第11話 困惑中

「わたしたち、どうして手を繋いだままなの?」


 都心の天雲駅に着いてもなお、妃乃はわたしの手を離そうとしない。仲良く手を繋いで歩いている。

 嬉しいよ? 離したくないよ? だけど、なんでこうなっているのかはっきりしなくて、戸惑うばかりなのさ。


「人肌って気持ち良くない? それとも、瑠那はこういうスキンシップは苦手?」

「……苦手ってわけではない」

「じゃあ、いいね。私の快楽のためにその手を差し出し続けて」

「快楽って……。その言い方は卑猥すぎない?」

「卑猥だと思う人の頭の中が卑猥なんだよ。やっぱり瑠那はエッチだなぁ」

「違うし! 全然そんなんじゃないし!」

「必死に否定するのは怪しい」

「怪しくない!」

「はいはい。まだお店が開くまで時間はあるし、そこの公園に行っておしゃべりでもして待とうよ」


 時刻は九時十分。近隣のお店が開くまでだいぶ時間がある。

 

「……うん」


 妃乃がわたしを引っ張って、駅近くの広場に到着。まだ朝が早いからか人は少なく、ベンチにも座れた。

 それから三十分程、妃乃が率先して話を振ってきて、わたしがそれに答える形に。

 その後、妃乃が改まった調子で尋ねてくる。


「あのさ、瑠那。もし……もしも、だけど。自分の好きになった相手が……人間じゃなかったら、どうする?」

「……人間じゃないっていうのは、具体的には何?」

「うーん、例えば、吸血鬼」

「これって、真剣に考えた方がいい奴?」

「……かも」

「ふぅん……? じゃあ、少し真面目に。吸血鬼でも、人間を滅ぼそうとするような怖い奴だったら、人外との恋愛なんて無理」

「心優しい吸血鬼だったら?」

「むしろ好物」

「ぷっ」

「な、なんだよぉ。笑うなよぉ」


 いいじゃん。吸血鬼。心優しい人外を嫌いな人間なんてこの世に存在するの?


「ごめんごめん。バカにしてるわけじゃないの。やっぱり作家さんはそういうのに寛容だなぁって思って」

「あくまで素人作家だし。っていうか、人外を愛でるのは物語好きにとっては一般教養みたいなもん」

「そう……。そうかもね。じゃあ、エルフとか、獣人でもいいんだ?」

「何がいけないのかわからない」

「なるほどなるほど。なら、人外とはいわないけど、魔法使いは?」

「一緒に色々遊べて楽しそう。ありだよ」

「そっか」

「うん」


 まだ質問が続くかと思ったら、妃乃が口を閉ざしてしまう。

 え? 終わり?


「……これ、なんの質問だったの?」

「もしも」

「うん」


 妃乃が口を開いて。だけど、言葉にはならない。

 きゅっと唇を閉ざし、似つかわしくない険しい表情。


「妃乃、どうしたの? ごめん、状況が全然わからない」

「……ごめん。この話は、また後にしよう」

「うん……。わかった」


 はぁー、と妃乃が深い溜息。


「瑠那にはさ。たとえ恋人相手であっても、秘密にしておきたいことって、当然あるよね」

「それは……うん」

「だよね」

「でもさ」

「でも?」

「本当は、秘密にしたいことも全部ぶちまけて、それを丸っと受け入れてもらえたら、それが一番幸せだとも思うよ」

「……そっか」

「難しいことだとは思う。わたしだって誰だって、いつでもいいことばかり考えてるわけじゃない。気分がいいときばかりじゃない。暗いことだって考える。嫌なことだって考える。自分だけの秘密にしておきたい失敗だってたくさんある。

 好きな相手のこと、いつでも最大限に好きな気持ちが溢れてるわけじゃない。言葉にしたら絶対に相手を傷つけちゃうだろうことも考える。少なからず、相手の気持ちを踏みにじったり、裏切るようなことだって考える。

