣で、西方の蛮族が捕らえたものです」

 人間たちは俺に水と肉をくれた。狭い檻に閉じ込められているのは気に食わなかったが、腹は減っていなかったし暖かかったので、俺はうなるのをやめた。

「頭がよく、なつきます。都に知らせましたところ、みかどに献上することになりました」

 俺は檻ごと荷車に積まれ、何日も何日も揺られた。やがて、首輪に鎖をつけてのことだったが、檻の外に出された。俺は立派な身なりの男に引き合わされた。

「朕は帝じゃ。分かるか? 獣」

 帝というのは、人間で一番えらいやつのことだ。それくらいのことは、俺だって知っていた。分かるか? と訊かれたので、俺は頷いた。

「なるほど、こいつは頭が良い。人語を解しておるのか」

 帝は俺を気に入った。俺は帝に飼われることになった。帝は俺を宴会の場に連れ出した。うまい肉や、森にはない珍しい果物をたくさん食った。森は恋しかったが、ここも悪くない場所だと思った。宮殿の中庭に放され、帝が投げる木の棒を追いかけたり、池の魚や小鳥をつっついて過ごした。

 あるとき、帝が「こっちにこい」と、俺を呼んだ。俺は素直に帝に付き従った。帝はあらためて「本当にお前は、頭がいいな」と感心した。

 帝は俺を大きな建物の中に導いた。嗅いだことのない、鼻をつくいやな臭いがした。建物の中には、さまざまな獣のむくろが並んでいた。帝が傍らの巨大な獣の骸を指差し、言った。

「これはきゅうだ。邽山に潜んでおった霊獣で、人間を食らいおる。そっちはとうてつで、こいつももちろん人を食うが、人に限らずなんでも食う」

 獣たちは死んでいるのに四肢で立ち、まばたきをしない瞳はぎょろりと前を見据えていた。

「内臓を抜き、腐らぬよう特別な処理をしておる。そして、その奥にいるやつだがな」

 俺はそれを見た。

 全身から力が抜けた。

「西の果て、崑崙丘の麓に人を食う獣がおってな。それまではひっそりと森に潜んでおったのだが、急に人里に出ては、あたりかまわず荒らし回るようになった。あたりの住民は畑を放り出して逃げ出す始末でな。都から兵隊を送ったが、めっぽう頭がよく、どうにも捕まらん。最終的には、この獣一匹のために兵が千も死ぬ大騒ぎよ。それだけの被害を出してようよう捕まえたという獣、どれほどの猛獣かと思えば、お前と同じ九尾ではないか。どうじゃ? お前と同じ種類の獣だろう?」

 母だった。母の骸が四足で立ち、ぎょろりと虚空を見つめていた。豊かな毛並みはそのままだったが、艶を失いごわごわとしていた。

「同じ獣といっても、やはり幼いときに人間に慣らされたお前とちがって、成獣はどうにもならん。しかし、どんな珍しい獣も死んでしまえば、飾るくらいしかないからな。つまらん。次はこんとんの幼獣でもほしいものよ」

 母は俺を探していたのだろう。俺を探し、森を出て人里をめぐり、人に追われて、殺された。

 俺のせいだ。母は警告してくれていたのに。俺が阿呆だったせいで、母は死んだ。

 俺の内部で、憎悪の炎は一瞬にして拡がった。

 許さんぞ、人間ども。

 俺は即座に帝を食い殺し、建物を飛び出して、駆けつけた兵士を食い殺し、向かってくるのも逃げるのも、目につく人間は全員、食い殺した。人間の剣や槍が俺の毛皮を刺し貫き、やがて俺の肉体は殺されたが、それでも俺は人間を食い殺し続けた。身体を捨て、純粋な憎悪の塊となって、内側から人間を食い破った。

 都は火に包まれ、怒れる民衆が宮殿を取り囲んでいた。鎖に繋がれた皇子や皇族たちが引き回され、広場で順番に首をねられた。母を殺した者たちは一族郎党残さずすべて食い殺してやったが、それでもまだ俺の怒りは収まらず、人間と見れば見境なく殺し続けた。

 もはや俺は俺ですらなく、ひとつの想念であり、概念だった。見境なくすべてを呑み込み、粉々に粉砕する、回転する巨大なるつぼだった。俺は俺自身が想念の渦でありながら、同時に、時間の認識も空間の把握もなく、広大な虚無の中心で翻弄されるだけの、何者でもない客体だった。四肢が引きちぎれ、全身が粉々に砕けながら、無限に拡散していくようだった。

