第16話 テレパシー

「うばぁ!」


ババアは奇声をあげながら今入って来たばかりの透明な扉へと強く激突して、頬と腰を押さえている。アイテム空間へと放り込んだばかりのどうしようもなくなったニホントウを取り出し、老剣士の上段の構えを真似る。切れ味は大分落ちてしまったがそれでも十二分に威力はある。


「やっ、いやっー! だれかあああー!」


叫び声が木霊するが、どこにも届くことはない。必死にドアを押し外に出ようと試みているが、逃げ場も無い。扉が血で赤く染まる、殴られた際に口内を切ったのだろう、左手で抑えた口からはボトボトと大量に血を垂れ流していてそれが扉を汚していた。大した負傷ではない、本気で殴ったら意識不明に陥ってしまうから手加減もした。生きた巻藁で試し斬りという奴を一度やってみたかった。


「バアさん、殺されるまで相手をコケにするのはよくないなぁ」

「ひっ、ひとごろし」

「まったく、あんた言葉でも人を苦しめて殺せるってのがわからないのか」

「だれかっ! だれかいないの!」

「喧嘩を売ったのはお前だろ、自分でどうにかしろ」

「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!!!」

「ダメだ」


横に振ると洗濯機に当たってしまうが、縦に振るならばなんら問題ないだろう。開かない扉を全身を使い必死に開けて逃げようともがく背中を目掛けカタナを振り下ろした。バックリと背中が開き、飛び出した血液の噴流ふんりゅうが蝶の羽みたいにみえた。昆虫採集に勤しんだ少年時代を思い出す。蝶を虫取り網で捕まえた後は、力を込めずに丁寧に羽を掴む。潰さないように、傷つけないように、思いやりをもって、それでも指はキラキラと輝く鱗粉りんぷんにまみれる。蝶は捕まえても飼育には適していない、飛んでいるからこそ美しいのだ。羽を畳んだ姿でケースに張り付いているのを見ても面白味はない。その上あいつらの主食は花の蜜だからやっかいだ、家の中にお花畑など用意できない。だから飼っていたカマキリの生餌にした。


当時はなんとも思わなかった、それは自然のあるべき姿だから、だが一緒に遊んでいた同年代の子供から残酷だねと言われて以来、蝶を捕まえるのは止めた。残酷な行動はするべきではないという道徳心が心の泉の底からポコポコと湧き上がってきた訳ではない。ただ命はたいせつで平等だというよくわからない同調圧力に屈しただけだ。と、過去の苦い思い出をい振り返っていると赤い悪魔が言った。


「おっさん、こいつ黒いぞ」

「おい、マジかよ」


血の赤黒さとは別の黒の輝きがあった、深淵しんえんをのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている、ババアが俺の顔を覗き、俺がババアの内側を覗く、そしてその内側からは黒の輝きが放たれる。確かにババアは黒かった。なんてこった、こんなやつ異世界送りにしたくはない。トミイとの約束もある、しかしあいつは既に家に帰ってしまっただろうしはっきり言ってババアはもう致命傷ちめいしょうだ。いまから緊急治療室に運び込んでも間に合うとは思えない。血の洪水を止める手段はない。


「死ぬなー!!!」


だが俺は叫んだ、叫ばずにはいられなかった。命の大切さをふんわりと思い出したばかりだというのにやってしまった。ババアはもう息をしていなかった。眼を見開いて眉はさがり、口は半開きのままで恐怖の表情を浮かべている。つまり異世界に行ったのだ。


「おまっとさん、次の能力だ」

「ダメダメ! 駄目だっつーの!」

「そんなん言われてもなぁ」

「いじわるばあさんなんて異世界送りにしたくねぇよ。誰が見るんだそんな世界」

「でももう殺しちゃったぜ? 死んでるじゃんババア」


渾身の力を込め斬ったババアは、背中からケツにかけて深い裂傷がある。血があちこちに飛び散り、汚れを落とすはずのコインランドリーは血のシャワーのせいで安っぽいお化け屋敷みたいな有様に変貌してしまっていた。


