4. 東京地下秘密通路説(アンブレラ工法)



「呆れたな」

 思わず、俺は呟いた。

 俺たち以外のお客さんがいなくなると、ヴィジャイは表のシャッターを下ろし、店の奥の壁をごそごそといじくりだした。カバーで上手に偽装されたピンを抜くと、カラカラという軽い音とともに、なめらかに壁が動いた。今までぜんぜん知らなかったが、実は店の奥の壁は可動式のパテーションになっていたらしい。パタンパタンと四つに折れて横にスライドすると、その奥に親父のボロいハイゼットカーゴがチョンと停まっていた。左右、それぞれ5センチも余裕がないバチバチぴったりサイズだった。インドカレー屋の店の奥に軽バンが停まっているというのは、かなり異様な光景だ。

「なるほど。入り口のドアを外してしまえば、ハイゼットならギリギリ通りますね」と、茂木さんが真剣な顔で検分する。いやまあ、理屈上は通るかもしれんけど、こんなとこ通すなんて思わないじゃん?

 ヴィジャイの店の入り口は木製のスライドドアなので、両方外してしまえば間口はそこそこ広い。店内のテーブルと椅子をぜんぶ隅に寄せれば、奥まで入れることもできるだろう。それでも、ここにすっぽり収めるには相当なんども切り返す必要があったんじゃないだろうか。

「いえ、これだけスペースがあれば、意外と余裕ですよ。」と、茂木さんが言う。

「そんなもんスか?」

「ええ。ハイゼットはとくに最小回転半径が小さいですからね」

 店の奥のスペースは、本来は物置かなにかなのだろうか。ハイゼットが寄せてあるのと反対側の壁ぎわには、スコップやツルハシ。アルミのはしごや単管パイプ、投光器などが雑多に置かれていた。

「すっごいね、これ。ヴィジャイはどうして、店の奥にこんな隠しスペースを?」

 ヒナが訊くと、ヴィジャイは神妙な面持ちで「CIAのツイセキに備えてだ」と、頷いた。「トモヒロ、CIAに追われてる。トモヒロ、ワタシの命のオンジン。今のワタシ生きてるの、トモヒロのおかげ。こんどはワタシがトモヒロ助ける。マヒロ、安心する」

 いやまあ、ヴィジャイのおかげで本来はシンプルな話がだいぶややこしくなった感は否めないが、しかし善意でやってくれたことのようなので、とりあえず俺は「ありがとう」と、礼を言う。誰かに『命のオンジン』とまで言われるなんて、誰の人生にでもあることじゃない。そう考えると、親父もあれはあれで、生きてきた意味とか価値とかはそれなりにあるんじゃないかとも思える。

「それで、親父は車をここに置いて、どこに行ったんだ?」

 俺が訊くと、ヴィジャイは「こっち」と囁いて、ガチャガチャと隅の工具を避け、床板を一枚持ち上げた。

「呆れたな」と、俺はまた呟いた。床下を覗き込むと、地面に井戸のような深い縦穴が空いていた。四角く組んだ単管パイプで補強されていて、アルミ製のはしごで降りられるようになっている、ヴィジャイはここでも、地下トンネルを掘っていたらしい。CIAの追跡から逃げるために。 

 九鬼さんが言う『我々』の捜査力は彼の信じる通り、それなりに強力なものなのかもしれないけど、それだってCIAには及ばないだろう。そしてヴィジャイは、すくなくとも彼自身は本気で、CIAの追跡さえも振り切るつもりで、普段から様々な対策を取っていたのだ。これじゃ親父が見つからないのも仕方がない。本気でCIAの追跡に怯え秘密の地下トンネルを掘っている、イラクの地下で精神を病んだインド系トンネル技術者の存在まで想定しろというのは、流石に酷ってものだ。

 尋常ごとではないし、正常な手段でもない。 

「さてさて、いよいよ冒険じみてきたな」と、俺がはしごに足を掛けトンネルを下りようとすると、ヒナが「え? これ入るの? マジで?」と、露骨に嫌そうな顔をした。

「え、どうなんだろ? 親父がここを通ったっていうなら、あとを追ったほうがいいとは思うけど」

 振り返ると、茂木さんとユーリも俺を不思議そうな顔でただ見守っていて、行く気満々なのは俺だけみたいな雰囲気だった。

「あ、これはさすがに行かない感じ?」

 俺が訊くと、茂木さんが頷いた。

「ちゃんと施工されたものではありませんから強度などが不明ですし、少なくとも、全員で一斉に下りるのはやめておいたほうがよろしいかと。真尋さんが硬い決意でお父様をお追いになると仰るのでしたら、わたくしも強く引き止めはしませんが。二手に別れれば、仮に崩落などがあっても全滅は避けられますので」

