最終話

 『妊娠』という単語がやけにはっきりと、ゆっくりと聞こえて、脳内でリフレインした。鼓動がきゅっと速くなる。小さな温かい手が、頼りなく、俺の心臓を握ってくるようだ。

 

 驚きとか、嬉しさとか、愛しさとか、そういったものがごちゃ混ぜに、涙に変わって溢れてくる。


──ありがとう。


 涙と共に出てきたのは、そんな言葉だった。


「なによ、まだ決まったわけじゃないのよ?」


 妻が笑顔で呟く。


 ああそうだ、妻が初めて妊娠したときも、俺はこんな感情になって、どばどば泣いたんだった。もしもう一度子供が出来たら、どんと構えていようと思ったのに。何も成長してないな、俺。


 涙ぐむ俺を尻目に、息子はきゃぴきゃぴとはしゃいでいた。


「すごいよお母さん! おめでとう! 僕、できるだけ子育てサポートするよ!」


 子育てする側に回ってくれるなんて。子供は本当に、あっという間に成長してしまうな。きっとすぐに、俺よりも立派な男になるだろう。


 これから思春期がきて、反抗期が来て、大学に行って、社会に出て、独り立ちして──そうか、これからはこの子だけじゃなくて、もう一人面倒を見れるんだもんな。


 なんだよサンタ、最高のクリスマスプレゼントじゃないか。


「実は僕、もう一個お願いしてたんだよね」


 息子が、嬉しそうな顔をしながら呟いた。


「何を頼んだんだ? あ、もしかして……」

「うん。妹が欲しいって……」


 照れた表情を浮かべる息子が、世界で一番愛しく思えた。


「じゃあこれはもう確実だな」

「ふふっ、そうね」


 バックミラーから見える妻の顔は、とても幸せそうだ。


「みんなで力を合わせて、頑張ろうな」

「ええ」

「うん!」


 そのとき、シャンシャン、という鈴の音が聞こえた。


「あ、すごい! ジングルベルだ!」

「きれいな音ね」


 サンタめ……粋な演出をするじゃないか。


 その瞬間、俺の頭に閃くものがあった。

「なあ、娘の名前なんだけどさ……」

「ん?」 妻が優しく相槌を打つ。

「『鈴』っていうのはどうかな?」


 鈴の音のように、楽しく一生を過ごしてもらいたい。そういう意味を込めて。


「とってもかわいい名前ね」

「うん、いい感じ!」

「良かった。じゃあ今週の日曜日は、四人でドライブだな!」


 家族の笑い声が、車内にこだまする。幸せだ。今日のことは一生忘れないだろう。


 人間には、裏表がある。俺はさっきそう言った。だけど、前言撤回させてもらう。サンタは例外。彼は、表がいきすぎて裏に見えただけだ。


 サンタクロースは、世界で一番優しくて、太っ腹で、粋な男だ。


「なあ、そう思わないか? 三太?」

「え? 何が?」

「いや、なんでもないよ」


 みんなに幸せを運ぶ。そんな人になってほしいと、息子に『三太』と名付けた。今になって思う。それは、間違いじゃなかった。むしろぴったりの名前だ。その証拠に、三太は俺たち家族に、『鈴』という幸せを運んでくれた。


 『三太』と『鈴』か。これは、毎年のクリスマスが楽しみになるな。


「ねえねえ、お腹すいた~」


 確かに、もう夜の九時を回っている。いつもならとっくに夕飯を食い終わっている時間だ。


「はやくクリスマスケーキ食べたい!」


 無邪気に三太が叫ぶ。やっぱり、まだまだ子供だな。


「よし、とっとと帰ろう!」


 気合いを入れて、ハンドルを握り直す。そのとき、あることに気付いた。

「なあ、まだ俺たち、あの言葉を言ってなくないか?」

「え?」


 妻が、不思議そうな顔をする。


「ああ、あれね! 僕分かったよ! ほらお母さん、今日はクリスマスでしょ?」


 三太の助言で、妻も思い当たったようだ。


「ああ、そうね。まだ言ってなかったわね」

「それじゃあ、みんなで一斉に言おうか!」


 バックミラーに映る二人が、コクンと頷いた。


「じゃあいくぞ──せーのっ!」


 素晴らしい聖夜に、素晴らしい俺たちの未来に。


「メリークリスマス!!」

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サンタ、煽る。 鼻唄工房 @matutakeru

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