5. そんでその毛むくじゃらな犬っていうのが――



 ギリギリ車が一台通れるだけの太田部橋を、タウンエースでトコトコと渡る。橋を支えているケーブルは見るからに細く頼りなく、両サイドの欄干はびっくりするほど低くて、ちょっとハンドル操作を誤ったら普通に下まで転落してしまいそうだったし、おまけにけっこう揺れていた。ハンドルを握る茂木さんは平然としていたが、ヒナが下を覗き込んで「ひゃ~、おっかな!」と、声を上げた。

 橋を渡って左に折れる。ここからはヒデちゃんの家までほとんど一本道だと、おやき屋のおばちゃんが言っていた。

 ぐねぐねと曲がった林道が続く。いちおう真ん中にセンターラインがあるのだが、どう考えても自動車二台が離合するにはやや厳しいくらいの道幅しかない。ひょっとすると、両サイドが土砂で浸食されてしまっているのかもしれない。

 途中からセンターラインも消え、ギリギリ車一台ぶんの坂道をゴンゴンと上っていく。タウンエースの河だって渡れる本格的な4WDが頼もしい。最終的にはガードレールさえなくなり、左側はそのまま谷底になっている山道を上ったり下りたり、ぐるっと回ってまた上ったりする。

「おそらく、ここではないでしょうか?」

 そう言って、茂木さんがマジでタウンエースの車幅ギリギリの脇道に入り、危なげなくスイスイと上っていく。

 急に視界が開け、広大な平らかな場所に出た。その奥に、びっくりするぐらい古くて大きな、二階建ての日本家屋がデンと建っていた。素性の良さそうな造りで、民家というよりも古風な旅館みたいな佇まいだった。母屋の他に、蔵や農機具を入れておくガレージみたいなのもあって、ちょっとした学校くらいの規模がある。限界集落の最後の一軒というから、もっと貧相な建物をイメージしていたけれど、そういえばオサキモチの家は幸運に恵まれ繁栄するのだったか。秩父の山奥とはいえ、これが個人の住宅だとすれば、たいそうなお金持ちだったのに違いない。

 軒先で、おばあさんがひとり、屈みこんでなにか作業をしていた。この人が、ヒデちゃんだろう。ヒデちゃんは俺たちの車を見て立ち上がり、怪訝そうな顔をした。俺は車から下りて、笑ってこらえてのスタッフみたいなノリで「こんにちは」と、声を掛けた。

「あの、俺たちは――」「ああ、ともひろさんのせがれかい」

 事情を説明しようとした俺の機先を制するように、ヒデちゃんが言った。

「見れば分かるよ。ものすごく、そっくりだで」

 非常に心外だ。



 ☟



 ヒデちゃんが玄関の戸を開けるまえに、中からガラッと扉が開いて、半笑いの小学生くらいの女の子が顔を出した。腰まであるボリューム感のある黒髪がぼわっと拡がっていた。前髪も長く、半分くらい顔が隠れていて、なんだか毛むくじゃらの印象だ。

 毛むくじゃら?

 ヒデちゃんが「じん、寝てんでいいんか?」と訊くと、女の子は「もう治った~」と返事をして、うっひょっひょっひょ~と、奇妙な笑い声を上げながら奥のほうへとドタドタ走っていった。

まごの仁子じゃ。智尋さんが取り戻して、ここに連れてきてくれた」ヒデちゃんが言った。

「お邪魔します」俺たちが玄関で靴を脱いでいると、奥の和室から親父が顔を出し「おお、真尋。久しぶりだな」と、言った。なんだか、ぜんぜん劇的じゃない、アンチクライマックス的な再会だった。