「わあドライ」

 べつに硬い決意があるわけじゃなくて、無知ゆえの蛮勇なので、そこは止めてくれちゃんと。年長者でしょ。

「情報が不足ですから、先にインタビューすると思います」

 ユーリにも言われ、俺は「うん、そう。その通りだな」と頷いて、はしごから戻った。「で、ヴィジャイ。この穴はどこに通じているんだ?」

「どこへでも」と、ヴィジャイは事もなげに応じた。「トーキョー、暗渠だらけ。暗渠と暗渠を繋いでるから、ここから地下を通って、どこでも行ける」

「マジかよ」

 いくらなんでも人の国で好き勝手しすぎだろ、このトンネル野郎。

「どこへでもって言ったって、ある程度おすすめルートとかあるでしょ? ともくんはどこに抜けたの?」と、ヒナが訊いた。

「たぶん桃園川の暗渠を抜けて、東中野の末広橋に出たね。そのあと、どこ行くかは聞いてないよ。CIAの尋問はシツヨウ。ワタシ、知らなければ喋れない。言いたくないこと、知らないのがイチバン」

「マジかよ」

 俺はげんなりする。東中野まで出れば新宿も目と鼻の先だし、車を乗り捨てて電車とかバスに乗り換えたなら、可能性は無限に発散する。日本中のどこに逃げていても不思議じゃない。

「つまり、どこに逃げたのか分からないということが分かっただけか」一歩進んで二歩下がるだ。「えっと、他になにか変わったところとかなかった? 親父の様子に」

 俺が訊くと、ヴィジャイが言った。

「女、連れてたよ」

「え? 親父、ひとりじゃなかったの?」

「そう。これくらいの、ヤスイ? じゃない。チイサイ」ヴィジャイが胸のちょっと下くらいで掌を水平に振る。「チイサイ、女。黒い、毛むくじゃらの。トモヒロ、ふたりで逃げた」

「毛むくじゃらの?」

 毛むくじゃらの、女? 犬じゃなくて? 

「誰なんだ? それ」

「知らないよ」ヴィジャイは首を横に振る。「トモヒロ、わけあり。ワタシ、心よわい。知ったら話してしまうかも。だから聞かない。知らないことは喋れない。無敵でしょ」

「そりゃまあそうだ」

 ヴィジャイは悪くない。たぶん。まあでも、なんだかよく分からない話になってきたが、とりあえず――

「またしても女が絡んでるのかよ」



 ☟



 そんなわけで、俺たちは荻窪でカレーを食っただけで、夕方にはすごすごとまた家に帰ることになった。俺は少々気落ちしていたが、茂木さんを連れて帰ったので、ばあちゃんは喜んだ。ひさしぶりに正気で起きていた母ちゃんが「え? なに? どれが誰?」と、目をしょぼしょぼさせ困惑していた。

 親父の足跡がちょっとだけ分かったけど、でも結局はどこに行っちゃったのか分かんないってことが分かっただけだし、おまけになんか毛むくじゃらの女? を連れて逃げてるみたいな話になったしで、ややこしいから母ちゃんにはそもそも、俺たちが親父を探しているってこと自体を伝えなかったのだが、そうなると茂木さんとユーリの説明をどうしたもんかな~、なんて俺が考えていると、ヒナがシンプルに「これ、友達のユーリと、茂木さん」と紹介し、母ちゃんも「あそう」と、それで納得した。

「なんだか賑やかでいいわねぇ。晩ごはんはすき焼きにでもしようかしら?」珍しくばあちゃんが張り切ってそんなことを言い出した。「茂木さんも、よかったらご一緒していってくださいな」

「いえいえ、そこまでお世話になるわけには」と、茂木さんは遠慮をしたが、ヒナが「いいじゃん。せっかくだし食べていきなよ。こういうのは人数多いほうが楽しいし」と説得し、最終的に茂木さんも「では、そういうことでしたらお言葉に甘えて」と頷いた。

