第9話 死体

実の所、山を歩くなんてのは小学生のハイキング以来のことだった。俺は早朝のランニングで脚も鍛えているのだが平地とデコボコの大地ではかなり勝手が違った。すぐに体が暑くなり、頭部からは滝の様な汗がふきだし、背中までぐっしょりと濡れてしまった。呼吸がやけに乱れ、のどが渇く。入山から十分も経たないうちに息を整える為に木の根に座り込んでしまった。


「おいおい、おっさんその筋肉は見かけ倒しなのか」

「はぁ……。ジムで鍛えた養殖の筋肉だからな……。野生の大自然には勝てない……。やはり俺は、ただのおっさんだ……」

「すねんなよ」


アイテム空間から、スポーツドリンクを一本取り出し一気飲みした。スーパーの冷蔵室で冷やされたまま保存されているので永久に氷いらずだ。水分が体に行き渡ると随分生き返った。人には水と血が必要だ、だから俺は血を求めるのだろう。同じく荒く息をついているトミイにも一本渡した。


「あ、ありがとうございましゅ……」

「気にするな」

「アマエチャンにも飲ましてくれ!」

「あたしものみたい」

「ほらよ」

「かーっうめぇ!」

「んまい」

「あっ、ここスマホの電波がもう入りませんよ、圏外です……」

「こういう所に来たら自然の風景を堪能するもんだぞ」

「と、友達のメールがあるかもしれなくて」

「いいねぇ友達がいるってのは、おっさんは無職な上に友達も皆無だからな」

「す、すすいません」


奇妙な光景だ、ヒトゴロシ二人とマスコット悪魔二体でハイキングするのは。しかもその目的は自然観察などではなく死体を埋めに行くというのだから。それから休み休み山を進み、人が近づかないような獣道を一時間ほど進んだ、タオルと変えのシャツもアイテム空間に入れておいたのでいくらでも出てくる。だから汗まみれのシャツは交換する。山の中なので俺が公開脱衣ショーで筋肉をいくら剥き出しにしても、誰も文句は言わないだろう。日光に汗が反射して俺の引き締まった身体がキラキラと宝石のように輝く。汗を流したら水分補給、そして着替える。これは山の常識だとガイドブックに書いてあった。


「なんども着替えるんじゃねーよおっさん」

「おえっなの、キモいの」

「俺は悪魔の言葉には耳を貸さない。それに清潔を保ちたいだけだ」

「ひぃ、ひぃっ、もう帰りたい」


そうこうしながら進み続けると、丁度よく土の広がった空間を見つけたのでそこに死体を埋めることにした。辺りには木々が生い茂り、宇宙の衛星から写される心配もない。意外にも土には程よく水分がありスコップも簡単に入っていく。


「ここにしよう」


地面を掘り始めた、山を歩くよりも遥かに楽な作業だった。力仕事は俺の分野だ。

と最初の内は思っていたのだが、やはりきつい。自然は、大地は強い。一人当たり二メートル位の深さは掘っておきたいのだが俺にできるだろうか。ずいぶん長い間、涙など出た記憶はないがなんだか泣きたくなってきた、それと同時に沸き上がってくるものもあった。もちろんそれは、罪悪感ざいあくかんなどではない。俺の心はもう完全に麻痺している。ハトを殺した時から? いや、ずっとこうだったのだと思う。


「飲み過ぎたな、トイレにいきたくなってきた」

「トッ、トイレですか」

「おっさんになると便所が近くなるんだよなぁ」

「すぐにもどる」


一分ほど歩き、適当な茂みで用を済ませた。飲み続けたせいでやたら長く出た。

終わったあとにはアイテム空間から取り出したミネラルウォーターを振りかけた。

自然への敬意を忘れてはいけないし痕跡も残してはいけない。


「なげーよ、おっさん」

「おい、ずっと後ろにいたのか? 足音も立てずに近づいてくるんじゃない」

「一人にすると迷子になるかもしれないじゃん」

「おっさんを子供扱いするな、俺は子供の頃から一度も迷子になったことがないんだよ。アマエチャンは山歩いて疲れたか」

「貧弱な人類と違って山歩きは得意なんだわ、こんなの山だとも思わないぜ」

「ああ、俺は貧弱な人類のおっさんだよ」

「すねんなすねんな、そのうち強くなれるって。ほら、ビスコ食うか? トミイがくれたんだ」

「ションベンした直後にお菓子を渡すとか、お前ほんと悪魔だな。自分で食っていいぞ」

「じゃあ食っちゃう」


赤い悪魔がビスコを口の中に放り込んでボリボリと咀嚼そしゃくしている間に、俺はもっと若いころから山に行っておくんだったなと思っていると、きゃあと大きな女の悲鳴が聞こえた、トミイのものだ。急ぎ、駆け付けると見知らぬ男二人が青い悪魔にねじ上げられていた。俺よりいくらか年が上であろう角刈りの男と金髪の若い男だ。どちらもシャツとスラックスに革靴で登山を楽しみにきたようには見えない。