「村上くん」

 冷えと孤独の宇宙の中心で、誰かが俺の名を呼んだ。



 ☟



 誰かに呼ばれた気がして、俺は腕のあいだに埋めていた顔を上げ、振り向いた。

 綺麗な顔をした女の子がいた。目が大きく顎が鋭角で、全体的にかわいい系の造作だが、太くてキリリとした眉が精悍な印象も与えていた。

 雨が降っている。

 高校の教室だ。窓の外の景色は四階からのもので、俺は自分がまだ高校一年生だと分かった。俺たちの高校では一年が一番上の教室で、学年が上がるごとに階が下がるルールだった。昇り降りが大変な上層ほど、下っ端が使うことになっていたのだ。

 女の子の口がパクパクと動いたので、俺はイヤホンを外した。

「村上くん」

 女の子がもう一度、言った。

 俺――俺は。

 けっこうガチ寝していたようで、夢を見ていたらしい俺はすこし混乱していて、咄嗟に自分が誰かも分からないくらいだった。

 とてつもなく長く、混沌とした夢だった。砕けた手足が、まだ痺れていた。

「あれ? 村上くん、だよね?」

 そう、俺は村上――

 村上真尋だ。

 雨が降っている。

 俺は高校一年生で、今は放課後で、窓の外では雨がしとしとと降り続いている。学校の小さく硬い椅子と机で、突っ伏してガチ寝していたせいで、手足が痺れてしまっている。身体は、砕けてはいない。

 俺は村上真尋だ。

 で、この子は同じクラスの、わりと人気者てきなポジションで、名前はたしか――

「怜奈」

 俺は言った。女の子はちょっとびっくりしたみたいに目を丸くして、それから笑った。

「あれ? 違ったっけ」

 俺が訊くと、女の子は首を横に振った。顎のラインで切り揃えられた髪が、控えめに揺れた。

「ううん。怜奈なんだけど。でも、いきなり下の名前で呼ばれるのは、ちょっとびっくりしちゃった」

「ああ、悪い」

 俺は言った。たしかに、距離感を間違えた感がある。クラスメイトなんだから当然、お互いに顔くらいは知っているが、こうして面と向かって話すのはこれが初めてのはずだ。

「みんなが怜奈って呼んでるのは知ってたけど、名字は覚えてなかったから。えっと、なんだっけ? 名字」

「怜奈でいいよ」

「そうか」言って、俺は上半身を起こし、背伸びをした。「で、どうした? 怜奈」

「別になんでもないんだけど」怜奈が言った。「教室に残ってるの、村上くんだけだから。村上くんも傘を忘れたのかなと思って」

「あ、なに? 怜奈、傘を忘れたのか」

 俺は鞄をあさり、折り畳み傘を取り出して「はい」と、怜奈に差し出した。

「あれ? 傘あったんだ」

 怜奈は不思議なものでも見るみたいに、ジッと折り畳み傘を見つめた。

「あるけど、傘ってあんま好きじゃないんだよ。なんか、しゃらくさくて」俺は言った。「傘さしたところで、結局ふくらはぎとかはびちょびちょになるしさ。靴も濡れるし。防げるのって上半身くらいだろ? だったらもう別に濡れてもよくね? みたいな感じがして」

「なるほどね?」怜奈が頷いた。「まあ、言ってることは分からないこともないよ」

「小学生のころはカッパと長靴で通してたんだけどな。黄色の、すごく目立つやつで。でも中学生くらいで、さすがにそれはちょっと恥ずかしいということが、おぼろげながらなんとなく理解できたから。以降は基本的に、雨のときは外に出ないか、走って突っ切るかしてる」

