3. ポメラニアンを狩りに奥秩父へ



「なにそれ? ザ・与太話って感じだね」

 俺がかいつまんで本の内容を説明すると、ヒナが言った。

 ばあちゃん主催の国産黒毛和牛すきやきを食べ終え、いい感じに酔っぱらった母ちゃんはまたぐうぐうと寝入っていた。茂木さんとばあちゃんが思い出話に花を咲かせていたが、それも一段落し、手持無沙汰になった俺たちは、とりあえず手掛かりと言えなくもないかもしれない親父の本を読んでみることにした。

 幸いなことにというかなんというか、同じ本が何冊でもあったので、ひとり一冊ずつで同時に読むことができたのだが、ヒナは「なんであれ、そもそも本というものを読むことができない」と言って早々に投げ出し(それでどうやって平常に高校生活を送っているのかはまったく謎だ)ユーリはひらがなとカタカナと漢字もちょっとは読めるらしいが、やはりここまでの日本語の文を読むのは難しいみたいだったので、実際に本文を読んだのは俺と茂木さんだけだ。

「うん、まぁアレだよな。マイケルジャクソンがまだ生きてるとか、ヒトラーが南極の地下に不死身のロボット軍団を作ってるみたいなのと同じ類の話っぽいよな」

 俺は頷いた。与太話というか、いわゆる陰謀論の類だろうか。

「政府が個人情報を監視するために市民にマイクロチップを植え付けているとか、実は地球は平面で宇宙からの映像はぜんぶCGだとか、世界中の国家を統一し世界政府を樹立しようとニューワールドオーダーっていう地下組織が暗躍しているとかね」

「妙に詳しいな、ヒナ」

 そうやって並べられると、俺の例示がなんかちょっとバカっぽいじゃないか。いやまぁ、ニューワールドオーダーも十分にバカっぽいが。方向性が若干ちがうだけで。

「僕も好きは好きだから、そういう与太話。まったく信じてはいないけど」言って、ヒナは大きく伸びをする。「でも、基本はアレだよね。誰か悪の親玉みたいなのがいて、そいつが悪いから今の世界は悪いみたいなシンプルな世界観。そんなに簡単な話じゃないと思うんだけど」

「現実というのは非常に複雑ですからねぇ」と、茂木さんも頷く。「それぞれの個人や集団がそれぞれの意図を持って勝手に動き回る非常に複雑な経緯であるとか、その結果の微妙な均衡関係みたいなものを理解しようとするよりは、特定の勢力が単一の意図を持って暗躍しているのだと考えたほうが、楽ですからね。見ることや考えることを怠ると、そういった考えかたに陥ってしまうのだと思います」

「僕は別に社会を裏から操る闇の勢力が存在したっていいとは思うんだけどさ。ありそうな話ではあるし。ないとは言い切れないくらいの。でも、それにしたって、もっと現実的で具体的な組織として存在したってよさそうなものじゃない? なんでいちいちマイクロチップだとか、悪魔崇拝だとか、オサキ? だとかって、非現実的な胡散臭い話をつけ足しちゃうのかな?」

 たしかに、この手の話はどういうわけか、神秘やオカルトと親和性が高い。そのせいで一気に説得力を失ってしまっているわけだが。

「なんなんだろうな?」と、俺が首を傾げると、ユーリが「あ~。日本語で説明、むずかしいですが」と、視線を上にあげ、言葉を探した。

「ストーリーがリアルですと、告発する側にも、リアルなリスクがありますね? 裁判されたり、警察きたりします。なので、アンリアルなストーリーで、これはジョークですからというエクスキューズで、自分をガードします」

「あ~、なるほど」と、ヒナが頷く。「具体的になにか違法行為をしているという告発をする場合、それが嘘だったり間違いだったりしたら、逆に名誉棄損とかで訴えられるかもしれないもんね。だから、真面目に追及しようっていうんじゃなくて、たんに与太話を本にして小銭を稼ぎたいだけの場合は、誰がどう見てもフィクションって感じのバカ話にしちゃったほうが都合がいいわけだ」

