第ニ話 魔法少女サプリイエロー

 ゆっくりと目を開けて、宙に浮かぶ青い猫を見る。モフモフしていて可愛い。

 だがやはり幻覚だろう。幻覚なら触ろうとすればすり抜けるのではないか。


 私は指先だけがふれるよう慎重に手を伸ばした。猫の額に人差し指がふれる。柔らかな手触りとやや高めの体温。


「触われる……」

「触れるに決まってるだろう!」


 猫が額に刺さったままだった私の人差し指を払いのける。


「俺はサプリン。あんたのサポートをするのが役目だ。サプリイエロー、あんた名前は?」


 私は呆けた頭を無理やり動かして答える。


「並木杏子」

「どんな字を書くんだ?」

「並ぶ木に、あんずの子」

「お、じゃああんずだな。よろしくな、あんず」


 青い猫、サプリンは私の困惑など気にしていないようだ。


 サプリンの浮かぶ下には丸い影ができている。薄いグレーの影はサプリンの微妙な動きに合わせて形を変えた。

 私は影を眺めながら虚ろに問いかける。


「私28歳なのにこの顔はなんだか、若返ってるっていうか。あと何でイエローなの?」

「魔法少女は少女だからな。それとカラーだが、あんずはさっき何を願って何色のサプリを飲んだんだ?」


 私は変身する直前の記憶を辿る。混乱して曖昧になりかけているが確か。


「……元気を補って欲しくて黄色のサプリを飲んだ」

「そういう事だ」


 元気の足りない私は、元気に満ちた完全無欠の私を願った。私にとってサプリメントは足りないものを補ってくれる、いわば変身の道具ということだ。その願いが魔法少女という形になって現れた。


 理解はできるが分かることはできそうにない。長めのため息をつく。


「無理よ。私に魔法少女なんて務まらない。私は足りないものだらけなの。そんなので役に立つはずがないでしょ」

「あんずは選ばれたんだ。問題ない。足りないものってのが何かは知らないが、足りなくても案外何とかなるもんだ」


 サプリンは物知り顔で頷いている。


「まあ無理にとは言わないぞ。あんずがやらないのなら他のヤツを探す。手間だけどな」

「待って! やらないとは言ってないっていうか」

「お、やってみるか?」

「……うん」


 断ってしまうのは簡単だが、それは単なる私の怠けかもしれない。受けるべきなのだ。そう心の中で言い聞かせる。


「私は一体何をすればいいの? 悪者をやっつけるとか」

「いいや、戦わない。敵対勢力がいるわけじゃないんだ。一言でいえばそうだな、人助けだな」


 サプリンは浮遊したまま鏡の前から移動し、ソファに腰掛けた。ぬいぐるみがちょこんと座っているようで気が抜けてしまう。


 私はソファのそばにあるベットに腰を下ろそうと、フリルだらけのスカートを整えた。座ると落ち着いたのか、やっと現実味が湧いてくる。

 サプリンは説明を続けた。


「人助けといっても、ただ困っている人に何かをしてあげればいいってものでもないんだ。関わった人達の心を知ることが大切っていうかな。出来事と関わるんじゃなくて人の心と関わるんだ」

「人助けをして、その人の心と関わる。そうすれば魔法少女の役目から解放されるの?」


「ああ、それも可能だ。あんずが魔法少女になったのは、あんずのためでもあるんだ。だから悪と戦う方針じゃない。人と関わっていけば、あんずにとって魔法少女が必要ないと思った時に手放すことができるようになる」

「私のためってどういうこと?」

「それはあんず自身が見つけるんだ」


 この説明はもう終わりだというようにサプリンはソファから浮いた。

座った私の目線と同じ高さになる。小さな2つの瞳が私を見つめた。


「あんず、変身する時はこのサプリを飲むんだ」


 そう言って掌に収まるサイズのピルケースをポンと出現させる。渡されたそのケースの表面にはビーズがあしらわれていて、中にはたくさんの黄色いカプセルが入っていた。


「変身すると普段より少しパワーが満ちて、身体能力が上がる。いつもと違う感覚がするはずだ」


 私は身体の感覚に耳をすます。なんだろう、内側からポカポカするような感じだろうか。どこからかエネルギーが供給され、満ちている感覚だ。

 サプリンは感覚をつかんだ私を見て、満足気に大きく一度頷いた。


「そしてその手に持っているステッキは魔法が使えるんだ。万能ではないけどな。狭い部屋で使うのもなんだからとりあえず外に出るか」


 私は右手に持っていたステッキを見る。魔法という言葉に浮き足立つのが分かる。魔法への憧れは大人になるうちに消えたと思っていたが、まだくすぶっていたようだ。

 しかしすぐ我に返った。


「え、ちょっと待って。今外って言った? この格好で外を歩くなんて絶対無理。見た目は少女になってるけど私はアラサーなのよ?」

「心配するな。いったん元に戻ってから移動して、人の居ない所でまた変身すればいい。人を助ける時は人前でその姿なんだから早いとこ慣れた方がいいぞ」


 とたんに恥ずかしくなり、せめて何か羽織れるものがないかとクローゼットの中身に頭を巡らせる。しかしこのヒラヒラに膨らんだスカートを隠せるほど大きなコートなど持ってはいなかった。


「どうやって元に戻ればいいの?」

「そのステッキを目の前にかかげて“解除”と言うんだ。ちゃんとステッキに願いながらな」


 立ち上がり、ステッキを縦に構える。羽根に挟まれたカプセルをかかげるようにぐっと力を込めて腕を持ち上げた。


「解除」


 ステッキから光がサラサラと帯状にあふれ、私を包み込む。ひんやりと冷気を放つ光だ。元に戻るのは変身より速く、数秒で光は消滅した。

 普段の服装に戻っている。ステッキは再びペットボトルの水になっていた。


「お、うまく解除できたみたいだな。じゃあ外に出るか。水を忘れるなよ」


 サプリンは流れるようにスイスイと玄関に向かう。

 私はまだ起きたばかりの姿だ。そういえば目が覚めてすぐに変身してしまったのだった。


「待って! 外に行く支度をさせて!」


 うんざりしたようなサプリンを尻目に、私は慌てて髪をとかして着替えに取りかかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る