「ほんとだよ、どうすんだよこれ」


「何はともあれ、追加能力はぁぁぁぁぁ! ドドン! 念力会話! いわゆるテレパシーだ! 大体糸電話位の距離感覚で脳内の思考を他者に伝えられるぜ! これで、一人で喋ってる不審者のおっさんに見られることはないのよね~」


【第四の能力 念力会話】


「一番使い道のない、しょうもねえ能力じゃないかこれ」

「アマエチャンと秘密の会話が好きなだけ出来るぜ、コイバナとかする?」

「能力の返品交換機能とかないの」

「あるわけねーじゃん、天からの授かりもんだぜ?」

「こんな能力いらねーよ、もっとあるだろ色々と」

「優先順位は考慮されねーのさ、でもおっさんの欲しがるチカラのはずだけどなぁ」

「ないよりはあったほうがいいかもしれんが……。ババアの死体もいらねぇなほんとにこれ」


渋々ながらアイテム空間に取り込むが死体になっても腹が立つ、こいつは最優先で処分しなくてはならない。明日になったらイガリの焼却炉に持っていこう。あぁよくないな、毎日焼却炉に通う感じになるのは、これでは永久に終わりが無い。


「で、イガリはどうすんのさ」

「殺すことにしたよ、こっちの命が脅かされるならやむを得ない」

「いいね」

「その前にいくつか一緒に仕事をしておきたかったがな、金が欲しいしあいつの狙う殺害対象も知っておきたかった。でも取りやめだ、俺は正義の味方だからな悪人の息の根はさっさと止めるとしよう」

「正義の味方っつーのは金の為に戦ったりはしないんだよ」

「ああ、俺は嘘つきで悪魔だからな。それにあいつが俺を必要としてるのは本当なんだろ。魔法で狙った悪人を簡単に倒せるんだ、効率よく悪人退治をするにはもっとも必要な人材だろ。いや鉄砲玉か、ヤクザと同じ? クソ腹立つな、よし殺そう。明日殺しにいく」


洗濯は終わり、時間も遅いのでコンビニで冷凍パイナップルを二つ買ってから家に帰った。


「アマエチャンの分も買ってくれるなんて気が利くじゃん」

「買っておかないと全部食われるからな」

「食事は戦いだぜ、先制攻撃が一番効くんだ」


赤い悪魔が一袋開けている間に、腕立て伏せとスクワットを交互にやりながらテレビを見る。相変わらず行方不明になった4人の高校生のニュースが流れているが進展はないらしい。しかしネットではタカギ少年がいじめにあっていたという情報がどこかの誰かからタレコミされたようで、真偽不明ながら大手ニュースサイトを騒がせていた。3人のいじめっこがタカギを殺してどこかに逃げたのではないのかと、そんな話になっている。常識で考えれば、偶然出会ったおっさんに全員殴り殺されて死体はその場から消えてヤクザ二人とバラバラ死体と一緒に山奥に埋められた等という妄言は誰も信じないだろう。


監視カメラに不審な落ち武者のサラリーマンが映っていたという情報もない。誰も俺を追跡できない、逃げ隠れする必要はないのだ。それは置いておいて本日のトレーニングメニューも終わるが疲労感がまったくない。今ならば無限に腕立ても腹筋もスクワットも出来るだろう、微塵みじんも疲れを感じないのだから。だがこれでは鍛えられているのかなんなのかまったくわからない。


「強すぎる肉体の弊害だ」

「あん?」

「疲れなくなったのはいいが、鍛える意味が無い」

「急速に疲労が回復しているんだからあるよ」

「鍛えれば鍛えるほど強くなる? 俺の筋肉はレベルアップしているのか?」

「そういう見方も出来るね、そのぶん鍛える時間も長くなるけど」

「じゃあ時間の無駄だな、一日中体を鍛える訳にもいかんのでね。眠るよ、異世界ババアの様子を見に行かないとな、いきたくないけど」

「おう、ゆっくりしてこい」


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