第六話 買い出しと片付けの行方

 ナギサの願いを叶えるため、私たちは日曜日に集まることを決めた。

 彼女が落ち着いて本を読めるように、見える範囲でリョウタを預かるのだ。家にお邪魔するのはさすがに迷惑なので、場所は近所の公園にした。


「もし中止が必要な時はここに連絡してください」


 念のためナギサに携帯番号を教えておく。

 彼女は不安そうに私の連絡先をメモしながらも、何の本にしようかと少し楽しそうにしている。


 どうやら私たちをそこまで怪しんではいないらしい。やはり学生と言っておいて正解だったかもしれないと私はほっとした。


「今日はありがとう。リョウタ、そろそろ帰ろうか」


 私たちにお礼を述べて、ナギサが呼びかける。


「えー、まだ遊びたいのに」


 リョウタは母親に背を向けたまま佐渡さわたり名残惜なごりおしそうに見つめた。さすがの佐渡も「ウッ」と心を打たれたようにうめく。大人は懐かれると案外弱いものだ。

 佐渡はしゃがんでリョウタに目線を合わせた。


「私ももっとリョウタくんと遊んでいたいですが、今日はひとまず帰りましょう。また来週も会えるみたいですよ」


 美少女と子どもの組み合わせは目の保養だ。癒される。


「ほんとに? 約束?」


 リョウタは疑わしげに母親と佐渡とを交互に見た。二人が頷くとようやく信じたのか、右手の小指を佐渡に差し出す。


 すると佐渡が一瞬固まった。どうしようか迷っているようだ。何を迷うことがあるのだろう。子どもに小指を差し出されて一体何をためらっているのか。

 佐渡は怖々と自分の小指でリョウタの小指をそっとすくった。触れるか触れないかの緩やかな力加減だ。


「約束……です」


 佐渡のふにゃっとした優しい笑顔はいつも通りだった。しかし、すぐにそわそわと落ち着かなくなり指を外す。


「さあ、帰りましょうか」


 ナギサがリョウタの手を取り、はぐれないようぎゅっと握る。


「じゃあまた来週会いましょう」


 私はそう言って、佐渡と二人で手を振り見送った。


 リョウタ達がいなくなると、この格好でスーパーにいることが恥ずかしくなってきた。人が多いところではやはり周りの視線が気になる。

 とりあえず変身した公園へと並んで歩く。


「ふう、やっぱりじっとしてるのはしんどいな」


 サプリンが私の肩の上で大きく伸びをした。ふわふわの毛が頬にあたる。


「二人ともよくやったな。初めてにしては上出来だ」


 ねぎらうようにしっぽで私の肩を叩いているサプリンを肩から下ろし両手で抱える。私はその白いフカフカのお腹に顔をうずめた。


「気持ちいい。もふもふしてる」

「やめろ。俺はその辺のぐうたらしてる猫とは違うんだ」


 肉球の付いた手で顔を押し除けられ、すぽんと飛んで抜け出されてしまう。

 ナギサとの会話を思い出す。今回はなんとか上手く助ける流れにできたと思う。


「ここからが大事だよね。ナギサさんに頼ってもらえるようにしっかりしないと」


 私は自分をふるい立たせるように言い聞かせた。せっかく任せてくれたのだ。期待に応えたい。


「そうだ佐渡さん、勝手に決めてしまってすみません」

「いえ、私ではなかなか提案できないのでありがたかったです」


 日曜日の予定を埋めてしまったわけだが、家庭や付き合っている人はいるのだろうか。


「ご家族とか、日曜に予定入れるの迷惑じゃなかったですか?」

「ひとりですし、休みの日に一緒に出かける人はいないので大丈夫ですよ」


 隣を歩く佐渡の横顔は寂しそうに見えた。

 公園に着くと二人でステッキを構え変身を解く。


「解除」


 光の幕に包まれた私たちは元の姿に戻った。私は28歳に、佐渡は男性に。


「本当に佐渡さんだったんですね」


 改めて普段の佐渡を目の当たりにし呆気に取られる。


「まだ信じてもらえていなかったんですか」


 佐渡は困ったような顔で手を握っては開いていた。まるで自分の感覚を確かめているようである。


 そういえば佐渡は職場の同僚だ。変身を解除した私の格好はまともだろうか。一応外に出られる服を着て来たのだが私服だ。私は気休め程度に髪を整えた。


「よし、今日は初めてで二人とも疲れただろう。解散にするぞ」


 サプリンが私たちの周りをぐるりと一周飛んだ。


「え、まだ一人としか話せてないけどいいの? あんまり疲れは感じてないし」

「疲れていないのは変身してたせいだ。初日からあまり無理するもんじゃないぞ」


 サプリンは柔らかなピンク色の肉球を私の頬に押し当てた。気遣ってくれているのかもしれない。


「そうですね。気を張っていると疲れを感じにくいものですし」


 佐渡もサプリンに同意している。

 今日はまだ頑張れそうな気分なのに。

 なんだかタッグを組んだ彼らにうまく乗せられている気もするが仕方ない。午後ゆっくり休めるのだから喜んで解散しよう。


「分かった。じゃあ次は来週の日曜日ね」


 サプリンは佐渡の家について行くらしい。二人とはそこで解散して私は家路に着く。

 一人になると、歩く一歩ごとに身体がどんどん重くなっていく気がする。足が、肩が、首が、頭が順になまりのように重くなる。早くベッドにダイブしたい。


 さっきまで全然元気で、気力も体力も余っている感じがしていた。あんなに身体が軽くて疲れを感じなかったのに。自覚していなかっただけなのだろうか。


 魔法少女に変身している時のパワーが満ちた自分に憧れる。道ゆく人々はこんなにも普通に元気そうなのに、私は人並みになるのがこんなにも難しい。

 また完全無欠の私が遠のいていく。


 やっとのことで辿り着いた部屋の鍵を回し、ヨタヨタともどかしく靴を脱ぐ。片方の靴がひっくり返って玄関タイルの上を回っているが気にする余力はない。

 そのままの勢いで部屋の奥にあるベッドに倒れ込んだ。ひんやりとした布団が肌に触れるのが気持ち良い。その感覚に身をゆだねながら散らかった部屋をただ漫然と眺める。


「あー、買い出し忘れた。服も片付けてない」


 やらないと。元気を振り絞ろうと力を込める。しかしもう起き上がることはできなかった。そんなに無理をしていたのだろうか? いや、これは無理などではない。最低限の必要な努力だ。

それでも。


「疲れた」


 そのまま抗えない重力に任せて目を閉じる。世界は黒く閉ざされて、やがて意識はぼやけるように消失した。


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