 ちなみに件の本は、王塚紀一郎の話をしているのはわりと序盤だけで、以降の章は、最初はうさんくさい目で見られていた筆者(親父)が、秩父の山奥でH子さんの集落で生活を共にし、農作業や野良仕事を手伝ったりしながら、だんだん集落に受け入れられていく様子が長々と綴られていて、どっちかっていうと『田舎生活万歳!』みたいな内容で、読み物として面白くないことはないのだが、あまり『日本社会の暗部に迫る!』感はない。論旨としては『ラッキー続きの王塚紀一郎は、実はオサキモチで、それゆえにラッキーだったのです』の一行で済むし、それにしたって、そのラッキーの具体的事例に乏しい。王塚紀一郎の生涯は、超常的な存在を仮定しなければ説明不可能というほどに、あり得ないほどラッキー続きというわけでもなく、まあラッキーと言えばラッキーそうだよね? くらいのレベルだ。

「また、そう言われてみればそうかもしれない、くらいの微妙な感じッスね」

「しかしながら、話は一致いたします」

 俺の感想に、茂木さんが言った。「この、先生が秩父の女性からもらったオサキというのが、九鬼さんの探していらっしゃる『毛むくじゃらの犬のようなもの』なのではないでしょうか? 外観に関する具体的な記述はありませんから、毛むくじゃらかどうかは分かりませんが、どうも、なんらかの獣の一種であると捉えられているようですし、『運気向上のウルトララッキーアイテム』という説明とも符合いたします」

「単純に運気を上げてくれるだけでもないみたいッスけどね」あまり腑には落ちないけれど、俺もいちおう頷く。「茂木さんは、先生からオサキについて、なんか聞いたことないんスか? この話が本当だとすると、たぶんオサキはずっと先生にくっついてたんですよね?」

「いえ、わたしは特に」茂木さんは首を横に振る。「仮にこの話が真実だったとしても、先生がずいぶんと若いときのエピソードのようですから、わたしが出会った時分には、もうオサキをつけて四十年ほど経っていたことになりますね」

「オサキがつくとすぐ死んじゃうって話だけど、先生は百五歳まで生きたんでしょ?」二つ折りにした座布団を枕にし、ゴロンと寝転んだヒナが言う。

「さすがのオサキでも、先生の破天荒さには歯が立たなかったのかもしれませんね。とにかく、なにごとにおいても規格外の方でしたから」そう言って、茂木さんはちょっと笑った。「しかし、そう言われてみると、思い当たる節がまったくないということもありません。先生はその、わりと独り言の多い人ではありました。それも独り言というよりは、私たちには見えない誰かと会話をしているような感じで。夜中に縁側のほうから笑い声がするので、誰かお客様がいらっしゃっているのかと思ったら、先生がひとりで月を見ながら酒を飲んでいるだけだった、みたいなことはよくありましたねぇ」

「ひょっとすると、他の人には見えないオサキと喋っていたのかもってことッスか?」

 俺が訊くと、茂木さんは首を横に振った。

「いえ、私はそのように考えたことはありませんでしたが。先生はとにかく人との会話を重視される方で、誰かと話をするうちに次々と連鎖的に考えが思い浮かぶ、という風なところがありましたから、それもその、そういったやり方でご自身の考えをまとめていらっしゃるのだと私は理解しておりました。つまり、自分自身との対話のようなかたちで」

「ふーん、なるほど」

「しかし、今から考えれば、あれはそういうことだったのかもしれないな。という風に捉えることも、できなくはありません」

 またまた、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないくらいの、ちょっと微妙な感じだ。

「なんにせよ、良くも悪くも、とにかく先生は奇矯な行動が珍しくありませんでしたから、独り言にしても、それくらいのことはあるのかな? くらいの感じで、誰もあまり気にしていなかったように思います」

「まあでも、九鬼さん以外は、ってことッスよね」

 さすがに九鬼さんは親父が書いたこの本を読んで真に受けたというわけではないだろうけれど、九鬼さんが探している『毛むくじゃらの犬のようなもの』が先生に憑いていたオサキであるならば、九鬼さんは九鬼さんでどこか別のルートからそういう話を聞いて、オサキを手に入れようと画策したのかもしれない。

