無我-crazy in trouble- 4
追手を撒くのにそう時間は掛からなかった。
オレたちが表通りに出たタイミングで振り返ると、柄の悪い青年はようやく蹴りの痛みから立ち直った所だった。
その後は人の多い場所を狙って早足に動き回り、だいたい一駅ぶんくらい離れた辺りで見つけた、この公園でひと息入れることになった。
一〇分に満たない、オレにとってはジョギング以下の運動量だったけれど、ベンチで隣に座る少女は今も肩で荒い呼吸を繰り返している。思えば移動中も、引く手からは常に後ろ向きの抵抗力が伝わっていた。あれでも彼女にとっては全速力だったのかもしれない。
呼吸が落ち着くのを待つついでに、近くにあった自販機で五〇〇ミリリットル入りの水を二本買う。
うち一本に口をつけながらベンチの前に戻り、もう一つを少女の目の前にずいと差し出す。
「お疲れさん。とりあえずコレ、飲んどけよ」
「…………」
ようやく息が整ったらしい少女は、ゆっくりと顔を上げる。その動きは、恐る恐る、という表現がぴったりの緩慢なものだった。
そして差し出したペットボトル越しにオレの顔を認めると、彼女は露骨に嫌そうな表情を示した。
「あーー……もしかしなくても、オレが買って来た水は飲みたくない?」
予想通りの反応に苦笑してしまう。
こういうパターンもある。良かれと思って人助けした結果、救いの主が病魔発症者だと知るや否や、けんもほろろにあしらわれるのだ。
ただ、目の前の少女の反応はそれと少し違った。
彼女は「はぁ~~~」とひとつ大きなため息をつくと、
「……ください」
「――――えっ?」
「水、くださいって言ってるんですけど……っ!」
文学少女っぽい見た目に反して、思い切りのいい飲みっぷりである。
オレは呆気に取られて、まじまじとその姿を眺めてしまう。
身長は女子として中の下くらい。黒縁で四角い眼鏡と、肩下まで下ろされた黒髪を一つ結びにまとめた外見は、やはり体育会系とは思えない。しかし改めて見てみると、最初に抱いた「文学少女」という像は間違っているように感じた。
なんというか、インドア派にありがちなおっとり・ふわふわした雰囲気が皆無で、むしろそこから程遠い、ピンと張りつめたテーブルクロスのような緊張感を纏っていた。
そんな少女はペットボトルを両手で握り締め、
「最悪。助けられた上、施しを受けた相手が病魔発症者だなんて」
心底悔しそうにそう絞り出した。
「そう思うなら受け取らなきゃ良いだろ……」
「しかもこの発症者、流暢に日本語を喋ってる。信じられないんですけど」
「おい」
病魔発症者のことを一体なんだと思っているんだ。
地球外生命体と勘違いしていないか。
この少女、逃げ出したりしないだけで、発症者に対する嫌悪感は普通と同じ――どころか並以上に毛嫌いしているようだ。
「本人を目の前にして随分な言い草だな」
「病魔発症者って、自分の欲望が抑えきれなくなって衝動的になっちゃうんでしょう?さっきの
「へぇ、そいつはまた……」
お手本みたいな病魔への偏見に満ちた意見だった。
そんな風に嫌悪感を隠しもしない彼女だが、
「――ただ、それはそれとして。さっきは、どうも。ありがとうございました。ちょっとだけ、格好良かったです」
ベンチから立ち上がり、深々と頭を下げてそう言った。
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