2-2 最悪の事態

***



 ステージ上には、全ての団員が集められていた。もう公演も終わって、ミーティングも終わったというのに、何の用だと疑問の声が上がる。


 ぼくは体格の良い団員に引きずられるようにして、その中心へ連れて行かれた。そして乱暴に床に転がされた。


 両手を後ろ手に縛られているため、受け身がとれず、盛大に頭を打った。


 周りの困惑の声が一層大きくなる。

 そして団長が、周りの団員たちに道をあけられながらぼくの前まで来た。


 そして声を大にして言った。

「みなさん。この少年が私の部屋で盗みを働きました」


 どよめきの声が上がる。

「幸い、発見が早かったので未遂に終わりましたが、だからといってこれを見過ごすわけにはいきません」

「ちょっと待ってください!」

 ここで黙っていたらぼくだけが悪者扱いだ。今すぐ言うべきだ。


「ぼくの話を聞いてください。ぼくはいじめられていたんです。そこにいるリウたちに!」

 この光景を一番前で見ている、あの三人を見据えて言った。


 リウは、表情を変えずにじっと黙ってこちらを見ている。


「ぼくは、そこの三人にずっと、いじめられていました。さっき団長の部屋に盗みに入ったのは、その三人に脅されたからです!」


 ステージがしんと静まりかえった。

 そしてしばしの間が開いたあとに団長が尋ねた。

「リウ、カイが今言ったことは本当かね?」

「いいえ、違います。僕が可愛い後輩をいじめるわけがないじゃないですか。全部、言い逃れするための嘘です」

 リウはなんの躊躇いもなくそう言った。


 可愛い後輩なんて微塵も思っていないくせに。


 団長は、フーッと長いため息をついた。

「カイ、君は自分の過ちを他人のせいにするのかね」

「違う!ぼくは嘘なんかついていない!本当に脅されて………」

「ではこの中で、カイがいじめられていたことを知っている者はいるか」


 団長がここにいる全員に向けて問いかけた。しかし名乗りを上げる者は誰一人としていない。


「嘘だ!みんな知っていたはずだ!ぼくがあの物置で毎日殴られているのを!ねぇ、知ってたでしょ?」


 たまたま近くにいた団員に問いかけた。でも彼はさっと視線をそらした。他のやつらも、みんなそう。みんなぼくの目を見ようとしない。


 ぼくの味方をしてくれる人は誰もいない。そのことがすごく哀しくて、涙が出た。


「どうしてみんな、黙っているの………?おねがい……。誰か本当のことを言って……。ぼくをたすけて………」


 みんなが名乗り上げてくれないのは、分が悪いから。いじめを黙認したことがバレたら団長にとがめられる。仲間を家族のように思っている団長だから。


 みんな自分の保身ために、ぼくを切り捨てる。


 汚い……。リウもあとの二人もここにいる団員たちも、みんな汚いやつばかりだ。


「カイ……」

 声のする方に視線を向けると、そこにはジュリが立っていた。

「カイ、どうしてそんなことしたの?オレ、カイのこと、いいやつだって信じてたのに…………」

「だからぼくは、脅されていたって言っているじゃないか………」


 そう言っても、ジュリは悲しげに首を振るだけだった。もう聞きたくないと言わんばかりに。


 腹立たしい気持ちと、もうどうにもならない絶望的な想いで、胸が張り裂けそうだ。


 こんなことになるなら、そもそもあいつらの言うことなんか、聞かなければ良かった。こんな状況になるより顔に傷ができる方が、まだマシだった。


「カイ」

 団長が静かにぼくの名前を呼んだ。

「………」

「君は、私に拾ってもらった恩を忘れたのかね。こんな形で恩を返されるなら、あのときお前など拾わなかった。本当なら、即刻、お前をこのサーカス団から追放したいところだが、お前はまだ子供だ。そうするわけにもいかんだろう……」

 ぼくはもう、団長の話を虚ろな様子で聞いていた。


 どうしたものか……と団長が呟いていると、リウがはいと、名乗りをあげた。

「なんだね」

「僕は、カイにいじめというあらぬ疑いをかけられました。そこで、僕にカイの罰を決め、それを実行させてはもらえないでしょうか」

 こいつ……よくもぬけぬけとそんなことを………。


 少し考えた末、団長は「まあ、いいだろう」と言った。

「ありがとうございます」

 リウはつかつかとこちらに歩みよってきた。


 嫌な予感しかしない。身体が勝手に震え出す。何をするつもり?


 ぼくの目の前まで来ると、ぼくと目線を合わすようにしゃがんで、懐からあのサバイバルナイフを取り出した。


 まさか………。


「今からこれで、こいつの顔を切りつけます」

 サーッと顔から血の気が引いた。


「お前……まさか、最初からそのつもりで……」

 すると、リウは、昨日と同じ、右側の口角だけを上げてニヤッと、厭らしく笑った。


 それで全てを理解した。


 嵌められた。


 リウは最初からこうなることがわかっていて、ぼくに団長の部屋から金を盗ませようとした。


 団長の部屋からお金なんて盗めるはずがない。今思えば、最初からおかしかった。


 リウはどうして団長の部屋に金庫があることを知っていたのだろう。金庫の存在は知っていたとして、それがナンバーではなくシリンダー錠で開くことをどうして知っていたのだろう。ぼくらのような下っ端のピエロが団長の部屋に入るなんて、そうそうないはずなのに。


 昨日の時点でおかしいと気づくべきだったんだ。本当は団長の部屋に金庫なんてないのかもしれない。全ては、ぼくを嵌めるためにでっち上げた嘘……。


 悔しさとやるせなさで顔が歪んだぼくを見て、リウは満足そうに、ぼくにだけ聞こえる声で言った。

「その顔が見たかったんだ」

 リウはぼくの顎を掴むと、左頬に刃を突き立てた。


 抵抗する気力なんてもうどこにもなかった。頬には激痛が走るけれど、どうでもよくなった。


 リウの手から解放されると、ぼくは、ドサッと床に倒れ込んだ。


 頭上でリウが何か言ったみたいだが、内容が頭に入ってこなかった。


 やがてみんながステージ上からはけていく。


 誰かが縄を解いてくれたみたいだが、身体を起こす力がない。


 どうしてぼくがこんな目に遭わないといけない?ぼくが何をしたっていうんだ。


 ぼくが捨てられたのも、ピエロを演じていることも、いじめられてこうして傷つけられていることも、ぼくのせいじゃない。


 なのにどうして……?


「うっ…うぅ…」


 もういやだ。こんな生活から抜け出したい。どんどん自分が惨めになっていく。


 左頬に手をやると、血がべっとりとついた。結局、こうしてリウに顔を傷つけられた。早く手当をして血と涙で汚れてしまった床を掃除しなきゃ。そう思うのだけれど、どっと疲れが押し寄せて、重いまぶたを閉じずにはいられなかった。


 明日になれば、全てが元通りになっていてほしい。

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