「久しぶりだな、じゃねぇんだよ」

 俺が言うと、さっきの女の子(仁子ちゃん?)が親父のかげから顔を出し「だれ~?」と、声をあげた。

「いろいろ大変だったんだぞ。なにも言わないでいなくなるから」

「だれ~?」

「うん。まあ、それは悪かったと思ってるけどな。俺のほうもな。いろいろ大変だったんだよ」

「だれ~?」

「母ちゃんがずっと酔っぱらってんだよ。親父がいなくなってから。本格的にアル中になっちゃう前に帰ってやれよ」

「うん、まあ。近々な」

「ねえ、パパ。だれ~?」

「ああ、えっと。これは真尋、父ちゃんの子供だよ」根負けしたみたいな感じで、親父が仁子ちゃんに説明する。仁子ちゃんは「おっきいのに子供なの!?」と、びっくりする。

「どれだけおっきくなっても、父ちゃんにとっては子供は子供なんだよ。で、そっちのブリブリにかわいいのはヒナで、父ちゃんの子供ではないけど、まあ家族みたいなもんだ。それで~」と、親父は茂木さんとユーリを見て、首を傾げる。

「茂木しょういちです。こんにちは」

「ユーリ・シャリポワです。こんにちは」

 ふたりがお辞儀をすると、親父もつられて「あ、どうもどうも。村上智尋です。こんにちは」と、バタバタと立ち上がってお辞儀をし、さらにそれにつられて仁子ちゃんも「あらいじんこです! こんにちは!」と、お辞儀をした。なんだこれ?



 ☟



 ヒデちゃんに、縁側に面した大きな和室に通された。窓が大きく陽当たりが良くて、明るい。どっしりとした立派なちゃぶ台があり、ヒデちゃんが座布団を出してくれた。奥側に俺とヒナ、手前側に茂木さんとユーリが座り、親父はいわゆるお誕生日席の位置にあぐらをかいた。

 ヒデちゃんは「どれ、ヒデちゃんが茶を淹れてやろう」と言って台所に引っ込んだ。どうやら、一人称がヒデちゃんらしい。仁子ちゃんはなんか知らんが、遠すぎず近すぎずの間合いでズリズリと畳の上をいまわっていた。ちらちらとこっちを見ているので、ヒナがにっこり笑って手を振ると、はにかみ笑いをしたあとで顔をうつむけ、髪の毛の下に顔をすっぽり隠してしまった。興味半分、恥ずかしさ半分みたいな感じだろうか。小動物みたいでかわいい。

「で、事情は説明してもらえるんだよな?」

 俺が訊くと、親父は「ああ、もちろん。もちろん」と、頷いた。「とはいえ、俺もあんまり分かってないことが多くてな。けっこういろいろと、その、推測になるんだが」

 あ~、え~っと、と、視線をあっちこっちに向け言葉を探す親父に、ヒナが「ていうか、さっきからちょいちょい気になってるんだけどさ」と、言った。「その子。仁子ちゃん? ともくんのことをパパって呼んでない?」

 それは俺も、微妙に気になってはいた。なっていはいたけど、蓋を開けるとめんどくさそうな気配がプンプンするからスルーしていたのだが、ヒナはやっぱり、そういうところも遠慮なくガツガツいく。

「ともくんも、仁子ちゃんに対しての一人称が『父ちゃん』だしさ。ひょっとしてその子、ともくんの子どもなの?」

 ヒナの追求に「あ~。え~っと」と、親父はまた視線を明後日の方向に向けた。「そう。かも? しれない。可能性が、否めないことも、ない。みたいな?」

「は~~~~? また~~~~~~!?」と、ヒナが呆れた声を出す。俺に至っては声すら出ずに、なんか深いため息が出ただけだ。いや、まあ驚きの衝撃てき展開ではあるのだが、既視感があるというか、慣れたものというか。仮にそうだとしても、メリッサに引き続きの二度目で「また?」もいいところなので、驚くのは驚くが、驚きの方向性が違う。親父のアホさといい加減さが想定を超えていたことに対する驚きだ。

「や、分からんよ? 分からん。はっきりとは」と、親父は手を横に振る。「しかしまぁ、この子の母親のきよちゃんは、仁子に俺の写真を見せて『この人がパパだよ』って説明してたみたいでな?」

「それならもう、確定じゃん」

 ヒナが冷たい半眼で言い捨てる。

 まあ、親父のほうに身に覚えがないのであれば、母親の清子さんが勝手に親父の写真を使って、仁子ちゃんに『この人がパパだよ』と吹き込んでいた可能性がないわけでもないが。