「でも、折り畳み傘は持ってるんだ?」

「母ちゃんに入れられたんだよ。ずっと、入れっぱなしになってた。使ったことないから新品だし、きれいだよ」

 俺はもう一度、怜奈に折り畳み傘を差し出した。

「使っていいよ。俺はどうせ、傘あっても使わないし。怜奈は傘があれば早く帰れるだろ? 俺はべつに、急ぐ用事があるわけでもないし。雨がやんでから帰るから」

「ありがとう」

 折り畳み傘を受け取って、怜奈が言った。

「じゃ、気をつけてな」

 そう言って、俺は窓の外に目を向け、イヤホンを耳に戻した。

 そのイヤホンを、怜奈の手が引っこ抜いた。

 見ると、前の座席に怜奈が横向きに座っていた。

「やっぱいいや」怜奈が笑った。「わたしもべつに、急ぐ用事があるわけでもないし。雨がやんでから、帰ることにする」

「そうか」

「雨上がりを待つのだって、ひとりよりは、ふたりでのほうがいいでしょう?」

 それは相手に依るのでは? とは思ったが、べつに怜奈の存在は不愉快ではなかったので、俺は余計なことは言わずに、ただ「そうだな」と、頷いた。



 ☟



 俺は、そう。

 村上真尋だ。

 崑崙丘の陸吾ではない。

 この憎悪の炎も、孤独も寒さも、俺のものではない。

 俺は、俺だ。

 孤独じゃない。

 お前の孤独に、取り込まれてはいない。

 俺は俺として、憎悪に満ちた陸吾の記憶を見る。 



 ☟



 そのうち、陸吾はもっと効率よく人間を殺す方法を見出した。

 権力を与えればいいのだ。権力を得た人間は、非常に効率よく人間を殺す。それは、人間という存在に原初より埋め込まれた本能のように見えた。

 陸吾は女に憑りつき、あらゆる権力を帝に集中させた。ただ権力を与えるだけで、帝は別の王に攻め滅ぼされるまで、非常に効率よく人間を集め、苦しめ、殺してくれた。

 憎悪に満ちた民衆による革命のさなかに、陸吾の肉体もまた殺されたが、陸吾はただその肉体を捨て、さらに人間の身体を次々に渡り、たぶらかし、操り、権力を与え、虐殺をまき散らした。

 大陸に飽きると、陸吾は船に乗って海を渡り、別の国でも帝に権力を与え、効率よく人間を殺し回った。陸吾の正体を見抜いた術師の妖術で力を封じられたあとも、石になって毒を振り撒き人間を殺した。どこかの坊主に砕かれて各地に飛び散ってなお、人に憑りついては食い殺し続けた。

 陸吾に憑かれた女は、どうにか陸吾を祓おうと各地を彷徨さまよっていた。山伏に頼り、霊媒師に頼り、果ては西洋のきりたんの悪魔祓いにまで頼ったが、陸吾はそのすべてを食い殺した。

 何千年の時が過ぎたのかも分からなかったが、陸吾を支配する憤怒の炎は、まだ激しく燃え盛っていた。陸吾はすべての人間を憎み、食い殺そうとしていた。ただただ、怒り続けていた。

 そこにふらりと、男が現れた。

「こいつはまた、とんでもない気配がしているな」男が言った。

 陸吾の肉体は消え失せて久しいが、陸吾の、本来の姿を見ることができる人間もたまにはいた。この数千年のあいだに何人もいて、そう珍しいことではなかったが、そのすべてがすぐに死んだ。見えていようと見えていまいと、陸吾はただ食い殺すだけだ。関係ない。

「汚らわしい人間め。我が苦しみと憎しみを知るがいい」

 陸吾が食い殺そうとすると、男は「憎しみ?」と、首を傾げた。「いや、俺にはあんたが、悲しんでいるように見えるぜ。悲しみを憎しみでおおい隠しちゃいけねぇよ。悲しいのなら、まず悲しむんだ。それからでないと次にいけない」

 変わった男だった。陸吾はほんのすこしだけ、その男に興味を抱いた。

 陸吾は男に憑りついた。もちろん食い殺してやるつもりだったが、この男だけはどうにも死ななかった。激しく燃え盛る陸吾の憎悪の炎にあてられても、気が狂うこともなく、正気を保ち続けた。

 陸吾は男と共に、いろんな場所にいき、多くの物事を見た。陸吾がなにもせずとも、人間たちは互いに愚かで、憎しみあい、殺し合っていた。

ほうだろ? 人間ってのは、どいつもこいつも。救いがたい阿呆ばっかりだ」男が言った。「最初は誰だってそうだ。憎むんだよ、相手を邪悪な存在だと仮定して。でもそのうち、それが自分の願望に過ぎなかったと気付く。憎む相手が邪悪であってほしいってのはただの願望で、直視すれば現実はもっと救いがたい。邪悪なんじゃなくて、たんに阿呆なんだ。この世というのは阿呆と阿呆が、自分がなにをしているのか、なにに加担しているのかも分からぬまま、馬鹿みたいに踊り狂っているだけの、阿呆のディスコクラブよ」

「阿呆であるのは、憎むべきことじゃ」

 陸吾が言うと、男も頷いた。

「そうだ。阿呆ってのは、それだけで罪だ。憎らしいな。阿呆を治すにゃ、賢くなるしかねぇ。みんなが賢くなる以外に、この世を救う方法はねぇんだ。でも、どうすりゃそんなことができる? 俺には分からねぇ。ただちにゃ無理だってことだけは分かる。どうしたって時間が掛かる。今生じゃあ、もうどうしようもねぇなぁ。まあでも、どうしようもねぇなら、一緒に踊るしかねぇわ。せめてすこしでも上手に踊るしかねぇじゃねぇか」

