011

 呼吸をグッと止め、胸筋をりきませるイメージで魔力を操作。胸の穴を塞ぐためのせんを創り出す。

 漏れ出るはずだった魔力は行き場を失い、瞬時に体の隅々まで行き渡る。自分が人間の皮で作られた、魔力でパンパンに膨らんだ風船になったかのようだ。


 ほんの一瞬。まばたきを始めてから、再びまぶたを開けきるまでと同じくらいの時間。

 しかしこれで十分だ。

 魔力の栓を外す。


 刹那、音もなくデカハゲが斜め上に吹き飛び、建物の壁に激突した。

 オレはオレで反作用によって壁へ押し付けられる。


「アニキィ!?」


 路地裏をふさぐチンピラの狼狽ろうばいが聞こえる。


 アーデルハイトとの決闘で自分の無力さをハッキリと自覚したオレは一つの結論に至った。

 少なくとも今、オレは魔術を使うことは不可能だ。

 正確に言うなら、魔術を行使するのに必須である魔力操作の技術が、学院に通っている生徒のそれに達していないのだ。


 これは当然で、今のオレは「ポケット六法を読んでいる法学部生の中に放り込まれた、ひらがなを習い始めたばかりの外国人」とほぼ相違ない状態なのだ。


 しかし、じゃあ諦めますという選択肢は死に繋がるので、とにかくオレは出来ることを増やしていかなければならない。

 故にオレは、「魔術を使う」という意識から「結果的に魔力を操作出来れば何でも良い」という方針に転換した。


 その一つが、魔力を単純なエネルギーとしてぶつける行為だ。


 いま繰り出したのは「魔力が溢れる胸の穴に栓をし、高圧により吹き出た魔力をぶつける」技。発想の元は天井破壊事件だ。もちろんあの時と同じ被害を出さないよう威力調節には気を配っている。

