6. 急にボールがきたので



「え~っと、だから。ここからはほとんどが俺の憶測になるんだけどさ」と、親父は言った。「あ、ていうかお前。俺がむかし書いた本、読んだことあったっけか? まだ家にたんまり残ってたと思うんだが」

「きのう読んだところだよ」と、俺は答えた。「最初のほうを、ざっと流し読みしただけだけど」

「あそう。ざっとか」と、親父はやや腑に落ちてなさそうな顔を見せた。「まあ、ざっとでもいいか。それなら、だいぶ話は早い。王塚紀一郎がオサキモチだったってのは、把握してんだろ?」

「ああ」

 俺は頷いた。正確には、親父が『ラッキー続きの王塚紀一郎は実はオサキモチだったのだ』というれた主張をしているのを把握しているという意味で、それをすなわち事実と認めているわけでは全くないのだが、むやみに話を厳密にしてもなかなか先に進まない。ざっとでいこう。

「オサキってのは、今でこそ関東の一部の、いわゆる『憑きもの筋』の一系統と理解されているが、もとを辿たどればそんななまはんなもんじゃねぇ。クダやらヤコやらイズナやらの人間が使えきする雑霊とは、根本的に格が違う。オサキになる前はせっしょうせきだったし、その前はたまものまえだった。そんでもって、玉藻前は日本にわたってくる前は中国で西せいしゅうほうだったと言われているし、その前はいんだっだ。何千年と人に憑き、世を乱し続けてきた九尾の大妖怪なんだよ」

「ほお」と、俺は生返事をする。俺も妲己くらいは(藤崎竜版封神演義で)知っているが、そんな大御所を引っ張り出されても、たんに親父の与太話のスケールがデカくなっただけのことで、根本的に与太話だ。

「王塚紀一郎は生涯を独身で通した。子供はひとりもいない。オサキは家に憑くからな。子供がいたら、次はその子に憑く。たぶん――」と、親父は人差し指を自分のおでこに当てる。「王塚紀一郎は、オサキを憑けたまま、オサキもろとも死ぬつもりだったんだろう。引き受けた以上は、それが自分の責任だって考えたんだろうな。子孫は作らず、王塚の家は自分の代で途絶えさせる。そうすることで、少なくとも殷代から延々と続く、オサキの怨念の鎖を断ち切ろうとしていた」

「たしかに、思い当たるところはございますね」と、茂木さんが頷いた。「先生が結婚もせず、子を残すつもりもないというのは、わりと有名な話でしたが、その理由を先生は一切、仰っておりませんでした。敢えて子を残さないというのは、先生の思想とは大きく矛盾するところではありまして、私も常々、不思議には思っておったのです。それに、最晩年はあらゆる人を遠ざけて孤独に過ごしておられました。最期は行き先も告げずに姿をくらませまして。お歳がお歳でしたので、認知症によるはいかいかとも疑われたようです。しかし、誓って言いますが、先生は最期の最期まで、明晰さを保っておられました。ご遺体は、南房総の海辺で発見されたと聞いております」

「えっと」と、親父が『この人誰だっけ?』てきに首を傾げていたので、俺は「茂木さんは、何十年も王塚紀一郎の運転手をやってたんだよ」と、説明した。

「ああ、なるほど。それはまた、縁のあることで」と、親父が言う。「やっぱり、王塚紀一郎……先生は、オサキが誰かに乗り移る可能性を、絶とうとしていたんでしょうね」

「だけど、それを望まないやつがいた」俺は言った。

「九鬼さんだね」と、ヒナが頷いた。

「九鬼さんっていうのは?」

 親父の質問に、茂木さんが答えた。

「先生の、秘書みたいなことをしていた男です。今は先生になりかわって、さら殿どのをやっております」

「なるほど。王塚紀一郎が途絶えさせようとしたものを、勝手に引き継いでいると。そいつが今回の黒幕だな」親父が自分の膝をペチンと打つ。「それで仁子が利用された。オサキは誰にでも憑くってわけじゃあないが、仁子なら文句なしの正真正銘、オサキモチの血筋の末裔だ。もともとオサキは、仁子のひぃばぁちゃんであるヒデちゃんに憑いてたんだからな。そいつがどうやって仁子を見つけ出し、手中に収めたんだかは分からないが。闇の組織っつっても、まさか、この現代日本で児童誘拐ってわけにもいかんだろうし」

「まあ、九鬼さんがこうしたいって思ったことは、誰かがどうにかして、そうなるようにするみたいだしな」俺は言った。なにをどうしたのか、具体的な手段は分からないが、九鬼さんはどうにかしてオサキモチの血筋である清子さんと仁子ちゃんを見つけ出し、オサキを入れる入れ物として、仁子ちゃんを使った。

