第10話 可愛い

 美人だともてはやされることはない代わり、容姿のことで何か悪口を言われることもない。自分の容姿を評価するのは苦手だけれど、きっと自分は可愛い部類なのだと信じ込んでいる。不細工だと信じるよりは健全だろう。

 身長百五十五センチ、太ってもいないし、痩せすぎでもない。髪は無難にボブにしていて、気分に応じて髪を結ぶ。土曜日の今日は、幾何模様のヘアピンをつけるだけで、髪は下ろしたまま。

 そして、おしゃれという概念はちゃんとわたしの中にもあるのだけれど、実のところおしゃれは得意じゃない。

 そんなわたしは、白のワンピースに、ピンクベージュのカーディガンを羽織っている。黒のサコッシュは愛用品で、まぁだいたいどこに行くにもこれを使っている。

 妃乃とのお出かけに、特別な意味などない。だから、ごく普通に、当たり前みたいな格好をすればいい。変に着飾る方がおかしい。うんうん。

 天気は快晴。午前八時半に、わたしは星見駅の改札を抜けた。

 待ち合わせの場所は星見駅の北口前にある広場なので、わたしはそこで妃乃を待とうと思っていたのだけれど……。


「……先に来てるし。九時待ち合わせじゃなかったの?」


 広場のベンチには既に妃乃がいて、わたしを見つけてひらひらと手を振った。

 妃乃も特別に着飾った様子はなくて、ベージュのカットソーに黒に近い紅色のスカート。手には可愛らしい手提げバッグ。緩く巻いた髪を首の後ろで一つにまとめているのは、普段と違うスタイル。

 好きだぁ……。

 出で立ちとはたぶん無関係に、その姿を視認するだけでわたしはそう思ってしまう。

 好きで好きでしょうがない。わたしはそういう風になってしまっている。

 わたしが固まっていると、妃乃の方からこちらに駆けてくる。


「おはよう! 私服の瑠那って可愛いね。そのヘアピンなんか、学校では絶対してこないし」

「あ、うん……。あんまりアクセサリーを付けるのは得意じゃないんだけど、私服だし、このくらいなら……って感じかな」


 褒められるのは嬉しい。思わずワンピースを指でよりよりしてしまう。


「もったいないね。可愛いんだから、もっとおしゃれもすればいいのに」

「……はいはい。お褒めに与り光栄です」

「ん? 可愛いって言われるの、慣れてない? どこのウブヒロイン? 少年漫画に登場するための役作りでもしてるの?」

「そんな役作りしてないから! べ、別に、可愛いとか、言われ慣れてるし! 学校に登校した瞬間に可愛いね、街を歩けばあの子可愛いね、SNSに写真をあげたら可愛いね。もう言われ慣れすぎてうんざりしてるところ」