 そういうの、全部知った上で受け入れてくれる人なんて、いるわけないよね。

 恋人相手だからこそ、大切な人相手だからこそ、秘密にしないといけない部分がある。

 わたしの言ったことは、単なる願望。つまらない妄想だよ」

「……瑠那って、やっぱり作家だけあって、考えが深いね」

「作家って呼ばないでよ。素人なんだから、そんな呼び方されるとむずむずする。単なる小説書きだよ」

「そう。小説書きさんね。……今はただの小説書きの瑠那。でもきっと、将来素敵な作家になると思う。楽しみ」

「……期待しないで待ってて」

「ううん。期待してる。瑠那は、素敵な作家になる。間違いないよ」

「……変にプレッシャー掛けないでよぉ。小説書きのメンタルは繊細なんだからね。批判的な言葉一つで、もう書きたくないってなっちゃうこともあるくらい」

「私は批判なんてしてないよ?」

「過度な期待もダメ! 期待に応えないといけないって思うと、それもまた書けなくなる原因になるの!」

「そっか。難しいんだね」

「うん。そう。過度な期待禁止」

「わかった。期待してるのは、秘密にするね」

「……だったら言うなし」

「ごめんごめん」


 妃乃が空を見上げる。そして。


「綺麗な青空だね。瑠那なら、これをどんな風に表現する?」

「無茶ぶり……。あのねぇ、小説書きにそういう変な無茶ぶりするのも良くないよ? とっさにいい言葉が出てくるわけでもないし、書くのとしゃべるのは違うし」

「ごめん、瑠那が困ってる顔を見たくて」

「性格! 性根腐ってない?」

「発酵してるって言って」

「同じ意味!」

「ほらほら、それより、この青空、どう表現するの?」

「え? 本当にやるの? ううん……」


 気は進まない。

 それでも、妃乃の要望だったら、応えないわけにもいかない。


「『清々しすぎて、心が悲鳴をあげてしまいそうな程の青い空。無理矢理人に活力を降り注ごうとしているみたいで、どうにか形を保っているだけの繊細な精神を宿す者にとっては、直視するのをご遠慮願いたい空模様』」

「卑屈っ。え、瑠那って意外と根暗?」

「根暗で悪かったね。小説を書く人なんて、皆どこか屈折してるもんだし。偏見だけど」

「そっかー……。うん、でも、そういう屈折した部分が、人の心に寄り添う力になるんだろうね。痛みを知る人は、他人の痛みにも敏感らしいし」

「だといいけど。ただ、わたしとしては、短所を無闇に長所化して見るのもどうかと思う。短所は短所のままで、受け入れてもいい気がする。自分のことが嫌いだって受け入れてこそ、先に進める人もいる気がする」

「……瑠那のそういうところが、人の心に寄り添ってるってことなんだよ」


 妃乃の手にきゅっと力が籠もる。

 温かい手。ずっと離さないでほしい。一生、握り続けていてほしい。


「そろそろお店も開くね。行こうか?」

「……うん」


 妃乃が立ち上がり、わたしも続く。


「瑠那は何か見たいところある? ないなら、私の定番コースを巡っていくことになるよ」

「それでいいよ。わたし、本以外あんまり買わない」

「小説書きさんらしいなぁ」

「作家気取りだって?」

「違うってば。瑠那もだいぶ性格捻れてるね? ま、とにかく行こっ」


 妃乃と並んで歩く。わたしにとっては、それだけでもう十分だよ。

 どこに行くかなんて関係ない。妃乃がいてくれればそれでいい。

 妃乃は、わたしとどうなりたいんだろう? ストレートに解釈すれば、妃乃は……わたしに、少なからず好意を抱いていると思っていいはず。

 頭ではわかっているのだ。それをどうしても信じられないだけで。妃乃にとって、自分がそこまで魅力的な存在であると思えない。

 妃乃の手を強く握り返す。

 思わせぶりな態度ばっかり取ってたら、わたしも歯止めがきかなくなるよ? 本当にいいの? ……心の中は、そんな疑問で一杯だ。

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