第37話 わたしの
相変わらず決定的なことが起きない一夜が明けて。
午前十時過ぎに、妃乃が一旦家を出た。
お客さんであるわたし一人を残していくのもどうかとは思うけれど、心を読める人が相手だからこそ勝ち得る信頼だとも思う。わたしは妃乃が困ることなんて絶対しない。
そして、リビングのソファに座り、待つこと五分少々。
玄関の鍵が開き、人が入ってくる気配。
リビングのドアが開いて、妃乃を少し幼くした雰囲気の可愛らしい女の子が現れる。ロングの黒髪を揺らし、桜色のワンピースをはためかせながら、わたしに接近。正面に来たら、すっと背筋を伸ばした後、頭を下げた。
「あの、初めまして。
妃乃に似て大変可愛らしい上、キラキラした光を放っている。年下相手に気圧されそうだよ。
「初めまして。わたしは
清雨が顔を上げて、わたしを見つめる。こいつはどんな人なのだろうか? と探る瞳だ。
「隣、いいですか?」
「もちろんもちろん。ここ、清雨ちゃんの家なんだし」
「ありがとうございます。失礼しますね」
清雨が隣に座る。まだ中学三年生のはずだけれど、接客業でも経験しているのかと思う丁寧な立ち振る舞いだ。
「姉から聞いていると思いますけど、今十四歳の、中学三年生です」
「うん。それは聞いてるよ。中高一貫だから受験はないんだって?」
「はい。高校受験はしません」
「そっか。それなら良かった。妃乃から、すごく頭のいい子だよ、とは聞いてるんだ。普通に東大とか目指せるレベルだとか」
「どうなんでしょうね? まだそういう勉強はしたことがないのでわかりません」
「成績はいいんでしょ?」
「まぁ、学年でもたまにトップは取りますし、全国模試で十番以内に入ることもあります」
「すごい……」
「見方によってはすごいかもしれませんけど、自慢にするようなことでもないです。学校の勉強は決められた範囲のことを取り込んで、それを吐き出すだけです。
それも基礎として大事なことではあると思います。けれど、将来的に必要なのは、正解がわからない未知の問題に向き合い、手探りで正解らしきものを見つけだす力です。例えば、温暖化に関して、実現可能な対策を考案するとか。
学校の成績が良くても、その先の果てしない学びと試行錯誤に挑む気概を持ち、正解とも不正解ともいえない曖昧な領域で力を発揮できなければ、結局はコンピューターの圧倒的な下位互換に過ぎません」
うわぁ、頭良さそうなこと言ってる……。
ちょろっと小説を書くくらいしか能のないわたしからすると、生きている世界が違うと思ってしまう。
「……清雨ちゃんって、いわゆるギフテッドみたいな感じなのかな?」
ギフテッド。雑に言えば『天才』と似た意味合いで、一般人よりも圧倒的に優れた集中力や記憶力を持つ、特別な存在。学校生活の中では、他の人から浮いてしまうので息苦しさを感じることもあるらしい。
「さぁ、どうでしょう。私は自分を普通だと思っていますけど、周りから見たらそうなのかもしれません」
「そっかそっか。……清雨ちゃん、学校生活とか大丈夫? 辛いこと、ない?」
「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫です。小学生の頃は周りと合わない感じがありましたけど、今はさほどでもありません」
「なら、いいかな」
余計なお世話だけれど、一安心。
軽く安堵の溜息を吐いていると、清雨は意外そうに言う。
「……水琴さんは、こんな話を聞いても、特に嫌な顔はされないんですね」
「嫌な顔? 何で?」
「……大抵の人は、何かしらの点で秀でた者を見ると、嫉妬や嫌悪を抱くものです。お前の自慢話なんて聞きたくないよ、という態度も取ります。こちらに、自慢する意図などなかったとしても」
「清雨ちゃんはすごいと思うし、羨む気持ちはあるよ。でも、清雨ちゃんにならなくても、わたしはわたしの幸せを掴めるもん。それなら、嫉妬も嫌悪も必要ないでしょ?」
「……そうですね。そうだと思います。ただ、たったそれだけのことを理解できる人は、案外少ないものだとも思います」
「……かもね」
わたしが小説を書いていなければ。銀子に出会っていなければ。妃乃に出会っていなければ。
もしかしたら、清雨ちゃんに負の感情を抱くことがあったのかもしれない。
「
「うん。何?」
清雨ちゃんは一拍置いて、それから言いづらそうに口を開く。
「……お姉ちゃんと一緒にいるの、辛くないですか?」
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