第27話 歌
俺の前で大きな口が開かれる、牙だらけの口内が見えたが音を発していない、何も聞こえないのかと思い耳を澄ましていると、キーンと耳鳴りがしていた。徐々にその音は高くなり、超高音のおたけびへと変わった、戦闘機が真横を通過したような、脳をつんざく衝撃に思わず耳を押さえた。
「やべぇな」
「だろ?」
「日常会話がそれか、悪魔社会に馴染めるか心配になってきたよ」
「すぐ慣れるさ、しかしこんな不特定多数のおっさん汁が染み込みまくった空間に居てよく平気だな。気にならねーの」
「そこは気にしないようにしてるんだから言うんじゃない」
ただじっと熱に耐えていると何処かで聞いた覚えのある鼻歌が聞こえてきた、段差の端っこで足をぶらつかせている赤い悪魔が歌っているのは、俺と最初に出会った時のと同じものだった。
「それなんの歌なんだよ」
「しらねーの?」
「おっさんはテレビを見てても流行りには疎いんだ」
「イタリアのオペラ、誰も寝てはならぬ。有名な曲だろ」
「教養が無いから知らねぇな」
「聞いたことくらいあるはずだぜ、ふんふんふーんふふん」
「お歌が下手なんだよ」
「あぁ?! アイドルとしても食っていけるわ!」
「画面に映らないアイドルか、いいんじゃないかスキャンダルもみつからんし」
「目指してみるかなぁ」
「頑張れよ」
「人生挑戦するのをやめたらダメだぜ」
「そうだな」
十分に体に熱が行き渡ったので外に出て汗をかけ湯で流し、水風呂に浸かろうとすると俺の隣をすり抜け小さな飛沫があがった。
「ひゃっほー!」
ばしゃばしゃと水をかき分ける赤い悪魔は、体が軽いので沈まずに水風呂の表面に浮かんでいる。
「水風呂には汗を流してから入るんだよ」
「汗なんて一滴もかいてねーし」
「ならよし、つめたくないか」
「いやぜんぜん、吹雪の南極でもご機嫌に散歩出来るぜ」
「すげーな、ペンギンみたいだ」
「ペンギンって美味いのかなぁ、味の記録がないんだよ」
「貴重な保護動物を喰おうとするんじゃない」
「ニワトリは良いのにペンギンは駄目だなんておかしな理屈じゃないか」
「ペンギンは養殖されてないからな、単純に数の問題だ」
「ニンゲンの養殖は? 数も十分だぜ」
「おい、お前人を喰うタイプの悪魔だったのかよ」
「くわねーよ、どうせその手の悪魔のイメージは服着たニンゲン丸ごとバクバクするバカバカしいアレだろ。ウシを洗わずに解体もせず調理もせず生まれたままの姿でそのまま噛みついたりする奴がいるかよ」
「いたらやべーやつだな」
「悪魔は知性の塊だぜ、ナイフとフォークを使うし高級ビーフが好きだ」
「俺も加工された牛丼は好きだな」
「加工されたもんを喰う奴は頭がいいんだよね、文明の証だよ」
「なるほどねぇ」
十分に体が冷えたので水風呂からあがり、露天に出て寝そべれるタイプのチェアに背を預け空を見上げるとこんな都会でも真っ暗な夜の闇で星々が輝いていた。死体を掘り返しに行ったイガリ一行も星空に視線をすこしでも向けたのだろうか、それとも俺を陥れる為だけにただ一心不乱に汗をまき散らし夜の山を駆けまわったのか。一体なにがそこまでさせるんだ、溢れんばかりの正義の心か?ヒーローなんて存在しないというのにご苦労なことだ。
「マジで疲れたな」
「なに言ってんだ、疲れ知らずの肉体だろ」
「心は消耗品なんだよ、嫌になることばっかだ」
嫌な仕事から解放されても、逃げ場はない。
逃げなくては、逃げなくても良い、逃げ切れる。
逃げるな、逃げる必要などない。
「……あまり時間が無いぜおっさん」
「あん?」
「人生は短いんだ」
「悪魔になったんだから俺の寿命は延びてたりしないの?」
「かわってねーな」
「なんだよもう」