「見栄っ張り」

「見栄とかじゃないし!」

「そうね。ただの冗談だもんね」


 ふふふ。妃乃が妙に嬉しそうに笑う。


「っていうか、妃乃、来るの早すぎじゃない? まだ三十分前だよ?」

「瑠那はきっとこれくらい早く来るだろうと思って」

「なんでそんなのわかるわけ!? エスパーなの!?」

「ううん。占い師。未来が見えるの。それで、今日は瑠那が三十分前に到着するのがわかったんだ」

「はいはい。またそうやってからかう……」

「本当だよ? 例えば……今日、瑠那のお昼ご飯はパスタとサラダね」

「いや、それ、単に今日の予定じゃん。パスタのお店に行くっていう」

「おっかしいなぁ……。瑠那だったらこれくらいでも騙されてくれるはずだったんだけど……」

「わたしをどんだけアホな子だと思ってるわけ!?」

「ちょびっと」

「そこは否定するところ!」

「あはっ。ま、とにかく行こうよ」


 妃乃がわたしの手を取り、駅の中に導いていく。いつもと違う爽やかな香りも鼻孔をくすぐる。

 いや、手を繋ぐ必要ないでしょ……。だからって、ふりほどくことなんてしないけれど。

 改札を抜け、都心部方面の電車を待っていると、妃乃がふとこちらを振り向く。


「そういえば、瑠那に可愛いって言ってもらってない」

「それ、自分からおねだりすること?」

「女性社会の掟みたいなもんでしょ?」

「身も蓋もないことを言うのね」

「それでもいいから、瑠那には可愛いって言ってもらいたいなぁ」

「なんでさ……。カ、カップルでもあるまいし……」

「可愛いって言ってもらえるだけで、気分は盛り上がるでしょ? で、どうなの?私、可愛い?」


 にっこり笑顔の妃乃。可愛い。すごく可愛い。泣きそう。

 思いの丈をそのまま吐き出すと大変なことになってしまうから、軽く深呼吸して、視線を逸らしつつ、なんでもないことのように呟く。


「……可愛い」

「ありがと。嬉しいけど……なんで目を逸らすの? 私、実はそんなに可愛くない?」

「う、うるさいなぁ。面倒くさい彼女みたいなこと言わないでよ。妃乃は可愛いってば。可愛い可愛い、超可愛い! 世界で一番可愛い女の子!」


 わたしにとっては、本当に。

 だから、直視なんて続けられない。


「へへ。満足したわ。ありがと」

「……こういうのは、彼氏にでもしてもらいなよ」

「彼氏いないし」

「作らないの? 引く手あまたでしょ」

「私、男の子ってちょっと怖いんだよね。だから、今のところ彼氏は無理かな……」


 ひょうきんな雰囲気が一転、そっと心の内側を覗かせるような声音。


「怖いって、どういうこと? 何か嫌なことでもあった?」

「嫌なこと……って程ではないかな。ただ、男の子の恋愛感情って、少し圧力が強い気がして……まぁ、要するに、強い性的な欲望と恋愛感情の入り交じった感じが、私には辛くてさ」

「……へぇ。意外と清純派? この前は、性欲に否定的ではなかったと思うけど」

「清純派なんて言わないよ。ただ……男の子の性欲と女の子の性欲はだいぶ色が違っていて……。黒々しい赤とピンクくらいの違いがある、ように感じてる。だから、男の子は少し怖い」


 きっと、妃乃はわたしとは比較にならないほど、たくさんの男子から性的な目を向けられてきている。だから、そういう質の違いに敏感になる。


「男の子の恋愛感情は、確かに怖いね」

「うん。私がもう少し大人になれば、そういうのも平気になるかもしれないけど」

「じゃあ……も、もしかして……」


 この先の言葉を口にして良いか迷ったのだけれど。結局、感情がこぼれるように言葉が漏れた。


「……今は女の子と付き合いたい、とか考えてるの?」

「……そうだよって言ったら、どうする?」


 妃乃が意味深な笑みを浮かべる。

 この答えは……本気なの? それとも、わたしをからかおうとしている?


「ど、どうするって……どうも、しないでしょ……」


 本気だったとしたら……わたし、どきどきがとまらないよ。妃乃に、この気持ちをぶつけてもいいってこと?


「……そう。ちなみに、瑠那は女性同士の恋についてどう思う? あり? なし?」

「え、や、それは……あり、だと思うよ。今時、それを明確に否定する人の方が少数派じゃない?」


 うん、うん、これくらいは言っていいはず。何もおかしなことは言っていない。


「そっか。良かった良かった」

「……何が、いいのさ」


 妃乃は答えない。ニッと笑うだけ。

 この思わせぶりな言動。その意味するところは……?

 変な想像が膨らんでしまう。ありえないって思うのに、普通に解釈すればそういう意味だってのはわかってしまって、落ち着かない。

 電車がやってきて、わたしたちは手を繋いだまま電車に乗り込む。

 わたしの手を離そうとしない妃乃。

 この手の温もりが答えなのだと、たぶん、心の底ではわかっている。

 頭の理解が追いついていないだけで。

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