「ユーリも食べてくでしょ? すき焼き、好きじゃない?」ヒナが訊くと、ユーリは「スキヤキ―、知ってます。ミュージック、好き。食べたことは、ないです」と答えた。

「ミュージック?」

「ダ。スキヤキは、ミュージック」

「なんかよく分かんないけど、すき焼きは食べ物だよ。ジャパニーズ・トラディッショナル・鍋で煮た・ビーフ。オーケー? 日本にいて、すき焼き食べたことないですじゃ話にならないから、せっかくだしユーリも食べていきなよ。おばあちゃんが主催するすき焼きだと、国産黒毛和牛とか出るよ」

 うちの家庭は親父も母ちゃんも、まあそこそこのボンクラなので、ばあちゃんの持ち家に住んでるからなんとか暮らしていけているだけという感じの生活水準なのだが、ばあちゃんだけは、ひぃじいさんが築いた財産の一部をちゃんと隠し持っているらしく、家族の中では唯一羽振りがいいのだ。ただ親父のことをあんまり信用していないので、自分が生きているうちは智尋の勝手にはさせんと、普段は財布の紐が固い。

「ああ、じゃあお買い物にいかないと」と、ばあちゃんがそそくさと準備をはじめ、茂木さんが「では、荷物持ちをいたします」と、腰をあげた。

「まーくん。テーブルが足りないから、上の物置にある折り畳みのやつを持っておりといてくれる?」

 そう言い残して、ばあちゃんは茂木さんと、まるでデートに出掛けるみたいにエレベーターの中に消えていった。「や~、やっぱ何十年経っても初恋の人ブランドってすごいんだね。ルンルンじゃん」と、ヒナが感心したような声を出した。

「じゃ、ちょっとコタツ寄せて、折り畳みテーブル出すか」

 折り畳みテーブルとは言ったが、以前は居間の隅っこの畳スペースに据えられていたもので、足を畳むことができるからまぁ折り畳みテーブルではあるのだけど、天板が分厚い一枚ものなので、めちゃくちゃ重い。わりと運ぶのが大変なので、ヒナとふたりで上の物置にあがった。

「わ。これ、だいぶものをどけないと、テーブル出てこないじゃん」

 いつもは居間に吊るしっぱなしの洗濯物がどこにいったのかと思ったら、ぐちゃぐちゃのまま、まとめてドカンと物置に放り込まれていた。どうやら、いきなり茂木さんが訪ねてきてパニックになったばあちゃんが、どうにかして体裁ていさいを取り繕おうとしたらしい。

 その他にも親父の不良在庫なんかが雑多に詰め込まれていて、奥の方に入っているテーブルを出すのはなかなか大変そうだ。

「あ~もう、マジ。水は飲んでるからまだいいとして、サプリとかリキッドとか、こういうのもうぜんぶ捨てちゃおうよ。たぶん使用期限とかそういうのあるでしょ」

 ヒナがぶつくさ言いながら、なんとか道を切り拓こうとポイポイものをどける。

「それもそうだけど、この親父が書いたとかっていう本が邪魔すぎるんだよなぁ。こんなん、もう絶対売れないでしょ。重いし」

 同じ本がぎっしり詰まった段ボール箱と紙袋を避けようと持ち上げたら、紙袋の底が抜けて本ドカドカと溢れ出し、取り返しがつかない感じになってしまった。これじゃ片付けてるのか、混沌に拍車をかけてるんだかよく分からない。

「ああ、もう~」と、俺がため息をついた横で、ヒナが突然「あ~~~~~~~~~~っ!!」と、大声をあげた。

「なんだよ、いきなり」俺が顔をしかめて抗議をすると、ヒナは散らばった本の一冊を拾い上げて表紙をこちらに向け、言った。

「王塚紀一郎! どっかで見た覚えがあると思ったら、これじゃん!!」

 珍妙なイラストが描かれたペーパーバック本の表紙には、毒々しい赤と黄色と黒のグラデーションに、ごっついフォントでこう記されていた。

『日本社会の暗部に迫る! 陰謀File すべては奴らの思いのまま―― 王塚紀一郎 ~平成最後の影のフィクサー~ 揉み消された不都合な真実編』

「いったいなんなんだよ」と、俺は再び、深いため息をついた。ついに先生と親父の間にも、おぼろげながら縁が繋がったわけだ。というか、最初から縁が繋がってたことが判明したのか。

「やれやれ」

「え~、これも手掛かりになるのかなぁ? どうする? まーくん」

「どうするもこうするもないだろう」俺は言った。「とりあえず、まずはすき焼きを食おう」


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