日曜日の朝、変身した私達は足りないものを探す〜サプリメント・メタモルフォーゼ〜
雪坂りこ
第一章 足りない日常は魔法少女の糧
第一話 日常サプリメント
カーテンから漏れる光で部屋は薄明るい。目覚ましの音に眠りを打ち切られた私はスマホのアラームを解除した。意識が浮上する。また朝が来てしまった。
スマホの通知に『
体を起こしてベットに腰掛けたものの、私はそこからしばらく動けずにいた。ベットに縫い付けられたように身体が重い。見るともなしに散らかった部屋を眺める。社会人になってから6年、一人暮らしの部屋の空気はくすんでいた。
ソファに引っ掛けたままのワイシャツ、雑に重ねられた書類。
「仕事……」
掠れた声でつぶやくと独り言は壁に吸収される。ふっと息を吐きながら、意を決して立ち上がった。
昨日机に出しっぱなしにしていたペットボトルを掴み、キッチンへと向かう。
柔らかいペットボトルだったのか、指の力でめきょっと音がした。虐めるように何度かペットボトルを締め付ける。めきょめきょと悲鳴がして、半分ほど残っていた水が大きく波を立てた。少しだけ気持ちが穏やかになった気がする。
キッチンの棚を開けると、無数のビンやアルミパウチが並んでいる。それぞれが違ったサプリメントだった。いくつか厳選し、次々と取っていく。オレンジ、黄色、白、ピンク。小さくカラフルな錠剤やカプセルが手のひらの窪みで転がる様子はなんだか可愛い。
一気に口へ放り込み、ぬるくなったペットボトルの水を流し込む。ごろりとしたあまり好きではない感触が喉を通っていった。
私は毎日、自分に足りないものを錠剤にして飲み込んでいる。元気が足りない、気力が足りない、肌のハリが足りない。
私は足りないものばかりのようだ。そのままの自分ではあまりにも生きづらい。今日も飲み込んだサプリが私の足りない部分を埋めてゆく。
「これで完全無欠の私に変身、なんてね」
イヤホンを耳に入れ、アップテンポの曲を頭に流し込む。テンションを引っ張り上げながら身支度を進めていると、あっという間に家を出る時間になった。最後に髪を一つにきゅっと縛る。
さあ、仕事に行こう。私は玄関の扉に手をかけ力を入れた。少し重い扉が開き、隙間から風が勢いよく吹き込んでくる。びょうと音を立てて一日が始まった。
私の仕事はクリニックの受付事務だ。仕事が始まると、事務作業と患者さんの対応に追われる。
今日は待合が混み合い診察も押していた。待合で座っていた中年女性が耐えきれなくなったようにこちらにやってくる。
「ちょっとあなた! もう15分も待ってるのにまだ呼ばれないんだけど。こっちは予約した時間通りに来てるっていうのにどういうことよ!」
彼女は不機嫌さを隠そうともせず私に噛みついて来た。その剣幕に空気がたわむ。待っているのは皆同じなのだ。私にはどうすることもできない。
「大変お待たせして申し訳ございません。順番になり次第お声掛けさせていただきますので」
そう答えるが、案の定女性の怒りは解けなかったようだ。しばらく文句を並べ立ててから、憮然とソファに戻っていった。
診察が終わった患者さんが会計に来る。どんなに嫌な思いをした直後でも笑顔を向けなければいけない。とっさに作った笑顔が歪になっているのを感じる。
「お大事になさってください」
声のトーンが無愛想にならないよう気をつけながら見送る。程よく元気に明るく、優しく穏やかに。そう言い聞かせながら仕事をするのがいつからか癖になっていた。
夕方、帰ろうと職員用出入口に向かう廊下を歩いていると、向かいから男性が歩いて来るのが見えた。彼は最近入職した心理士で、名前は確かサワタリといったか。
30代前半くらいだろう。清潔感はあるもののどこか頼りなく、くたびれた印象を受ける。彼は白シャツに黒のパンツ、そこに白衣を重ねたスタイルでぼんやりと歩いていた。話したことはないが、優しげなのに距離を感じる人だと思う。
挨拶をしたことが無かったと気がつき声をかける。
「お疲れさまです。事務の
サワタリは話しかけられたのが意外だったのか少し慌てた後、目尻を下げ笑顔を見せた。
「佐渡です、よろしくお願いします。お疲れさまでした」
佐渡の目が少し心配気に私を捉えていた。疲れた顔をしてしまっていただろうか。不安になった私は笑顔で視線を外した。
「お疲れさまです」
そのまま足早にすれ違い、私は家路を急いた。ささやかだがコンビニで誕生日ケーキを買って帰ろう。やはりショートケーキが良い。ハッピーバースデー私。
次の日曜日の朝、8時半の少し前に目が覚めた。窓の外は煙るように明るく、白い光が眩しい。遠くからバイクの走る低い、唸るような音が響いてくる。
私はいつものようにサプリを飲むべく、重力に負けそうな背中を起こして立ち上がった。
サプリを飲む事は最早儀式とも言うべき習慣になっている。休日といえども部屋に散らばった洋服を片付けなければならないし、食材の買い出しにも行かなければならない。
それすらままならないこの足りない状態を、何とか補わなければならなかった。
そのままの自分で過ごせたらいいのに。そんな事をたまにうっすらと考える。日光に照らされた白い壁が目に痛い。
ペットボトルを虐めながらキッチンへと向かい、戸棚を開けてサプリを取り出す。
「今日も完全無欠の私に変身。サプリ、私の元気を補って」
手のひらに転がった黄色の錠剤を口に放り込んで水を飲む。そこまではいつもと変わらない日常だったのだ。
次の瞬間、私の周りを光が取り囲み、すぐに部屋が見えなくなった。よく見るとその光は一つずつ小さな粒になっていて、それぞれが光を帯びたサプリのカプセルだった。
困惑に声も出せないまま固まってしまう。そうしている内にほんの十数秒で光達は消えていった。
一体何だったのかと少し視線を落とす。視界に見覚えのない、ヒラヒラとしたリボンとフリルが映り込んだ。
服が変わっている。裾の膨らんだ黄色いフリフリのミニスカート。腕には同じく黄色いラインの入ったアームカバー。それに手に何かを持っていた。いや、初めから水の入ったペットボトルは持っていたのだが、それが別の物に変わっている。
「これは……魔法のステッキ?」
細長い棒の上に黄色いカプセルがあり、その両側を翼が挟んでいる。まるで昔テレビで見ていたアニメの魔法少女のような格好だった。
「意味が分からない。幻覚でも見ているの?」
恐る恐る鏡の前に行くと更に驚くことがあった。若返っている。顔は確かに私のままだがもっと幼く、中学生かせいぜい高校一年生くらい、学生時代の私だった。
鏡に映る私はキラキラの髪を高いポニーテールにして、大きな黄色いリボンを結んでいる。ついにおかしくなったのかと顔を触ってみるが現実の感覚のようだった。
病院に行った方がいいかもしれないと考えながらただ唖然とする。
すると手に持っていたステッキの先が光り、何かを生み出した。20センチほどの小さな青い猫のぬいぐるみ。この流れだとサポートしてくれるマスコットだろうか。猫が何か言っている。
「今日から君は魔法少女だ。サプリメントに変身を願っただろう? これで君は元気いっぱいサプリイエローだ!」
視界が波打って不確かになる。私はその場で静かに目をつむった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます