2. A井H子さん(仮名)の証言



 わたしの先祖はもともとは出雲の民で、長い放浪の末に最終的にここ、秩父の山村に落ち着いたのだと聞いております。しかし長らくのあいだ、村ではうちの血筋はオサキモチと呼ばれ、忌み嫌われておりました。オサキが村の人々の富を掠めとるからです。

 オサキというのは憑きものの一種で、一度憑いたら最後、代々、家の者に憑りつき続け、どうやっても引きはがすことができません。オサキは家に繁栄をもたらしますが、オサキに憑かれたものは精神に異常をきたし、やがて発熱やできものなど身体的な不調も現れはじめ、ほどなく死に至ります。

 だいたい、二十歳を過ぎて生きるものは、多くはおりませんでした。

 憑りついていたものが死ぬと、オサキは次の身体にうつります。オサキにとって、人間の身体は使い捨てです。

 そのようなことでは、繁栄もなにも、あっという間にお家が断絶してしまいますから、人間のほうも鼠のようにボコボコと子を産んで、どうにか一族を存続させるのですが、オサキモチの嫁をもらうとオサキがついてきてしまうというので、オサキモチの女は村の中に嫁の貰い手がおりませんでした。ですので、オサキモチの家同士で近親婚を重ねまして、増えては死に、増えては死にと繰り返すわけです。

 オサキは幸運を呼び込むと言われておりますが、オサキが家に富をもたらすのは、人のためでもなく、家のためでもなく、自分のためでしかありません。オサキにとっても、憑りつく先がなくなってしまっては困りますから。なにしろ憑りつく先はすぐに死んでしまいますので、オサキモチの血筋にはぼこぼこと子を産んでもらわねばなりません。そのために、幸運を呼び込んで家を栄えさせるのです。あとで食べるために、豚をよく太らせるのと同じことです。

 わたしが十二の歳にねぇやが死に、オサキはわたしに憑きました。

 オサキに憑かれると、その想念が頭の中に直に流れ込んでまいりますので、自分が憑かれてしまったことはすぐに分かります。それはとてつもない、憎悪の渦です。オサキは人間のすべてを恨み、世界そのものを憎み、すべてをめちゃくちゃにしてやろうとしているのです。いえ、これもまた、ただのわたしの解釈でしかありません。オサキが抜け、落ち着いた今になって当時のことを振り返っているので、どうにか説明に近いようなことができますが、本当のところ、オサキが憑いているときの状態を、言葉で正しく説明することはできないのです。それはなんというか、言葉を超えた想念の世界の話なのです。

 とにかく、渦です。すべてを飲み込み、粉々に粉砕する、ぽっかりと暗い穴のような。それも、とてつもなく巨大な、るつぼです。とんでもなく恐ろしく邪悪ですが、それは同時に、気が遠くなるほど美しくもあるのです。抗うことはできません。憑かれた者は、ただそこに呑み込まれるだけです。

 わたしは高熱を出し、長らく生死の淵を彷徨いましたが、二週間目にその嵐は一旦、パタッと凪ぎました。オサキに憑かれてすぐ死んでしまうものと、オサキに憑かれてもしばらく生きながらえるものがいます。わたしは、オサキに適合したようでした。

 凪の期間は、昼間は普通に生活することもできました。しかし、昼と言わず夜と言わず、妙な幻覚にはずっと悩まされました。そして、夜はかならず悪夢にうなされました。具体的に恐ろしい夢ではなく、とても観念的な悪夢です。どのような、という風には言葉で説明のしようがありません。強いて言うなら、全身を粉々に砕かれ拡散しながらも、痛覚だけは正常に機能していて、とてつもなく広大に拡がった全身からあらゆる痛みを感じるような感覚です。時間の感覚も狂い、一晩が千年にも感じられます。

 おまけに、凪は凪でしかなく、すべてを呑み込む怨念のるつぼは、定期的にやってきてはわたしを蝕みました。このような想念に始終晒されていたのでは、オサキモチがみな気狂いになってしまうのも当然のことと思われました。

 このまま、わたしは死んでしまうのだろうか?