「あっさん!」

「なんだ、誰だそいつらは」

「んー、ヤーサンなの」


男達にぐるぐると巻き付いた青い悪魔のコウテンが、金髪の男の背中を指さすので俺が見に行くとシャツがまくられていて、そこには色のついていない龍の刺青いれずみが彫ってあった。ついでに腕を無理やりにねじり、俺の方へ見せつけた。こいつ小指が無い。


「ケジメで指詰めたヤクザがなんの用なんだ」

「いで、いででで! どうなってる!」

「なにかされたのか?」

「いっいえ、なにも……。コウテンが急にこの人たちを……」

「このにもつ、におうのよね」


コウテンがヤクザの持っていた大きめのボストンバッグの方に首を向けた。俺がそのバッグのジッパーを開くと、ラップで包まれた物が大量に入っていた。大きさにはバラつきがあるが、月間の少年誌よりもいくらか分厚い。おおよそ同じサイズの形に包まれているが、中身が分からないほど厳重げんじゅうにラップで巻き付けられている。それの一つの包装を剥がしてみると、まぁ案の定ではあったのだが、人間の足首がふたつ出て来た。ラップで包まれたモノの中身は人間のバラバラ死体の詰め合わせだ。


「ひっ」


横から覗き込んできたトミイがまたも悲鳴をあげる。


「アニキ、体がうごきません……」

「オレもだよ」

「ヤクザも山に死体を捨てに来たのか、やっぱ山と言えばこれだもんな」

「おいこら落ち武者ハゲなんだてめぇ! なにしやがったんだ!」


金髪の若い方が俺に暴言を吐く。親から人の髪の毛をどうこう言ってはいけないと教わらなかったらしい。


「やったのは俺じゃない、そこの悪魔だよ」

「頭イカれてんのかおっさん?!」

「悪魔……?」

「見えてないみたいだが、あんたらの身体を拘束してるのは青の悪魔だ。そして俺はただのおっさんじゃない、悪魔のおっさんだ」


拳を握って俺をハゲ呼ばわりした金髪の顔面にグーパンチをお見舞いした。


「ぐえ」


金髪の鼻が潰れ、大量の血液が地面に染み込む。


「待て、悪魔が見えるってのは本当なのか」


角刈りの方に向き直ると、俺を見据えて冷静なトーンで言った。


「マジだよ」

「これは現実か?」

「こんなリアルな空間、ほかのどこにもないだろ」


俺はシャベルで築き上げた土の山を踏みつけた。掘り返した土が崩れ、穴の中へドサドサと戻っていく。


「ははは……。そりゃあひどいな」

「あん?」

「そんなもんが実在したらこの世は終わりだよ、世界ってのは人間が治めてるからどうにかなってんだ。それが、お前悪魔って……。恐竜が大地の支配者だった頃とは全然ちげえ、自然法則すら無視した透明で目視できないバケモノがいるだなんてありえねえ。でもいま起きてるこれは認めるしかねえ。現実の浸食だよ、悪魔の支配社会だ。こんなんなったら、もう現実性がなくなっちまう。この世の終わりだ」

「ア、アニキ?」

「こっちだってなりたくてヤクザになったわけじゃねーよ。全部が理不尽だ、親にぶん殴られてまともに学校にもまともに通えなくてこんな様だ。ヤクザになっても死体処理なんてやらされて最後はこれかよ」


角刈りが黒色に染まっていく、輝く黒は頭髪から顔へさらにその下へと続く。


「おぉ、黒いぞこいつ」

「やったな、最後にいいことがあったぞ。名前は?」

「……なんだ?」

「名前を聞かせてくれ、俺は悪魔のチカラを使って今よりずっといい場所にお前を連れていくことができる。この世界が嫌いなんだろ。嫌なものなんて何一つない素晴らしい世界に案内する」

「……オオワダ」

「では遠慮なく」


俺はシャベルをオオワダの首に突き刺した、肉と骨は土よりもずっと柔らかく勢いあまって頭部はすっ飛んでいき、首がゴロゴロと転がり少年たちの死体を埋める予定の穴へドサリと落ちてオオワダの首からは金髪の鼻血とは比べ物にならない量の血のスプリンクラーが飛び出ていた。


「ああああああ!! てめえええええ!!!!」


金髪が半狂乱はんきょうらんになるが、青い悪魔の拘束から逃れることは出来ない。


「お前は黒くないな」

「はめやがったなイガリの野郎!!!! ざっけんなクソクソクソ!」

「よいしょっと」


シャベルを横に振り金髪の喉を切り裂いた、それでもまだ喋っているらしくゴボゴボと音を立て血液が泡になっている。


「あばばばば……」


トミイも口から泡をふいている。


「しまった、死体を捨てに来たのに死体が増えてしまったな」

「すげぇペースだ! まじですげえぞおっさん!」

「へへっ」

「ドコドコドコドコ……ジャン! 次の力は無限スタミナだ! すぐに息切れするおっさんの身体は、もう疲れを感じたりはしねえ、肉体派ながら貧弱なおっさんにピッタリのチカラだな!」


第三の能力【体力再生】

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