「まあ、そういうことだな。どうやったのかは、どうでもいい。どうにかしたんだ。どうにかして仁子の存在を知り、見つけだして、清子ちゃんとなんらかの交渉をするかして仁子を手中にし、王塚先生に近づけ、オサキを乗り移らせた」

「でも、なんでまたそんな面倒なことを?」と、ヒナが首をひねった。「先生だって、ヒデちゃんからオサキをヒョイと貰っていったんでしょ? オサキがほしいなら、仁子ちゃんを挟まなくても、自分で貰えばいいだけじゃないの?」

「そこが、そいつのそくなとこさ」と、親父は顔をしかめる。「もちろん、まずオサキは誰にだってくっつくわけじゃねぇってのがある。王塚紀一郎がオサキをヒョイと持っていったのは、たぶんたまたまだ。偶然にも、王塚はその適性を持っていた。誰でもいいってわけじゃない。でも仮に適性があったとしても、そいつは自分にオサキを憑けはしないだろうな。オサキモチの家は栄えるが、オサキモチ個人には様々なデメリットがある。体調も悪くなるし、昼といわず夜といわず幻覚も見る。だよな? ヒデちゃん」

 親父に訊かれて、ヒデちゃんが頷く。

「もう何十年と前のことになるが、今でもヒデちゃんはオサキが恐ろしい。あの頃は毎晩悪夢にうなされて、一晩が十年にも百年にも感じられたんだ。あれに比べれば、オサキが去った後の何十年なんか、ほんとあっという間の出来事よ。いろいろあったけど、十分、平穏無事だったな」

 ヒデちゃんが突然の孫の出産なんかにもまったく動じないのは、ひょっとするとその経験あってのことなのかもしれない。あれに比べればぜんぶ些細なことだ、みたいな感覚なのだろうか。

「王塚紀一郎が百五歳まで生きたのは、オサキの見せる憎悪の渦のような幻覚にも耐え続ける、驚異的な精神力があってのことだ。常人に真似できるようなことじゃない。だから、そいつは自分以外の誰かにオサキをくっつけて、自分はその脇で、その恩恵だけを受けようと画策した」

「なるほど」と、ヒナも納得する。「それはまぁ、ずいぶんと姑息なことだね」

「やはり先生は、九鬼さんのような得体の知れない人まで傍に置くべきではなかったのです」

 あまり感情を表に出さない茂木さんが、珍しく沈痛な面持ちになっていた。

「王塚先生は器がデカかったぶん、そういう、自分のおこぼれにあずかろうみたいな、ケチな考えの連中でさえも、ちゃんと抱え込んでいましたからね」と、親父が茂木さんに言う。「なんというか、下心や裏があろうが関係なく、ありとあらゆる人間を救わねばならないと考えていた節がある」

「ええ、ええ。たしかに、その通りです」茂木さんが頷く。

「オサキモチになると、早い話がウルトララッキー状態になる。むかし、ジャンプの漫画でラッキーマンってのがいたんだが、真尋は知らないか? まあ、あんな感じだ。物理的に、時空間的に、絶対に起こり得ないことまでは起こせないが、それが起こり得ることでさえあれば、どんなことでも起こる。奇跡は起きないが、奇跡的なことが何度も起きる。オサキを相手にするならば、あらゆる偶然を警戒しなきゃいけない。だから、仁子は木箱に詰められてたんじゃねぇかな? 九鬼さんってのは仁子を利用しようとしてたわけだが、仁子はウルトララッキー状態になっちまってる。仁子が……というか、仁子についてるオサキが九鬼さんに使われるのをよしとせず、逃げ出そうと考えたとしたら、どんな偶然が起こるか分からない。だから、あらゆる可能性を完全に断つために、仁子は木箱に入れられた。普通は木箱に詰められたら、内側からじゃなにもできないだろ? どんな偶然も、起こり得ないと思うだろ? だけど、それでもまだ完璧じゃなかったんだ。起こり得ることは、起きた」

「箱の内側からはなにもできなくても、外側で、箱じたいが取り違えられた」俺は言った。

「それで、間違えて送られてきた先が、俺の事務所だったってわけだ」親父が言った。

 たまたま、仁子ちゃんが詰められた木箱が取り違えられ、たまたま送られた先が、会ったこともなかった実の父親の元だったっていうんだから、それはたしかに、ウルトララッキー状態だ。

「で、俺だ。相手はちょっとヤバいやつだ。とにかく、一刻も早く、仁子を連れてどこかに逃げなきゃならない。そういうわけでヴィジャイを頼っていって」

 親父はむかし、たまたま、イランで精神を病んだインド系アメリカ人の技術者のヴィジャイを助けたことがあった。ヴィジャイはたまたま、本気でCIAに怯えていたので、CIAの追跡でさえも振り切れるように、店の地下に秘密のトンネルを掘っていた。

