第36話 追走


「悪かった、こんなとこまで付き合わせて。なんとかなると思ったんだが……」


口いっぱいにチャーハンを含んだトミイの顔がこちらを見ていた。


「コウテンを拾って逃げてくれ、あとはこっちでどうにかする。お前なら見つからないはずだ」


トミイが首を縦に振り、チャーハンを急いで完食し器を空にするとコウテンを持ち上げそのまま小走りで外へと出ていった。


「あのねーちゃんはどこにいくんだ」

「ドラッグストアに買い物だよ、介護用のオムツとか必要だからな」

「……悪魔を操る気分ってのはどんなもんだ」

「なんとも言いがたいな」


シノザキの視線は俺の額をみていた、ハゲに対する侮蔑ぶべつの表情ではない。

なにかを思案している、いや決断したような。


「頭からよ」

「なんだ」

「血が出てるぜ」


迷彩柄の脚がテーブル上に見えた。それと同時に胸ポケットからネイルハンマーを引き抜き、即座に停止空間を使用する。灰色の空間が広がった。蹴り倒され斜めになった折りたたみ机とその上にあったラーメン汁が、津波のように盛大にこぼれたままの姿で固定された。


「良くないな、お前はすぐそれだ」

「それでこの魔法のあとは?」


シノザキが椅子から立ち上がる、俺も立ち上がりハンマーを構えた。


「理由は分からんが、もうまともに悪魔の協力が得られてないらしいな」

「やはり改心したんでは?」

「あるわけない、ほら、今すぐ首を折ってみろよ」


回り込んできたシノザキのブーツの底を向けた蹴りが放たれる、両腕と自慢の腹筋を使いなんとか防御するが骨がひどく軋む、悪魔ガードはまるで機能していない、久々に感じる強烈な痛みだ。反撃としてハンマーを振ったが避けられた、追撃として何度か振るうも距離をとられ簡単に回避されてしまう。


「そのカナヅチ振るだけか? 火吐き出したり空飛んだりはできないのか」

「俺はドラゴンじゃないんでね」

「戦闘経験がないな、鍛えてるだけだろあんた」

「普通に生きてたらこんな事態にならないんだよ」


シノザキがボクサーの構えをとり、左ジャブを連続で打ってくる。悪魔の筋肉を使えない以上、俺は自前の筋肉で防御するしかないがブーツで蹴られた直後のせいでひどく腕が痛い。痛みに気がいき僅かに防御が下がった瞬間に側面から飛んできたフックを頬に食らい一瞬視界が歪み口の端から血が垂れ流れて来た。


「防御は無理か」


セコンドの赤い悪魔に話しかける。


「駄目だ、腕が上がらねぇ」

「なら仕方がない」


ハンマーを振り回し牽制しながらシノザキに話しかける。


「聞いたぞ、元自衛隊なんだってな」

「それがどうした」

「訓練ってのはきついんだろ、今でも体力には自信はあるか?」

「あんたよりはな」

「言ったな」


ハンマーを収納し、脱力してべろんべろんになった赤い悪魔の身体を掴み鞭のように横に振った。特別威力はないが、形の見えない攻撃に二人は怯む、その隙に赤い悪魔を小脇に抱え停止空間を解除しシャッターの方へと全速力で駆けだした。


「逃げやがった」

「では追いかっこしましょうか!」

「あんなのに負けるかよ、イガリさんが来るんだから待ってろ」


背後からガツガツと地面を蹴り上げる音が迫ってくる、ミリタリーブーツを履いているというのにシノザキの足はやたらと速いようだ、しかし背後を振り返る余裕はない。錠の崩れ落ちた門を通り抜け、住宅街を走った。


「まじの形相で追っかけてきてるぜ、どーすんだよ」

「そのまま監視任務を続けてくれ」


アスファルトで舗装された道をひたすら走る。こっちが一日中全力疾走しても決して息切れすることはない肉体だというのをあいつは知らない。優位性がある内にとにかく走る。赤い悪魔を脇に抱えているせいでラグビーをしているみたいだったが、こっちの事情をしらない通行人には不審者にしか見えないだろう。夢の中を走っているようだ、風を切っている、どれだけ地面を蹴っても息切れを起こさないのだからスピードが乗り続ける、今の俺の脚はその辺の原付バイクよりずっと速い。いくらあいつが元軍人で鍛えているといった所で無限スタミナを持つ悪魔と全速力持久走大会をして勝てるはずがない。走力勝負は俺の勝ちに決まったようなものだ。


