第38話 平気

「え? 全然平気だよ」


 わざわざそんなことを訊きに来たの?

 なんて拍子抜けしてしまうけれど、確かに、常に心を読まれる状況というのは、一般的には辛いのだ。わたしだって、妃乃以外の誰かになら、心を読まれるなんて嫌だ。


「……なんで、平気なんですか? だって、心を読まれるんですよ? 人間、心の中までいつも綺麗なわけじゃありません。人に知られたくないことも、ずるいことも、たくさん考えます。家族である私でさえ、お姉ちゃんに全部見られるのは嫌なんですよ? それなのに、他人の水琴さんは、どうして……」

「そりゃ、家族だったら嫌でしょ。わたしが妃乃に全部見られてもいいって思えるのは、家族じゃなくて恋人だからだよ」


 わたしがあっさり言うと、清雨ちゃんは、ほぇ? と可愛らしく呆けた顔をする。


「家族じゃなくて、恋人だから……?」

「わたしだって、自分の親とか、お姉ちゃんに心を読まれるなんて嫌だよ。家族には内緒にしたいこと、たくさん考えてるもん。

 けどさ、そういうのも、恋人になら見せてもいいやって思う。むしろ、見てほしいなとも思う。わたしの全部を知って、その上でわたしを好きになってくれたらいいなって」

「こ、恋人だって……むしろ、恋人だからこそ、見せたくないものもあるでしょう?」

「そうだね。ふとした瞬間に他の人を魅力的に感じたとか、ちょっとしたことで嫌な気持ちになったとか。やばいめっちゃお腹痛いー、とかも伝わっちゃうのは、ちょっと嫌だなとは思うよ」

「それでも、姉と一緒にいるんですか?」

「うん。一度観念すると、もういいやってなっちゃう。取り繕えない生活は、もっとこうしなきゃ、ああしなきゃっていうプレッシャーから解放してくれる。わたし、妃乃と一緒にいる時間、好きだよ」

「……そうですか」


 清雨ちゃんが唇を引き結んで、しばし沈黙。それから躊躇いがちにまた口を開く。


「……私、お姉ちゃんと一緒にいるの、嫌なんです。お姉ちゃんのことは好きなのに、同じ空間にはいたくないんです。……どうすればいいんでしょうか?」


 学校の勉強なんて簡単にこなせるはずの子が、答えを導き出せずに苦しんでいる。

 教科書には載ってない。正解もない。だから、正解らしきものを、手探りで探している。


「……うーん、たぶん、妃乃を今すぐ受け入れるなんて無理だよ」

「無理、ですか?」

「わたしが中学三年生で、お姉ちゃんが心を読める人だったら、わたしだってお姉ちゃんのことを避ける。人として好きだったとしても、避ける」

「……水琴さんでも?」

「だって、心を覗かれるなんて絶対に嫌だもん。それは仕方ないよ。考え方を変えるとか、気持ちを切り替えるとかじゃどうにもならない。今日はムラムラするなぁ、とかまで伝わるのは耐えられない」

「……じゃあ、どうすればいいんですか?」

「わたしにもはっきりとは言えない。ただ……たぶん、五年くらいしたら、案外あっさり平気になるんじゃないかな、とは思う。色々と経験積んだらさ、もうこれくらい伝わっててもいいやって気持ちになってくる気がする。今は一大事のように感じていることが、大したことないって思えるようになる気がする。

 今は……たとえばエッチなことを考えてるのが伝わったら嫌だけど、そのうち、人間誰でもこれくらい考えるじゃんって思えて、伝わったから何? とか思いそう」

「……そんなものでしょうか?」

「たぶん、ね。だからさ、あんまり思い詰めなくていいと思うよ? 妃乃だって、清雨ちゃんの複雑な気持ちは理解してる。一緒にいるのが嫌だからって、自分を嫌っているわけじゃないって理解してる」

「……私、お姉ちゃんのこと、好きなんです。本当に……好きなんです……」


 心は読めなくても、清雨ちゃんが本心から言っていることは伝わってきた。

 そして、自分の言葉に、少なくない葛藤を抱いているのも感じた。


「好きなのに、純粋にそうと思えないのは辛いよね。でも、大丈夫。妃乃を好きなことと、妃乃と一緒にいたくないっていう気持ちは矛盾してない。

 好きな相手だからこそ、家族だからこそ、見せたくない部分があって当たり前。それでも、清雨ちゃんは妃乃を好きだって思っていていい」


 清雨ちゃんの目に涙が浮かぶ。それはすぐに頬を伝って落ちていった。


「……ありがとうございます。少し、胸のつかえが取れた感じがします」

「そう。良かった」

「お姉ちゃんが、水琴さんを好きになった理由も、わかった気がします。私がお姉ちゃんの立場だったら、きっと私も、水琴さんを好きになると思います」


 おっと、急にハーレムフラグ……? なんてことはないか。清雨ちゃんは同性と恋愛するつもりなんてないだろう。


「ま、妃乃のことはわたしに任せてよ。妃乃に寂しい思いなんてさせないから」

「……はい。お姉ちゃんを、宜しくお願いします」


 清雨ちゃんの涙はまだとまらない。無理にとめる必要もない、はず。

 ハンカチを取り出して、清雨ちゃんに手渡す。清雨ちゃんがそれを目に当てて、深い呼吸を繰り返す。その華奢な体を引き寄せ、しばし静かに寄り添った。

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