「阿呆じゃな、お前も」

「そうだ。悲しいもんだろう? 阿呆ってのは」

 男の言うとおりだった。

 長らく陸吾を支配していた、とてつもなく巨大な怨念の渦は長い年月の末、すっかり擦り切れて既に去り、あとにはただ、深い悲しみだけがあった。



 ☟



 夜明け前の海岸で、男が言った。

「どうやら、俺はもうくよ」

 逞しかった男の身体はすっかりやせ細り、苦しそうな呼吸をしていた。男は以前よりもずいぶんと小さく、軽くなってしまっていた。

「お前も、もういいのか?」

 男の質問に、陸吾は「ああ」と、頷いた。

「長いこんじょうじゃったが、わしもりんかえるとしよう」

 海のほうから風が吹いていた。ふっと身体が軽くなり、浮き上がった気がした。横を見ると、男もすでに身体を捨て去り、表情から苦しさが消えていた。全身に力がみなぎるようで、どこまでもけていけそうな気がした。母と共に自由に森を駆け回っていた頃のことを思い出し、嬉しくなった。

 よし、いこう。男が言った。

 うむ。陸吾は頷いた。

 ああ、このまま自分も風に紛れて消えるのだな。


 母さん――。


 そう思った次の瞬間、陸吾の意識はぐんっと後ろに引っ張られた。



 ☟



「わしは、置いていかれてしもうた」

 どことも知れない暗闇で、オサキが言った。オサキ? いや、陸吾だろうか。

「オサキで構わん。いまのわしに、その名は大層すぎる」

 なにも見えなかったが、オサキが俺の足元にいるのは分かった。俺の足元で、顔を俯けて三角座りをしていた。もじゃもじゃの髪の毛に覆われて、丸い毛むくじゃらのかたまりみたいだった。

「お前も、先生と一緒にいくつもりだったんだな」

 俺は言った。

 俺はオサキで、オサキは俺だったから、そのときにオサキが感じた心細さを、俺は俺のこととして感じていた。とても悲しかった。

「一番最初に、網の罠に捕らえられたときと一緒じゃ。何千年っても、わしはなんにも成長しておらん。九鬼のことはしっかり警戒しておったが、しかししょせんは人間とあなどっておった。人間をみくびったために、また罠にはまったんじゃ」

 オサキは悔しそうに言った。オサキは小さくか弱い存在で、誰かが守ってやらなきゃならないと、俺は思った。

「気がついたら仁子の身体に入れられておった。オサキモチの血筋の娘っ子じゃ。あやつ、自ら憑きものを背負うこともせず、わしを利用しようとしておる」

「あいつがお前を手に入れたら、どういうことになるんだ?」

 俺は訊いた。

「あいつは自らの王国を作ろうとしておる。アショカ王や帝辛のような、古典的な巨大な中央集権機構じゃ。紀一郎のつくった開けたネットワークもすでに、あやつの手によってせんな権力組織に成り下がっておる。やつは影から世界を支配するつもりじゃ」

 オサキの声には憎しみがにじんでいたが、それはあまりにも弱々しかった。悲しみを覆い隠せるほどには、もう、燃え盛ってはいなかった。

「そいつはまた、誇大妄想じみた話だな」

「この世界が気に入らんから、時間を巻き戻すつもりなんじゃろう。単一の王による統制ある支配を取り戻すつもりじゃ。紀一郎なき今、やつはかつ神輿みこしを用意しようとしておる」

「なんか、話がデカすぎていまいち実感がわかねぇなぁ」俺は言う。俺にとって世界っていうのは、俺の知らないどこかの誰かが勝手に回しているもんで、その誰かが誰に変わったところで、別になにも変わらないって感じもする。「それで、お前はどうするつもりなんだ? これから」

「どうしようもない」オサキは首を横に振った。「わしはもう今生には飽いておる。すっかりと擦り切れてもうたとはいえ、存在しておる以上は、わしはこの自らの憎悪の念からは逃れられんし、人間の愚かさも変わりはせん」

「それはまあ、そうかもな」

「わしらがいの獣がいようといまいと、人間は自分たちがなにをしているのか、なにに加担しているのかも自覚せぬまま、お互いに憎しみあい、殺し合いを続けておる。世界は阿呆と阿呆が踊り狂う阿呆のディスコクラブじゃ。誰がなにをどうしようと、なにも変わらん。狂乱のあとに、悲しさが残るだけじゃ。わしの望みはもはやこの世界から消え去ることのみじゃが、誰もわしを祓うことはできんし、わしは、自ら消えることもできん」

 これからオサキは、またいろんな人間の身体を渡り歩きながら、災厄をまき散らすことになるんだろうか。もとはといえばオサキが始めたことではあったけど、しかし、もうすでにオサキ自身はそれを望んではいないのだ。だが、呪いはそれじたいで自走する。止めたくても、止まらない。

「長く生きすぎると、死ぬのもそう簡単ではない。わしは自動的なんじゃ。わしが望もうと望むまいと、起こり得ることはすべて起こってしまう。わずかでも可能性が存在する限り、わしは生き延びてしまう。わしをこの世界から消し去るには、あらゆる可能性を完全に断ち切るよりほかない」


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