「アマエチャンからすりゃニンゲンのイノチの続く時間なんて一瞬だよ、知ってるか星の寿命はイチ億からヒャク億くらいあんだぜ」
「なげぇな、長すぎる。そんなに生きたくはない。ほどほどが一番だ。……んで悪魔はどんだけ生きるんだ」
「概念を
「いつ死ぬんだよ」
「死のうと思った時に」
「あるじゃねーか、自由意志が」
「悪魔は絶望しないんだ」
「そうか、矛盾って奴だな」
「それが存在する限り続くのさ」
「そういうとこだろうな悪魔に共感できたのは」
「どうしてさ」
「なんか、そう思ったんだ」
「適当だね、でもそういうもんか」
星空を眺めているとまぶたが重くなってきた。
「疲れないはずなんだが、なんか眠いな」
「習慣だよ、染み付いた行動は必要なくなってもやり続けるもんだ。映画のゾンビみたいにな。死んで腹減らねーのに肉食ってるやつ」
「ゾンビのおっさんは嫌だな」
「なぁ、おっさん」
「なんだ」
「お星さまが綺麗だぜ」
眠い、ただ眠かった。反射、反応、刷り込み、習慣。記憶の連続だ。星を見ても綺麗だという感情が湧いてこない、俺よりもこの悪魔の方が感情の起伏がありそうだった。夜が来ると眠らなくてはならない、朝が来たらスマホのアラームが鳴る前に目が覚める。起床、食事、仕事、雑談、休憩、睡眠。生きる為に情報を得る、ネットでテレビで電子書籍で。死ぬまで続くルーチンワーク。
そして人が現れたら無性に殺したくなる。……いや、そうはならないだろ。こうなる前は誰も殺してはいない。習慣はどこからやってきた。どこからでもないか、俺自身の内側からか。憎しみと殺意とは誰もが持っていて、抑え込んでいるものだ。壊したい傷つけたい犯したい殺したいと思考の中だけで存在する衝動が、赤い悪魔に出会ってしまったこと破壊された、タガが外れたんだ。善悪の基準があるとすれば俺は間違いなく悪で、善はなく、それでも天国と地獄どちらも選ぶ権利がある? 何故だ? ぐちゃぐちゃの思考は睡眠前の兆候だ、ただ身を任せよう。
「おやすみ」
引きずられる、鎖が全身に巻き付いている。空は青く、温かい日差しが射し込んではいるが俺は空中を転げまわっている。浮かんでいるはずなのに地面を感じる。それでも浮かんでいる、周囲はふわふわでざらつく。四方を囲まれているようで解放されている。隙間だらけの鳥籠にいるようで皮膚がビリビリとひりつく、地面はないのに摩擦している、静電気が発生している、小さな光の粒を放っている。大怪我をしている気がするが痛みはなく、むしろあたたかい。
「止まれ止まれっ、とまれって! どうしたんだよリラ!」
異世界の洋風建築の路地裏でタカギが必死に叫ぶ目の前には、右手にナイフを持って近づく虚ろな瞳の巨乳の彼女が居た。修羅場だろうかと思ったがリラと呼ばれた巨乳の少女の皮膚は所々変色しただれていた。タカギは俺より優れた停止の魔法を使いたいらしいがそれは一向に発動しないようだった。彼女を止めようとしているのか、時間を止めようとしているのかよくわからない内にタカギの腹部にナイフが深く突き刺さった。ナイフが引き抜かれ、血が大量にあふれ出す。二発目が繰り出される前にタカギがうめき声とともに蹴りを放つと巨乳の彼女は仰向けに倒れこみ、その隙にすかさず地面を薙いだ金色の剣が首を切り離した。首はゴロゴロと路地裏を出て大通りへと転がっていき、市民の悲鳴が響いた。
「ヒ、ヒーリングポーション。最上級!」
タカギの右腕が上腕部まで消え、手探りで探しだした金色の試験管に入った赤い液体を腹部に垂らすと傷はみるみる内に癒えていき、ほぼ一瞬のうちに塞がった。
「どうなってんだよ神様!」
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