第8話

 背中を床に叩きつけられたサモン・ドの口から――


 どこか「アダルティ」な響きにも聞こえる息が、漏れて――


「大正解やで!」


 サモン・ドを投げ飛ばした男――あの従僕だ!――がにっこり笑い、頬を紅に染めて言った


「なぞの従僕の正体は――おれ! おれやってん!」


「っ!? “異舌者いたんしゃ”か!」


 サモン・ドが「身を起こす」と言うのも忘れて、驚きの声を発し――


 そして――


 アリンスの心いっぱいに――


『いくらかっこよくても無意味よ!』


 あの日の――あの別れの日の、夕景の記憶がよみがえった



  『だってあなた・・・“完災弁KANSAIBEN”じゃないの!』



 従僕が――成長したあの子が、にこにこして言った


「おれの話し方は『災いの言語』とかやないねん! せやなくて『ゆる~い、ええ加減な、ごまかしが効く言葉』やってんで? おれらは“塩梅話法ゴルディロックス・スピーチ”て呼んでる!」


 言いながら、勢いよく帽子を取る


 長い黒髪がふわりと扇のように広がって――それは肩甲骨まである長さで、幼いころとまったく同じ髪型――


 でも――


 なぜ・・・?


 見過ごしそうになるすんでのところで、アリンスは気がつく


 この子、いま「帽子を取る」と言わずに帽子を取ったのではなかったか――!?


「おれ、アリンスちゃんのこと助けに来てん!」


 成長したあの子は、あのころと同じように、まぶしそうに、恥ずかしそうに、目を細め、頬を紅潮させて笑った


 名前を思い出せないこと、告げたら泣くだろうか――?


「ふたりの疑問も、もっともやと思う」


 歩きながら――「歩く」と言わずに歩きながら――成長したあの子は言った


「理由は3つほど考えられてる――いち、この話し方が体温を上げ、免疫力を高めるから! にい、今の公用語がもともと国家統制のために作られた人工言語、皆兵のための戦闘話法であるのに対し、いわゆる“異舌”はどこまでも土壌に根ざして発達した自然言語やから! さん、その他!・・・好きなん選んで!」


 言ってから、やっと「身を起こ」したサモン・ドのそばにしゃがみ込む


 戦慄と警戒の眼で見返したサモン・ドに、


「政治屋のおっちゃん、たとえばこう考えてへん? 『自分には奥の手がある』て。確かにおっちゃんほどになれば、もうひと足掻あがきあるかもしれんけど・・・いま突然、おれの声帯やあごが勝手にふるえて『両手両足ひろげて腹ばいになる!』て言い出すとか」


 顔をこわばらせたサモン・ドに笑顔でうなずき、


「お互い嘘のつきにくい時代やんな? この屋敷にそんな仕掛けがある可能性は十分ある。けど、ある理由からその手はおれに効かへんねん。詳細を明かすわけにはいかへんけど」


 おそらくその「詳細」は、このあと始まる第2章“オマハン”――「成長したあの子」の名だ――で、その一端が明かされることになる(そして第3章“サモン・ド”で、真に重要なのは話し言葉の違いなどよりも“もっとさらに向こうにあるもの”であることが語られる)


「おっちゃん、よう聞いて。自分らみたいなタマの片寄った人間はいつでもおれら“無口行動者フリーマウザー”が見張ってる。これに懲りたら独裁者気取りは控えとき。あと性豪の真似ごとも!・・・ほな、ちょっと楽にして」


 サモン・ドの上半身をぐいと押し戻して倒し、彼の口角から口角へと図柄入りのマスキングテープを渡して貼りつける


 テープの図柄は「鳥獣人物戯画」――


 これでもう、サモン・ドは横たわったまま動けない


 手錠もロープもいらない――


「アリンスちゃん!」


 ベッドから「立ち上が」ったアリンスの前に、成長したあの子が上着を脱ぎながら歩み寄り、彼女に上着を羽織らせながら、楽しげに言った


「よう考えたら、おれ・・・全然『かっこよく』ないやん!」


「っ!」


「ちゅーことは・・・あん時アリンスちゃん、やっぱりおれのこと・・・!」


 聞かん気そうな、やんちゃ顔――


 肩甲骨まである長い黒髪――


「ちゅーか、おれめっちゃ苦労してんで? アリンスちゃんのおかげで、おれずーっと自分のことイケメンて思てたんやから!」


 それ以上、言わせるわけにはいかなかった


 アリンスは涙腺が熱く、嬉しく、ふくらむのを予感して、うろたえながら、


「私は顔色も変えずに言い返す! 『……」


 手遅れだった


 無理だった

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