「で、親父はどうなの? 身に覚えがあるの? ないの?」

「な~い~、ことは~、な~い~、かなぁ~?」

「あるんじゃねぇか!」と、俺。「やっぱ確定じゃん!」と、ヒナ。

「や、ま。う~ん。そうなんだけどな?」と、親父は俯いて腕を組む。

 そこで「はい、どうぞ」と、お茶を持ってきたヒデちゃんに、ヒナが「ヒデちゃん。ともくんが仁子ちゃんのお父さんなの?」と、訊いた。

「まあ、こんな山奥のことだべ。ほかに相手もおらねぇな」ヒデちゃんが頷く。「智尋さんが本を書きたいってんで取材に来たのが、もう十何年か前かね? その頃は、うちはもうヒデちゃんとお父さんのふたり暮らしだったんだけど、当時は孫の清子が娘夫婦とちっと折り合いが悪くてな? ちょうど預かってたんだ。娘夫婦も変わり者の頑固者だで、娘の清子もかわいそうなことなんだけど。実の親にいじめられて、心を病んでしまって。そんなんだで、親と離れて田舎で暮らしゃあ、ちっとはいいこともあるかとヒデちゃんは思っとったんだけど」

「え? で、そのたまたまこっちに療養にきてたヒデちゃんの孫と、ともくんの間に子どもができちゃったの? ともくん、マジなにしてんの?」

 ヒナがまた半眼でジトッと親父を睨むが、ヒデちゃんのほうは「まぁ田舎だもんで。男女を一緒に置いといたら睦みあうのは道理みたいなもんでな。それはまあええんだが」と、わりと、かなり、大らかな反応だ。

「いや~。俺もヒデちゃんからどうにか話を聞きだそうと、すぐ近くの廃屋みたいな家を借りて、足繁くこっちに通っててさ。そしたらなんだ、清子ちゃんもこんな山奥で暇だったんだろうな。こう、わりといい感じになって」

「いい感じになってじゃないんだよ」

 はぁ~~っと、ヒナが首をがっくりうなだれ、大きなため息をつく。

「もともと心が弱い子だったでな。まあ、すがるさきに便利だったんだろうな。智尋さん、嫌がらねえから。ほんでまぁ、智尋さんが帰ってからしばらくして、清子がポコンと仁子を産んで」

「ポコンって」

 そんな軽い感じで子どもとか発生していいもんなのか? と俺は思うが、ヒデちゃんは「このへんじゃまあ、子どもってのはむかしからそういうもんだ。ポコンって出てくんだ」と、言う。ジェネレーションギャップだ。

「だけど、それでいよいよ清子も両親と喧嘩別れして、仁子を連れてこの家も出てしまってな。以来、ずっと音信不通でヒデちゃんは清子のことも仁子のことも心配しとったんだが。まあこのように、仁子だけは智尋さんが連れ戻してくれたで。仁子が無事で、ヒデちゃんは嬉しい。智尋さんには感謝しとるだ」

 う~ん、それもどうなんだろう? なんか盛大なマッチポンプというか、そもそも親父が余計に引っ掻き回さなければ、事態はそんなややこしいことになってなかったのでは? といった疑惑も大いにある。

「そうは言っても、仁子は生まれてきたんだ。生まれてくるのが、生まれないよりいいなんてことはない」

 ヒデちゃんの言い分に、ヒナも「それはそう。うん。それは実際そう」と、何度も頷く。「それはそうっていうのは大前提なんだけれども。ね? う~~~~ん」

「まあ、良い悪いの話はいったん脇に置くとして」俺は『脇に置く』のジェスチャーを交えつつ言う。脇に置いていい話でもないが、脇に置かないことには話が一向に前に進まない。「仁子ちゃんと親父の関係は、まあ分かったよ。で、それのなにがどうなって、親父の逃走劇にいきなり仁子ちゃんが出てくるわけ?」