 わたしにオサキが憑いて以来、お家はかつてないほどの幸運に恵まれ富をためこんでおりました。オサキが家を離れると、その家は急速に没落するのだと言い伝えられておりましたので、オサキモチの家は子をたくさん死なせながらもオサキと共生していたのです。

 でも、それもこれも、自分が死んでしまったらなんにもならないじゃありませんか。自分が死んだあとの家がどうなろうと、知ったことじゃないでしょう?

 わたしはオサキを祓ってくれる人を求めて、夜中にひとり、こっそりと家を出ました。幸運にも、すぐに評判のよい山伏と巡り合うことができました。お金はありましたから、お願いして憑き物落としの祈祷をしてもらいました。

 これでもう大丈夫だと請け負った山伏は、その翌日に素手で自分の両目をえぐり死んでいるのが発見されました。

 祈祷師の婆は榊をまるごと呑み込み窒息死しました。寺の坊主は周囲に高いところなどなにもない、開けた境内の真ん中で墜落死しているのが見つかりました。切支丹の悪魔祓いも頼りましたが、銀の短剣で自分の喉を掻き切って死んでしまいました。

 わたしは相変わらず幸運に恵まれていて、オサキを祓うなど容易いことだと引き受けてくれる呪い師の類には次々と出会うのですが、だれもかれも、みんなすぐに死んでしまいました。

 オサキが遊んでいたのだと思います。祓えるものなら祓ってみろと。いちど家についたオサキは、どうやっても落とすことができないのです。 

 あちらこちらと彷徨ううちに、東京にまで辿り着きました。当代随一の神通力の持ち主と言われた高円寺氷川神社の宮司様まで亡くなり、中野の雑踏で途方に暮れておりましたところで、わたしはついに王塚先生と巡り合ったのです。


「こいつはまた、とんでもねぇ気配がしているな」

 路肩に座り込んでおりましたわたしに、不意にハイカラな格好をした青年が話しかけてきました。

「憎しみ? いや、俺にはあんたが、悲しんでいるように見えるぜ」

 最初は、頭がおかしいのかと思いました。わたしに話しかけているというより、こちらを見ながら大きな声で独りごとを言っているような雰囲気でした。それがふと、焦点をわたしに合わせまして「お嬢さん。もし、あんたにくっついてるそいつのことで、あんたが困ってるっていうんなら、そいつは俺がもらっていっても構わんかい?」と、訊いてきました。「そいつのほうは、そこそこ俺のことを面白がってくれているみたいでね」

「もっていけるもんなら、どうぞ、もっていってくださいまし」

 わたしがなんの期待もせずにそう言い捨てますと、青年は「そうかい」と頷いて、ちょいと手招きをいたしました。

「そいじゃあ、こいつは俺がもらっていくよ。達者で暮らしなよ、お嬢さん」

 東京には妙な人がたくさんいるものだと、そのときは思っただけでした。ほんとうに、オサキがわたしの元を去ったことに気付いたのは、翌朝になってからでした。

 何年ぶりに、わたしはどんな夢も見ることもなく、朝までぐっすり眠ったのです。ずっと渦巻いていた、頭の中の業火のような怨念も、すっかり消えてなくなっていました。

 はじめのうちは、ただ長い凪に入っただけかとも疑っておりましたが、二月、三月過ぎましても、わたしはストンと平静なままでした。意識を覆う暴風が止み、世界の音がとてもよく聴こえるようになっていました。

 オサキに去られたわたしは、もはや幸運に恵まれることもなく、東京ですぐにスッテンテンになってしまいました。他に行くあてもありませんでしたので、こうして秩父の山奥の、自分の家に戻ってまいりました。

 オサキが去ったことを告げると、家の者は「それでいいんだ」と言って、わたしを元通りに受け入れてくれました。あんなものに頼らなくとも、貧乏でも生きてはいけるのだと。

 見てのとおり、この家どころか、このあたりはもう集落丸ごと、すっかり没落いたしました。農業や林業の担い手も減り、手入れが行き届かず、荒れたままになっております。この先祖代々の土地も、そのうちすっかり山に還ることでしょう。

 四人生まれた子供たちはぜんいん無事に育ち、孫の顔を見ることもできました。貧乏ではありましたが、それなりに幸福な人生だったと、今では思います。

 あのとき、王塚先生がひょいとオサキを引き受けてくださらなかったら、わたしはとうの昔に死んでいたことでしょう。

 先生には、どれだけ感謝してもしきれません。

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