 オレはこれを「シャンメリー」と命名した。

 シャンパンじゃないのは、出力を上げすぎないよういましめる意図を込めたからだ。


 上から落ちてくるデカハゲを観察する。大量の出血など分かりやすい外傷は無い。死んでいないだろう……多分。


 すかさずオレは先程「アニキ」と叫ばなかった、口を開け呆けているチンピラへ向かって疾走する。


「く、来るなぁ!」


 ハッと我に返り、悲鳴に近い絶叫を放つチンピラ。彼の数m手前まで近づいたオレは、左のてのひらを前に突き出す。


「破ッ!」


「うひぃ!!」


 チンピラは頭をすくめ腕をクロスし、ガードを試みる。オレはその横を走り抜け路地裏から出た。


 そう、ブラフだ。オレは”シャンメリー”以外、対抗手段を持っていない。

 そして”シャンメリー”は胸のど真ん中に開いた穴から出すという都合上、しっかりと相手の方を向き静止して狙わないと当たらない。走りながらなどもってのほかだ。


 一応空手の経験はあるが、学生が数年かじった程度の技術でどうにかできるとは全く思えない。


 それに対峙たいじして実感したが、刃物を持った人間は、怖い。


 修羅場をくぐった経験がオレに冷静さを保たせたが、怖いものは怖い。

 ゲーセンやコンビニで不良に絡まれるのとは訳が違う。警察・監視カメラ・法律などがかせとなり、酷くても大概は暴力沙汰ざたで済むのが日本だ。


 対して平気で人さらいが横行するこの世界で、よりによってオレは人目につかない場所に連れ込まれナイフを突きつけられた。

 最悪のケースが起きた場合、ケガだけで済むとは思えない。


 しかしそんな脅威も、真っ向から受け止めなければいい。逃げるが勝ちとはよく言ったものだ。


 全力で学院まで駆ける。走りづらいし、足が痛い。

 エーリカやレイカンへのプレゼントは未だ思いつかないが、次の外出でオレの買うべきものが一つ決まった。靴だ。

 なるべく運動靴に近い性能のものが良い。もし無かったら、特注してでも買い替えたい。


 そう思うほど、この世界の靴は最悪の履き心地だった。


 *


 チンピラに絡まれた日の晩、オレはベッドで悩んでいた。


 次の週、街に出たとしてあのチンピラに見つかったらどうしよう。


 何をプレゼントするかどころの話じゃない。街歩きだけでも命が危険に晒される場合があると実感した。


 寝返りをうつ。


 そもそも、サプライズを仕掛けてあの2人は喜ぶだろうか。サプライズプレゼントで喜ばせようという考えが、この世界で通用しないトンチキ行為だったら目も当てられない。


 ……素直に本人と話してしまおう。


 手段が目的になりかけていた。とにかく、2人に感謝の気持ちを伝えるのが先だ。贈り物でその気持ちを表現したいというむねを伝えるのは、その後で良い。


 悩みが解消された途端に重くなったまぶたを、オレはそのまま下ろした。


 *


 翌日の昼、オレは食堂で2人を待っていた。一番端の席でだ。


 豪商含む平民と、貴族を明確に区分する絶対に越えられない壁がこの世界には存在する。身分制度だ。

 エーリカ曰く、学院という特殊な環境でもなければ、有力貴族に平民が近寄るのは本来タブーだそうだ。場合によっては罰せられることもあるらしい。

 だから念には念を入れ、貴族を刺激しないよう端の方にいる。


 先程は「豪商含む平民と、貴族を明確に区分する」と表現したが、じゃあ平民寮に住む生徒はみんな仲良しかというと、全くそんなことはない。

 家が太くその上エリートな彼らは、貴族に負けず劣らずの差別意識を持っている。そういう点では貴族も豪商も同じだ。より格の劣る相手をあなどる。


 家が貧乏なエーリカとレイカン、そして難民のオレはカーストの最底辺なのだ。


 これがマンガや映画ならイジメの対象になっただろう。しかし、現実は違った。


 徹底的な無視。居ない者扱い。侮蔑ぶべつすら向けるに値しない人間。

 より正確に言うと、カースト最底辺はおろか、カーストという枠に含めることすら拒否されている。

 それがオレ達だ。


 過去、友人を切り捨ててカースト上位という立場を選んだことのあるオレには、この扱いがかなり効いた。

 もしあの2人が居なかったら、絶対に耐えられなかったと確信を持って言える。


 しみじみと2人への感謝を噛み締めていると、嫌なものが視界の端に映る。

 アーデルハイトだ。

 去年までヤツは生活棟へ来ることはなかったという。使用人を呼び、全てを貴族寮で済ませていた。


 それが何故か、決闘の日を境に生活棟に顔を出すようになった。


 恐らくオレに敗北……いや勝利したことが理由だろう。

 その証拠にほら、遠くからオレにガンを飛ばしている。直接話しかけては来ないが圧を掛けてくる。嫌なヤツだ。

 親かマクシミリアンかは知らないが、恐らくオレに関わるのをめられているのだろう。でなければ「視線がウザかったから」でオレを退学に追い込もうとするようなアグレッシブ人間が、復讐に燃えない理由が無い。


「おまたせ~」


 飛ばされる殺気を必死に無視していると、声を掛けられる。エーリカだ。


「お前の分だ」


 オレの前に食事を乗せた皿を置くレイカン。

 一番乗りが席を取り、後から来た人が一番乗りの食事を持ってくる。オレら3人で交わされた内輪ルールだ。

 エーリカはオレの対面、レイカンはオレの隣に座った。


「2人に相談があるんだけど」


「次にどの天井に穴を開けようかという相談か?」


 レイカンを肘でつつく。

 初めは取っつき辛いと思っていたレイカンだが、確かに皮肉屋なところはあるものの、根本的に人との関わりを拒絶するタイプではなかった。

 これは邪推じゃすいだが、学園や学院で受ける庶民蔑視・無視が原因だとオレは考えている。11歳という若さで学園に放り込まれ、こんな仕打ちを受けたら真っ直ぐ育つほうが難しいだろう。

 むしろエーリカがこんなに明るい性格でいられるのが不思議だ。


「じゃなくて、2人には色々助けてもらってるからさ。お礼に贈り物したいけど何がほしいのか分からなくて」


「そんなに気を使わなくてもいいのに……というか、いつのまに稼いだの?」


 皇帝のボンボンを分からせましたと説明できたらどんなに楽だろう。しかしそれが露見ろけんしたら困るのはオレだ。契約を破ることになる。


「まぁ、ちょっと一発ね」


 エーリカの肩が少し跳ねた。


「男娼でもしたか」


「何それ」


 レイカンはオレの尻を見る。


「『ちょっと』」


「んなことせんわ!」


「あははー。まぁ、今のは言い方がちょっとね」


 苦笑いのエーリカ。

 確かに誤解を招きかねない表現だったかもしれない。


「なら、賭博とばくか」


「そうそれ。ギャンブルでだよ」


「当ててやろう。時期を考えると……馬だな?」


 馬……競馬か。

 誤魔化すには良いかもしれない。オレはこの世界のゲームを知らないから賭博をする場所カジノで稼いだとは言えない一方、競馬なら大穴が当たったとでも言えば良い。


「正解、よく分かったね」


「ロウって競馬やるんだ。意外かも」


「初めてやったんだけど、たまたまね。ただのビギナーズラックだよ」


 話が脱線しすぎていることに気付く。どの世界でも学生は結局こんな感じなのかな。


「で、本題はお礼だよお礼!」


「まぁロウが良いなら……甘えちゃおうかな」


 にっこり笑うエーリカ。可愛い。


「予算はどのくらいだ?」


 貰う前提で話すレイカン。こういう話が早い所、嫌いじゃない。


 で、予算だ。オレの預金額は小きん貨9枚ちょいだったはず。

 ならそれぞれ小きん貨3枚で良いだろう。ほぼ3等分でキリも良いし、どうせあぶくぜになのだ。ケチケチしてもしょうが無い。


「小きん貨6枚かな」


 レイカンがむせる。


「あははは! 今回ばかりはロウのが一枚上手だ!」


 ケラケラと笑うのはエーリカ。


「油断した。そんな壮大な伏線だったとは」


 なんとなく話が噛み合っていない気がする。話しぶりから察するに、冗談だと思われてないか?


「で、どこまでホントだったの? プレゼントのくだり? それとも競馬で当てた所?」


 エーリカが身を乗り出す。


「いや、全部だよ。口座に預けてるから手元に無いけどね」


「もう良い。今回は俺の負けだ」


 レイカンは何度かせき払いをした。冗談の追い打ちだと思われている。


「ほら、護衛騎士を雇うためのお金もある」


 2人だけに見えるよう財布の口をゆるめる。中にあるのは小ぎん貨3枚相当そうとうの硬貨だ。


「……馬で当てたというのはあながち間違いじゃないみたいだな」


 2人はすっかり笑うのをやめ、互いに顔を見合わせた。

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