 俺たちが探していたのは、親父が持ち逃げしているかもしれない『毛むくじゃらな犬のような』『運気向上のウルトララッキーアイテム』であって、そこにいきなり親父の隠し子? が登場してくるのは、まったく意味が分からない。

「だから、そこが俺もぜんぜん分からないんだよ。ある日、事務所に木箱が届いたと思ったら、中からちっちゃい女の子が出てきて、俺のことを『パパ』って呼ぶもんだからよ」

「は? 木箱の中から? 仁子ちゃんが出てきたの?」さすがに俺もびっくりして、声が裏返る。九鬼さんは木箱の中身を『非常に大事なもの』と説明していたけれど、それが生きた人間の女の子だったというなら、もっと他に言いようがあったんじゃないか? ていうか、人間の女の子を木箱に詰めるな。常識的に。

「そうなんだよ」と、親父が頷く。「出てきたっていうか、箱がゴトゴト動き出してな? な~んか声も聴こえるような気もするし。俺も、荷物の送り主がちょっとヤバい寄りの相手だったからさぁ~、そんな箱を開けて中身を確かめるとかしたくなかったんだけど。かすかに声もするし。こりゃどうも、生きてる人間だろ? 中身が。そんなんさすがに、無視もできんだろ? で、蓋を開けてみたら仁子が出てきて、俺の顔を見るなり、こっち指さして『パパ!』ってよ」

 そりゃまあ親父もたいそうびっくりしただろうが、いまいち同情する気になれないのはなんだろうな? 結局のところ、大いなる運命のちからで自業自得がぐるっと大回りしてきただけっぽい感はある。

「で、俺も焦っちゃったんだけど。話を聞いてみたら……、まあ仁子はあの感じだから、話を聞きだすのも大変だったんだけど、俺のことは写真で見て知ってると。パパだって言うんだな。で、よくよく話を聞いてみたら、どうやら母親はヒデちゃんの孫の清子ちゃんっぽいんだ。こりゃあまあ、俺もまったく知らない話じゃなさそうだし、だいたい、仮に無関係だったとしても、木箱から出てきた女の子を木箱にまた詰めてラベル貼って発送ってわけにもいかんじゃないか。生きてるんだから」

「そりゃそうだ」俺は頷いた。

「うん。それはたしかに、ともくんが合ってるよ。偉い」ヒナも同意する。

 親父は本当にロクでもないカスみたいなヤツだけど、それでも、面倒だからとか、関わり合いになりたくないからって、子供を木箱に詰め直して知らんふりするほど人でなしではなかったのは良かったと、俺は心から思う。もし真相がそんな話だったら、俺が責任を持って親父を木箱に詰めて、神流湖に沈めなきゃならないところだった。

「仁子は、結果的には、まぁなんか本当に俺の娘かもしれないんだけど」と、親父は頭を掻きながら、まだごにょごにょと言い訳じみたことを言う。

「えっと、じゃあつまり、仁子ちゃんが僕たちがずっと探してた、『毛むくじゃらの犬のようなもの』ってこと?」ヒナが言う。

「ここまでの話を統合すると、そういうことになるな」と、俺は答える。

 ユーリも「この子で合ってます」と、頷く。

 ユーリの説明では、どうやらユーリには『見る目』というのがあって、九鬼さんが探している『毛むくじゃらの犬のようなもの』は外観が変わっている可能性があるけれども、たとえ外観が変わっていても、どれが探している『毛むくじゃらの犬のようなもの』なのかはユーリが見れば分かる、みたいな話だったと思う。もっとも、コミュニケーションにおける言語的な問題のせいで、なんらかの誤解がある可能性はわりと高いが。俺の理解では、たぶん、そういう話だ。

 全員の視線が、傍らでうにょうにょとうごめいている仁子ちゃんに向く。仁子ちゃんはまた自分の髪の毛の中にもぐり込み、すき間からこちらをうかがい見る。うーん、たしかにちょっと髪の毛はぼーぼーで、こうしてると丸っこい髪の毛のおばけみたいな感じではあるけど。

「――そんなに毛むくじゃらってほどでもないな」

 俺は呟いた。 

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