「あっ、おっさんやべぇ」

「なんだよ」


左肩に鋭い痛みが走り夢から覚めたが立ち止まる余裕はなく、走り続ける方に意識を集中する。


「いってぇ」

「ナイフだ、肩に突き刺さってるぞ」

「クソが」

「あいつ走りながらブーツからもう一本ナイフ引き抜いてるよ、器用だなぁ」

迂闊うかつだった、身体チェックして丸裸にしておくんだったよ、奴との距離はどのくらいだ」

「停止空間に入り込むくらい近い」

「なんだよ、まじクソ。なんかいいアイディアはないか?」

「このナイフ引っこ抜いて、走りながら道端の通行人の脇腹に次々にぶっ刺すってのはどうだ?」


背後から迫るナイフに当たらないようジグザグに走り、わき道を見つけ次第そちら側へと曲がった。ガンッとどこかの壁に投擲されたナイフが当たったであろう音が聞こえた。何故か歩道には子連れの夫婦が多くいて、親子の視線はみな全力で鬼ごっこをするいい大人達に釘付けになっている。通報されるかもしれない。それが一番都合がいいだろうか、警察がパトカーに乗ってやってくれば否応なしに注目されることになり、そこでまたひと暴れすれば悪魔のチカラも蘇り……。


「それすぐに効果出るのか?」

「あの動画の再生数によるな」

「じゃあ駄目そうだ」

「だからあのとき車でニンゲンの列に激突しておけばよかったのに」

「後悔ってのはいつでもあとからやってくるんだ」


目立ちたくはないし、ヒーローという存在にもなってみたかった。こういう思考は矛盾しているんだろうし人助けというのは人の頭を砕く事ではない。通行人の悲鳴が聞こえる、肩にナイフが刺さり顔から出血しているスーツのハゲが本気で走っているのだから当然だろう。もはやパトカーに乗った警官が駆け付けるのも時間の問題だ。


「俺はヒーローになれると思うか?」

「悪魔がもてはやされるのは物語としてポピュラーな展開だぜ」

「ならやる価値があるな」


体感で五分は走っている、しかしシノザキは追跡を止めていない。足音は一定の距離を保っている、息を大きく吸い込む。


「俺は悪魔だ!!!」


空に向かい叫ぶと道の先にいるニンゲン達が一斉に振り返り、怪訝けげんそうな表情で見つめてくる。俺はその隣を颯爽さっそうと走り去る。


「どうだ?」

「いや全然だめだわ」

「まぁそうだろうな」

「もっと明確に影響を与えてくれ」

「なら殴ってもよさげな手ごろな相手を探しだせ、いるだろ世紀末モヒカンみたいなのがその辺に」

「都合よくいるわけねぇだろそんなの、あのシスターも言ってたろ、誰でも罪人だって、だからおっさんは善悪気にせず自由に誰を殴り殺してもいいんだ」

「そうなのかもな」


それから十分以上走り続けると、あれだけしつこかった足音は流石にもう聞こえなかった。


「撒いたか?」

「やるじゃん、逃げ切ったぞ」

「ニンゲンごときの脚じゃ悪魔の脚には勝てないんだよ」

「で、どーすんだよこれから、後先考えずにあの場から脱出したんだろ」

「走っている間に考えはできた、仕上げにこれを見に行こう」


シルバーのフレームにグリーンのボード、町内会の掲示板が設置してある。宗教の勧誘、地域清掃、浄水器の販売等いくつもの胡散臭いチラシが貼り付けてある中で一際目立つお知らせがあった、全身に赤色のスーツを着たヒーローがポーズを決めている。本日はこの街のショッピングモールの一階でヒーローショーが開催される当日だった。

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