第四章 毛むくじゃらな犬をめぐる冒険2
1. 小野田質舗興亡記
むかしの話だ。
理系の学生だった
といっても、鉄砲と
空から見ても目立つ立川飛行場と、その脇の軍需工場は、とうぜん空襲の標的になり、芳郎は動員されるなりボコボコに空襲に
戦争が終わったので
芳郎はちょっとおっとりした人だったらしく、その火事場泥棒の波にも乗り遅れた。銃だの刀だのヘルメットだの、分かりやすい金目のものは、すでにぜんぶ持ち去られた後だった。芳郎は、綺麗さっぱりもぬけの空となった建屋をとぼとぼと歩き回り、最終的に、背嚢一杯に糸を詰め込んで、歩いて地元に帰った。
この糸が大当たりだった。
終戦後は爆撃で交通網、流通網が壊滅していたので、都市部では食料が不足し餓死者もでるありさまだったが、ちょっと農村部にいくと食べるもの自体はわりとあった。農家に頼めば、物々交換で食料を得ることはできた。だが農家は銃やら刀やらヘルメットやら、そんなものはまったく欲しがらなかった。必要なのは、もっとプリミティブな衣食住に関わるものだった。
衣類だって貴重なので、みんなほつれようが破れようが、
火事場泥棒してきた糸でひと財産を作った芳郎は、戦後の闇市でモグリの金貸してきなポジションになっていた。
ある日、そんな芳郎のもとをひとりの婦人が訪れた。闇市に
「金を
そう言って、婦人は
「拝見いたします」言って、芳郎は
戦後、法の下の平等を定めた日本国憲法の施行により、すでに華族制度は廃止されていた。財産税が導入され農地改革によって土地も取り上げられ、住む家のほかにはなにも渡されず、食べるのにも事欠き、
芳郎は事情を
「それでは、この短刀は大切にお預かりいたします」
婦人に有り金すべてを渡してしまった芳郎は、しばらく苦しい生活を送る羽目になってしまったが、その短刀を流すことはなく、約束したとおりに大切に持ち続けた。
別にその短刀に
芳郎は、戦後の混乱やGHQの大鉈で華族が没落することがあったとしても、それは一時的なものだと固く信じていた。土地や財産を取り上げられたとしても、文化的な資産は、つまり頭の中に詰まった知識や知恵、身に着いた立ち居振る舞いなどは失われない。そして、それこそが華族を華族たらしめている、真の要素なのだ。彼らは必ず、遠からず再興する。自分はそれまで、これを預かっているだけでいい。
芳郎は婦人の身元を訊ねなかったが、短刀の来歴を調べれば見当はついた。
日本が高度経済成長にわいた最初の年の1954年、芳郎は三鷹のとある豪邸を訪れた。
「お預かりしていたものを、お返しに参りました」
多くの華族がその権力の源泉たる土地を手放し没落していくなか、婦人は財産税を延納し、巨額の利子を払ってでも先祖代々の土地を手放すことを回避していた。ドッジデフレをなんとかしのぎ、土地価格の
婦人はもちろん、数年分の利子をきっちり乗せて、短刀を買い戻した。戦後の混乱期、数々の国宝級の一品が二束三文で海外に流出していた。土地を守るためにはやむを得なかったとはいえ、悔しさに歯噛みした。もはや取り戻すことは叶わないだろうと、すっかり諦めていた。婦人は涙を流し、芳郎に感謝した。先祖が江戸時代に天皇から
芳郎は数年間、短刀を預かっていただけでめちゃくちゃ儲かったうえに、元華族の大金持ちと顔見知りになり、吉祥寺で商売をやるにあたって大きな後ろ盾を得ることとなった。戦後の闇市から始まり、店舗も持たずカバンひとつであちこちを飛び回る生活を経て、どうした因果か、十二歳も年下のお
この、小野田芳郎と十二歳年下のお転婆な元華族の末娘の間に生まれた娘というのが、うちの松田龍作推しのばあちゃん、
ばあちゃんのとこに入り婿できたじいちゃんにさっぱり商才がなかったため、小野田質舗は二代であっさり潰れた。
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