#5 決断

 貸して貰った本はファンタジー物の小説だった。内容を簡単に言うと、敵国との関係を良くするために政略結婚させられてできた子供と両国間での争いといったところだろうか。本自体暇ではないと読みはしないが、中々面白くて没頭してしまった。


 気が付くと辺りは薄暗く夕暮れ時、カフェの人もまばらになってきた。そろそろ帰るかと席を立ち本を返すために受付へ向かった。


 「すみません、ありがとうございました」


 感謝を述べて本を返却すると、男は「これ、面白かった?」と聞いてきたので率直に「面白かったです」と返す。本を受け取った男は嬉しそうに微笑み「よかった」とだけ言った。


 図書館から出ると、旅館の目印の繋岸橋を目指して歩き出す。まだ道を覚えていないからか、人通りの少なくなった町からは底知れない寒気を感じる。道に迷いながらも目印の橋が視界に入った頃には辺りは暗くなっていた。


 川のほとりを橋に向かって一直線に歩く。まばらな街灯が照らす道は昼の喧噪とは打って変わり静寂が支配している。ふと後ろに何かの気配を感じて後ろを振り向くもそこには街灯の光しかなかった。気味が悪くて怖くなった俺は急いで橋まで向かう事にした。そうして走り出したその時、先程感じた気配が背後にさっきより濃密に感じた。


 全身が竦む様な恐怖感に駆られて全速力で走り出したが時すでに遅し、俺の肩を掴んだ『それ』は俺の動きをいとも簡単に止めた。


 本当は振り向きたく無かったが、この状況で振り向く以外の選択肢は無かった。


 恐る恐る振り向くと、そこには街灯に照らされた真っ黒な影が俺よりも少し大きい人間の形を成していた。振り返った時は声も出ない程驚いたが、ここは『繋岸町』だ、非日常的体験によって未知の物に対する恐怖心が薄れていたのか、ふと、この人?も何かを言いたいだけなのかと思い話しかけてしまった。


「あの、すいません。何か用ですか?」


 話しかけてはみたものの、何も反応が無い。だが俺の肩を掴む力は増すばかりで黒い影の手が肌に深く食い込み始めていた。何とかして振り払おうにも、力が強くて振り払えない。


 「痛いんで放してもらってもいいですか」と言うが返事は無い。ここに来てようやく気付いた、『これ』は話が通じるような存在ではないという事に。


 気付いた途端に薄れていた恐怖心が心の中で一気に沸騰した。


 取り合えず助けを呼ぼうと思い口を開こうとするが、その動きを察知した影の背後から手が増えると俺の口と鼻をふさいだ。


 呼吸ができなくなり暴れる俺に影が縄の様に絡みつきもっと強い力で押さえつける。酸欠になり遠のいていく意識の中、さっきの街灯の上に乗る小刀を腰に携えた少年の姿が見えた。


 死ぬ前に見える幻覚なのかと困惑していたが、俺の状況を察しておかっぱ頭の少年は、両目を閉じるジェスチャーを出してきた。


 俺はそのジェスチャーを信じて両目を閉じると一瞬だった。恐らくあの少年が振るったであろう刀の風圧が俺の顔の上を通りすぎていく。それと同時に俺に掛かっていた力が音もなくふっと消えて自由になった。


 「もう開けても良いですよ」


 息が出来なかったせいで呼吸が荒かった。閉じていた両目を開けると、そこに影は無く小学生くらいに見える少年が立っていた。


 少年は俺が生きていた事に安心して「よかった~」と言っていた。見た目相応の口調だが、この町に来てからは見た目に惑わされない事も大事なのは嶋楽で学んだ。恐らくこの少年も只者では無い何かだろうと警戒していると案の定、腰に持っている刀の切先を俺の眼前に差し出した。


「君、この町の住人じゃないでしょ。それに、が見えてるって。ここで何してたの?」


 一難去ってまた一難とは、もはや運がいいのか悪いのか分からなかった。自分が殺されてしまうかもしれないという思いのせいで震える唇で、一通り事の顛末を説明して首に下げているプレートを見せると、少年は「なるほど」と言って納得して刀を納めてくれた。


「じゃあ、そこの橋まで送ってあげるよ」


 少年は朗らかに笑いまるでピクニックに向かう様に俺の前を歩きだした。到着するまで無言というのも居心地が悪かったのでその少年に話しかけてみる事にした。


「君は、何で助けてくれたんだい」


 前を歩く少年は少し考えて教えてくれた。


「そうだな~困ってる人を助けるのが僕の仕事だからかな」


 この少年の正体を知りたかった俺は試しにプレートを付け外ししてみたが、少年の姿は変わらないので、嶋楽とは違いこれが本当の姿なのだろう。こんな幼い少年が仕事をしているとは本当に見た目は当てにならない。


「その年でもう仕事してるのかい?偉いね」


 そう言うと、ふふっと少年は笑っていた。


「ありがとう、そんな事を言ってくれたのはお兄さんで二人目だよ」


 元々端までの距離も近かった事もあって、少し話しているだけで繋岸町に着いてしまった。


「ここまでくれば大丈夫だね」


 少年は振り返って、俺の顔を見上げる。


「うん、ありがとうね」


 少年に感謝を告げると、「それじゃ、またね」と言って少年はまた橋の向こう側に足を進める。


 助けてもらった恩があったので、少年を最後まで見送り一日は終了した。


 翌朝、宿から出ると枢が入口で待っていた。枢はひとまず庁舎に行こうと言ってタクシーで庁舎まで送ってくれた。


 執務室に着くと、枢は俺の前に一つコーヒーカップを置いた。


「さて、じゃあ答えを聞かせてもらおうかな」


 俺は湯気が立ち上るコーヒーを一口飲むと意を決して口を開いた

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アソートワールド さしみ @Copre

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