「ていうか、ユーリはもともと木箱の中身を分かってて探してたんだよね? 日本語で説明するのが難しかっただけで。ユーリてきにも、そこはなにかしらオカルトてきなものという認識だったの?」

「あ~。そう?」と、ユーリは自分で言って、自分で首を傾げる。「ダ。ダ。オカルト、言われれば、そう。わたしが探すもの、見た目は変わります。でも、見た目変わっても、わたし分かります。わたし、見る目があります」

「見る目?」

 その『見る目がある』というのは、日本語の慣用的な意味だろうか? つまり、人物などを適切に理解し、客観的に評価することができる、みたいな。それとも、もっと直接的な意味での『見る目』だろうか。霊感てきな?

「あ~、うん。それも、オカルト? そう言えば、そうかも」

「そうなの」

 ユーリもなにかの異能持ちなわけ? 九鬼さんの『人の心を読む能力』みたいな感じで?

 なんだか嫌な感じだ。だんだんオカルトてきな話が、当たり前の前提にされてしまっている気がする。自分の暮らす日常が、そんなトンチキな世界だというのはあまり積極的に認めたいものではない。

「まあでも、それこそ別に『オカルトてきなものが実在するかどうか』なんて、僕たちには関係のない話じゃない? 重要なのは、九鬼さんがそういう認識でいるっていうことだけでしょう? 僕たちの最終目的っていうのは、煎じ詰めてしまえば要するに、どうにかして九鬼さんを納得させて、なるべく事を穏便にまるく収めることなんだから」

 ヒナの台詞に、俺も「ああ、そうか」と、頷く。「九鬼さんの要求は、どうやら『オサキを持ってこい』ってことのようだから、九鬼さんが『これはオサキだ』と納得しさえすれば、事の真偽はどっちでも構わないってことだもんな」

「そうそう」ヒナが寝転んだまま首を動かす。頷いているらしい。「探した先にそれが実在するのなら、それを返せばいいわけだけど、仮に実在しないのなら――仮にっていうか、まずまず実在しないだろうから――実在しないものを追い求めたっていつまでも冒険は終わらないわけだし、なにかしら適当なものを『これがオサキです』って言って、渡すしかないでしょ」

「うう~ん。なんか、いつの間にか親父の商売と似たような話になってるな」うまいこと相手を騙して売り抜けてしまえばいいんだから、それが『本物』である必要はない。「でも、そうなってくると、そもそも別に親父の行方を追う必要もないって話にならない?」

「言われてみればそうだね。ともくんが行方不明って言っても、誘拐されたとかトラブルに巻き込まれたとかじゃなくて、なんなら実在する『闇の勢力』の追跡を自力で撒いて、たくましく逃げてるっぽいし」

「うん、ヴィジャイのとこに行ったまでは確認できたわけだし。自分の意志で逃げてるだけなら、ほとぼりが冷めたら、またそのうちひょっこり帰ってくるだろ」

「じゃあ、あとはその『オサキ』っていうのをどうにか調達して、それを九鬼さんに納得してもらうってだけの話か~」ヒナが投げやりな調子で言って、寝返りを打つ。「適当にそのへんのポメラニアンとか渡したら納得してくれないかな」

「ポメラニアンは無理でも、案外、なんかそれっぽい獣を捕まえてくれば、それで納得してくれるかもしれないぜ? オサキってのは、実際にはイタチとか野鼠とかそういうのだって説もあるみたいだし」

「秩父の山奥でイタチを捕まえてくる?」と、ヒナが提案する。

「毛むくじゃらの」と、俺が頷く。

「ピクニック」と言って、ユーリが無表情のまま、両手の親指を立てる。

「ずいぶんと漠然とはしておりますが、ほかにアテがあるわけでもありませんしねぇ。この本にある、秩父市太田部というところに行ってみるのもいいかもしれません。このあたりの地域にはオサキモチの血筋とされた家が複数あったようですから、ひょっとすると、先生についていたのとはまた別のオサキモチの家系の方がおられるかもしれませんし、あるいは、野生のオサキが今も山の中にいるかもしれませんから」

 そんないい加減な成り行きで、俺たちは翌朝、秩父市太田部を目指すことになる。


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