 ここまでくると、たしかに『たまたま』にしては、話ができすぎだ。親父の主張するとおり、なんらかの超常的存在を仮定しないと説明不可能な領域かもしれない。いよいよ、そういうオカルトな存在も現実のこととして受け入れるしかないのかもしれない。

「ヴィジャイのトンネルから桃園川の暗渠に抜けて、末広橋から新宿のざっとうまぎれた。ほんで、ヒデちゃんならよ。仁子の実のひぃばあちゃんなんだから、かくまってくれるだろうと思って、ここまでやってきたわけよ」

 やっと話が繋がった。



 ☟



「そんで、親父はこれからどうするんだよ?」

 俺が訊くと、親父は「どうしようかな~、でも実際、困っちゃうよなぁ~」と、頭をいた。「だってさ。仁子はたぶん、俺の実の娘なんだ。存在すら、まったく知らなかったけどさ。お前にとっちゃ、腹違いの妹だ。そんな子をさ、見捨てられないだろ?」

「オサキは、どうやってもはらえなんだ」とヒデちゃんが言う。「山伏も祈祷師も、坊主も宮司も、あれを祓おうとした者はみんな死んだ。ただひとり、王塚先生だけがアレをもっていくことができた。でも、それにしたって持っていっただけで、祓えたわけではね」

「オサキがつくと、最終的には気が狂って死んじまう。仁子も、今はだいぶ落ち着いてるが、ここに来てすぐはえらい高熱を出して寝込んでいたんだ」

 仁子ちゃんは相変わらず、一定の距離を保ったままカサカサと畳のうえをいまわっていて、いま見る限りでは元気そうではある。

「だからさぁ、まあ、俺が引き受けるしかないのかなぁって思ってるんだけど」しばらくウンウンと唸ったあとで、親父は言った。「仁子のオサキを俺に移して、ほんでもって、その九鬼さん? っていうのには、俺がオサキモチになりましたんでよろしくってことで、なんとかしてもらうしかねぇんじゃないかなぁ」

「でも、それだと結局、親父の気が狂って死んじまうんだろ?」

 俺が訊くと、親父は微妙な半笑いを見せた。なんの感情を表現しているのかは、よく分からない。

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないだろ? 王塚紀一郎は正気のままで、百五歳まで生きてたんだし」

「でも、話を聞く限りじゃ王塚紀一郎っていうのは、伝説の大海賊王みたいな人だぜ? 伝説の大海賊王が平気だったからって、親父も平気ってことにはならないだろ」

 ていうかたぶん、親父みたいなヒョロンとした頼りないオッサンは、一瞬で狂い死にするんじゃないだろうか。それはそれで、困った話だ。いや、俺は大して困らんが、そうなると、たぶん母ちゃんが本格的にアル中になってしまう。

「そこは父ちゃんならきっと大丈夫だよってはげましてくれよ~」

 親父はそう言って、なんか本当にちょっと泣いてしまった。いやまぁ、本気で狂い死にすると信じているなら、そりゃビビりもするだろうが。

「でもさ、なんか話聞いてると、今回の件はともくんだって、結局のところは巻き込まれただけじゃん?」と、ヒナが言う。「別になんのとががあるってわけでもないのに、そんな生きるだの死ぬだの、何千年の因縁に決着をつけるだのの話になるのも、おかしな話じゃない?」

「それもそう。まったく、その通りなんだけどさ」親父が今度はバンバンと自分の膝を叩く。情緒不安定だ。「でも、人生にはときどきこういうのがあるんだよ。なんの関係もないのに、不意にポンとボールが回ってきちゃうみたいなのがさ。それはでも、持ち回りみたいなもんだから、誰かがやらないと。ゴネたってどうにもならないんだ。急にボールがきちゃった以上は、もう仕方ないの。俺はそれをキャッチして、まあ、あれだ。果たすべき役割を果たさないと」

 どういても親父につきまとう軽薄な雰囲気のせいで、いまいち実感がわかないのだが、これは今ひょっとして、親父が実の娘のために勇気を出して命懸けで戦いに挑もうとしている、みたいな場面なんだろうか?

 ひょっとすると、俺はこの馬鹿げたとんきょうな物語を、もうちょっと真面目に真剣に受け止めるべきなんだろうか?

 でもなんか、雰囲気にされてシリアスになってしまったら負けみたいな気もする。ああ、また親父がなんか与太話に首を突っ込んでるなって、軽く受け流すほうが正解のような直感もある。

 なんとなく、誰も彼もが黙り込んでしまった。気がつくと日はすっかり傾いていて、部屋の中は薄暗く、どんよりとした雰囲気が漂っていた。

 ヒデちゃんが立ち上がり、ぶら下がった紐を引いて照明をつけた。蛍光灯の光よ、あれ。預言者の奇跡のように、部屋が明るくなった。

「山道は暗くなると危ないで、あんたら今日はここに泊まっていきなさい。どれ、ヒデちゃんが天ぷらでもしてやろう」

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