無我-crazy in trouble- 5

 それはそれ。

 口にした通り、彼女は発症者に対する感情と、人としての礼節を別けて考えられるだけの聡明さを持っていたらしい。

「お……おう」

 久しく耳にしなかった言葉に、それ以上を咄嗟に返すことはできなかった。

「正直、諦めていました。『ああ、このまま何もできずに乱暴されるんだ』『探偵の真似事なんてするんじゃなかった』……って。病魔は好きになれないですけど……助けてくれたことには、本当に感謝しています」

 探偵の真似事。

 感慨に浸りかけていたオレの意識が、彼女の発したその単語によって現実へ引き戻される。

「……忘れるところだった。なんであんな所で、あんな胡散臭い男と話す羽目になってたのか、教えてくれるんだよな」

「え……!?」

「それ言わなきゃダメなんですか、みたいな顔をするな」

 これを聞くためにオレは、面倒事にわざわざ首を突っ込んだんだから。

「考えてもみろ。アンタは身に危険が及びつつあった…そこにオレが介入し、危険を遠ざけた…これは事実だな?」

「ええ。まあ」

「じゃあ同じ危険に身を晒した当事者にも、そこに至るまでの経緯を知る権利はあると思わないか?」

「う、うぅん………………………………………………」

 彼女はたっぷり一分以上黙考してから、

「………………分かりました。気は進みませんけど、助けられた恩がありますから」

 本当に渋々といった様子ながら、説明してくれた。

「実は……数日前から、わたしの後輩が行方不明になっていて……。ご両親も学校も、警察には届け出たって聞いたんですけど、それ以降の状況が全然伝わって来ないんです」

「行方不明、――――」

 彼女の指がせわしなく手元のペットボトルを弄んでいるのは、その焦りの顕れに思えた。

「……警察を疑うつもりは無いです。でも、人探しくらいならわたしでも出来る……って思って、だからわたし、後輩らしい姿を見たっていう証言を頼りに、街中を探し回ってるんです」

「で、それらしい場所が今回はあそこだった…て訳か」

「今までは目撃地点に行っても何も手がかりが無かったんです。でも今日の場所には人がいて……もう一歩踏み込んだ情報が手に入るかと思ったんですけど……」

 肩を落とす彼女には悪いが、それは人間の善性を信用し過ぎだろうと思う。盲信と言っても差し支えなさそうだ。それとも、単に世間知らずなだけだろうか。

 人目の付かない場所にうら若い女子が一人でのこのこやって来れば、そりゃあ裏の住人はすべからく「カモが来た」と思うに違いない。

「世の中そう美味い話は無いってことだ。良い勉強になったな?」

「うわ……すっごい頭にくるんですけど、その言い方」

「はは、その威勢の良さがさっきのニィちゃん相手でも出せたなら、オレもこんな言い方しない。これに懲りたら、後輩ちゃんのことは信じて待っててやるんだな。そのために、警察って組織が存在するんだろ」

 むすっと不満を示すものの、オレの言葉に一応は納得したようで、それ以上の抗議はせずに少女はベンチに腰掛け直した。

 他に聞きそびれたことは無かったかと反芻し、

「そういや、まだお互いの名前も知らなかったな。オレは別谷わけたにさかえ。――別谷でも境でも、好きな方で呼んでくれ」

「そうですか。では『別谷さん』で。……わたしのことは伊南いなみでお願いします。すみませんが、それ以上の個人情報は」

「ああ、それで構わない。伊南の日常に干渉するつもりは無いよ」

 初対面同士でこれ以上の詮索は難しそうだ。

 これからどうするかは事務所に戻ってから考えるとしよう。

「オレはもう帰るけど、伊南はここから家までの道、大丈夫か」

「ば、馬鹿にしないでください…!わたし、高校生なんですけど!それくらい平気ですから、早くお帰りくださいさようなら!」

(なるほど、高校生だったか)

 子供扱いされたと思ったのか、憤慨する伊南。

 売り言葉に買い言葉、反射的に発した内容に彼女の個人情報がオマケで紛れ込んでしまったことにも、気付かなかったようだ。

 もう顔も見たくない、とばかりに足早にこの場から立ち去っていく元気な後ろ姿を一度だけ振り返り見て、オレもまた公園を後にする。

 そうして神流の事務所に向かう道中、オレの頭を支配していたのは彼女の発した「行方不明」という単語と、六日前の神流とのやり取りだった。

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