無我-crazy in trouble- 3

 ところで、なぜ周囲の人間がオレを見ただけで病魔発症者だと分かるかというと、それはオレの顔にとある刺青が刻まれているからだった。

 刻印と言っても良い。

 左目、涙袋の下にある、バーコード状のものがそれだ。

 指定疾患特別認可証――特認証と略称される――それは、病魔を発症した者のうち、政府が「通常の社会生活を送っても良い」と判断した人間にのみ付与される、つまり許可証にあたる。

 特認証が与えられない者は、存在するかも定かじゃない治療法が確立されるまで、専用の隔離施設で一生過ごすことになる。もっとも、そういった処置が下される発症者というのは大抵、その境遇を嘆くほどのまともな精神性を保てていないものなのだけど。

 ともかく、政府公認の許可を得ているオレは本来、無害な通行人Aとして街中に溶け込めるはずなのだ。

 しかし悲しいかな、安全性を保証するための特認証は、一般人にとってことの証左になってしまっている。

 ここにメディアによって流布された、病魔は危険で、不明で、恐ろしいという負の感情を掛け合わせるとあら不思議。

 顔を見られるだけで勝手に相手から敬遠される構図の完成である。

 ただし、相手が病魔発症者だと分かっても関係なく距離を縮めてくる人間というのは一定数いるもので。

 それは例えば、オレにパシリを命じた上司の神流だったり、高校以来の付き合いである等々力ひなただったり――――

「……ンだよ嬢ちゃん、こいつの知り合いか?」

 今オレの目の前でメンチを切る、明らかに好意的じゃない視線のアウトローなお兄さんだったりする。

 まだ日の高い時間帯のはずなのに、薄暮のように見通しが悪い裏通り。

 そんな場所で柄の悪い青年と高校生らしき少女が二人きりで何やら話しているのを見かけ、魔が差したオレはつい、話に首を突っ込んでしまって今に至る。

「えーと、まあ、そんなところ。話、聞かせてもらう約束だったんだ。この後」

 我ながら見事に方便だと分かる返答だなと思った。少なくとも、買い物帰りだと一目で分かるレジ袋を提げた人間が言う台詞ではない。

「へぇ……俺以外にこんな奴にも依頼してたんだ。思ったより真剣マジなんじゃん、あんたの人探し。『発症者』の手まで借りるとか普通じゃないっしょー」

「いえ……えっと……」

 剣呑な雰囲気はそのままに、ケタケタと笑いながら要領得ないことを口走る青年。その笑顔は作り物みたいに精巧で、彼の素顔を隠すようにべったりと張り付いていた。

 水を向けられた少女もすっかり萎縮しているのか、特徴的な黒縁眼鏡のレンズの奥で気まずそうに視線を泳がせるばかりだ。

「俺もこいつと大事な話の最中なの。分かる?順番。こっちの話が終わるまで口挟まないでくれるかなぁ」

 そう言って仲良しカップルのように少女を片手で抱き寄せるが、その肩が強張って見えたのはオレの気のせいだろうか。

「……わかった、口は挟まねぇよ」

 ――ああ、くそ。

 分かり切っていた展開に大きく息をつく。やっぱり面倒なことになるじゃないか。

 こんな面倒に首を突っ込む羽目になったのも神流アイツのせいだ。後で文句の一つでも言ってやらねば。

「口出しはしねぇけど、手は出させてもらう――!!」

 言うが早いか、オレは提げていたビニール袋を中身ごと正面に投げつけた。

「っ……!?」

 所詮中身はコーヒー粉と紙製フィルター、大した勢いも出ないそれは例え不意打ちであっても青年が避けるのに苦労は無い。彼は余裕をもって飛来した物体から身を躱した。

 それで良い。

「――ッ、ラァ!」

 投擲と同時にふところまで飛び込み、間髪入れずに青年の腹へ蹴りをお見舞いする。

 少女の短い悲鳴と共に、青年の苦しそうなうめきが上がる。

「お……ごっ…………」

 人間の反射的な動作というのは、外界からの刺激に対して通常の動作よりも短い経路で筋肉への命令が飛ぶ。熱い物に触れた瞬間腕が跳ね上がったり、目の前で手を叩かれた瞬間まぶたを閉じるのも反射だ。

 致命的なダメージから身体を守るためのこの機能は、しかし本人の意識と無関係にという側面も併せ持つ。

 この瞬間、青年の目は飛んでくる袋に釘付けとなり、避けるために少女から手を放してしまったのだ。

 鈍痛に悶える青年に構わず、オレは傍らの少女の手を取る。

「走るぞ!」


    ◇◇◇◇

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