第五話 ナギサの願い

 その女性はナギサと名乗った。歳は実際の私より少し上だろうか。ひょっとしたら佐渡さわたりと同い年くらいかもしれない。

 佐渡を気に入った男の子はやはり彼女の息子で、幼稚園に通っているという。


 私と佐渡も名前を伝え、怪しいものではないと説明する。社会人であるとはさすがに言えないため、2人とも学生ということにした。


 サプリンはというと、人前では話さない方針らしく私の肩でじっとしている。


 男の子とぎこちなく遊んでいる佐渡を眺めながら、ナギサと並んでベンチに腰を下ろす。

 さーっと風が吹き抜け、夏の残り香を運んでくるようだった。スーパーののぼりが穏やかにはためいている。


 ナギサは、久しぶりに落ち着いて座った気がすると言って笑った。


「元気ざかりの男の子とずっと一緒ですもんね」

「そうね。でも元気でいてくれるのは嬉しいし、私がもっと頑張らなくちゃ」


 私と話しながらも彼女は息子から片時も目を離さなかった。

 今も、佐渡を引っ張って遠くに行こうとする男の子を引きとめるべく声をかける。


「リョウタ! 遠くにいかないの。見えるところで遊んでもらいなさい」


 リョウタと呼ばれた男の子は残念そうに戻ってきた。口を尖らせて不服そうにしている。


 子育てにこうした緊張感はつきものなのだろう。親が見ていてくれていると分かってはじめて、子どもは安心して遊びに行くことができるとどこかで読んだことがある。しかし簡単なことではない。


 佐渡は相変わらず彼との距離感を測りかねているのか、されるがままになっている。チラチラとこちらの様子を気にしながら、リョウタの指示に従って石を拾っていた。


「そういえば、さっきリョウタくんはなんで泣いていたんですか?」

「あれは、キャラクターのシールが入ったお菓子を買って欲しいって言われたのよ。でも家にもたくさんお菓子があるからまた今度って言ったのだけど」


 なるほど。そのシールが欲しかったのに買ってもらえなかったのか。


「レジを通ってからも未練があったみたい。帰りたくないって泣いてたのよ」


 ナギサは大きくため息をついた。


「それは大変でしたね。なんのキャラクターのシールだったんですか?」

「ほら、日曜日に変身ヒロインのテレビアニメをやっているじゃない? それのキャラクターよ」


 アニメを観ていない私でも存在くらいは知っている。カラフルな変身で、悪の組織とパワフルに戦うヒロインたち。その変身道具のおもちゃを買ってもらう子どもは多いだろう。


「リョウタくんは変身ヒロインが好きなんですね」

「そうなのよ。リボンとかキラキラしたものも好きみたい。魔法少女はかっこよくて可愛い、憧れみたいなものなのね、きっと」

「それで佐渡さんから離れなかったんですね。アニメの中から飛び出たヒーローだと思ってるのかも」


 リョウタに憧れとして見られていると思うと、嬉しさにこそばゆくなる。まあ私は選ばれなかった方の魔法少女だが。

 少々の恨みがましさを込めて佐渡を見てしまう。当の佐渡と目が合い、急いで笑顔を作った。


 佐渡はこちらを見て不思議そうに可愛く小首を傾げていたが、すぐにリョウタとの遊びに戻っていく。どうやら遊びながら話も聴いているようだ。


「……へえ。そんなことがあったんですね」

 と、リョウタの話に相槌あいづちをうつ佐渡の声が時折聞こえてくる。内緒ばなしでもしているのか話の内容までは分からなかった。


「ナギサさんはリョウタくんと、いつもこの時間に出かけることが多いんですか?」

「そうね。日曜日は特に、家にいると退屈みたいで。それに色んなものと触れ合うことはあの子にとっても良いでしょう?」


 ナギサは、佐渡と石の珍しさを競わせているらしいリョウタを目で追っている。

 本当に子どものことを常々思いながら過ごしているのだろう。まさにリョウタ中心の生活というところか。


「でもどうしても、外に出ると人に迷惑かけないようにとか、危なくないようにって家以上に気にしないといけないのよね。でも私が気をつけていないといけないから」


 しょうがないと愛おしそうに笑うナギサはとても強く見えた。いや、強くあらなければいけないと踏ん張っているようだった。

 彼女が息抜きできる時間は日にどれくらいあるのだろうか。


「誰か一緒に外出してくれる人とか見てもらえる人はいるんですか?」

「両親が近くに住んではいるんだけど。どうしても気が引けちゃうし、あんまり迷惑もかけたくないのよ」


 そこまで言って、ナギサは慌てたように笑った。


「ごめんなさい。学生さんにこんな話しちゃって。確かに大変だけど嫌ではないのよ」


 何か彼女の助けになれないだろうか。

 強い自分でありたいのに上手く強くなれない苦しい気持ちは多分私にもある。

 そしてその苦しさは自分の弱さなのだ。弱さをたやすく人に見せる訳にはいかない。


 せめて目の前の彼女にひと時でも頼ってもらいたい。彼女の思い描く強い母親でいられるように。そう思った時にはもう口をついていた。


「私たち、魔法少女として皆さんのお手伝いをする活動をしているんです。ボランティア活動みたいなもので」


 ナギサは話が見えないという顔をする。

 近くで話を聞いていた佐渡も動きを止めて、何を言い出すのかと心配そうに私を見ていた。


「私たちに活動の機会をください! ナギサさんは何か願いとかありますか? 大したことは叶えられないけど、代わりにどんなささやかなことでもいいんです。私たちにお手伝いをさせてください!」


 ナギサは呆気に取られていたが、私の必死さに押されたように考えはじめる。


「ささやかな願い……」


 そして自分の心の中をすくうように言った。


「本を。落ち着いてゆっくりと本を読みたい」


 彼女の願いに反応してか、私の肩ではサプリンがヒゲをそっと開いていた。


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