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 女性職員はものの数十秒で戻ってきて、オレを2階の個室へと案内してくれた。

 革張りのふかふかソファに、ツルピカに磨き上げられた大理石のテーブル。部屋にある家具はどれも高級感をひしひしと感じさせる一品だ。


 背後で扉の開く音。入ってきたのは、40代は過ぎているであろう白髪オールバックの男性。キッチリ整えられた口ひげに目を吸い寄せられる。

 彼はオレの対面にある一人掛けチェアまで進むと、着席前に折り目正しく一礼し、自己紹介をした。


「ロウ様、お待たせして申し訳ありません。わたくし、ここジーゼ商会のあるじ、レオルクと申します」


 深みのあるバリトンボイスが耳に心地良い。彼の見たままを表現するなら、有能そうな紳士だ。自分の体にフィットしたシャツ・ズボン・ベストを着こなし、立ち座りの動作はゆったりと優雅で、背骨に棒でも入っているかのように姿勢が崩れない。外資系企業ビル周りを歩くとこんな人たちがいたのを思い出す。

 ダボ付いた白のロンTを着て彼の前に立っている自分が恥ずかしくなった。


「受付の者曰く『きん貨の両替にいらっしゃった』とのことですが、間違いはございませんか?」


「はい、使いやすいようどう貨やぎん貨を持ちたくて」


「それは何をご購入なさるかまだ決まっていない、ということでしょうか」


「そうですね。ただ、このままじゃ使えないので」


 テーブルにそっときん貨を置く。


「こちら、鑑定をさせて頂いても宜しいでしょうか?」


「どうぞ」


 貴族から直々に渡されたから本物だと信じて疑わなかった。しかしよく考えたらきんなんて持つのは初めてだ、万が一ということもありうる。

 レオルクさんはきん貨の重さを量ったり、水が張られた容器に落としたり、黒い石に擦り付けたりしている。よく分からないが、これが鑑定なのだろう。


「こちら、本物と確認いたしました」


 きん貨が再びテーブルの上に置かれる。


「ところでロウ様は護衛を付けておられないようですが……」


「外に待たせてるわけでもなく、そもそも連れていないですね」


 レオルクは眉をほんの少し動かすが、すぐ元の表情に戻った。


「であるならば、両替した上で持ち歩くのは、このままきん貨を持ち歩くよりも危険かと思われます」


「どういうことですか?」


「ご存知ならば大変申し訳ありませんが、きん貨というのは本来、貴族や豪商がまとまったがくをやりとりする際に使うものです」


 そうなんだ。知らなかった。


「ただ十分な収入を持たない者や身分のハッキリしない者が両替商にきん貨を持ち込んだ場合、犯罪に手を染めていないか監査が入ります。仮に強盗がロウ様のきん貨を奪ったとしても、換金は大都市でしか行えず、その際に照会があるのでリターンに対してリスクが大きいのです」


「ということは、ぎん貨へ両替して奪われた場合、リスク無しにそのまま利用されてしまう?」


「そのとおりでございます。もっとも、奪ったきん貨を換金した際に罪が暴かれ盗人ぬすっとが罰せられたとしても、そのきん貨がロウ様の物だと証明できない以上は泣き寝入りになるでしょう」


 レオルクさんは席を立ち、棚から何かを取り出す。オレの目の前に置かれたそれは、大きいスマホくらい面積のある紙だ。空欄や番号があらかじしるされている。


「そもそもきん貨を持ち出すこと自体あまり無く、為替かわせ手形てがたの支払いに使う預金としての役割が殆どなのです」


 為替手形。

 暗記あんき教育の賜物たまものによりその言葉は覚えているが、内容は理解していない高校生がほとんどだろう。


「要は”ネット通販でモノを買った時の銀行引き落とし”だ。期末に記述で聞くからな~!」


 しかしオレには社会科の寺崎がいた。先生、本当にありがとう。


「……このきん貨を預金にして、為替手形を使ったほうが良いよっていう勧誘ですか?」


「滅相もないことでございます。しかしジーゼ商会にて口座をお開きになるということでしたら、今すぐ承ります。」


 思えば、現ナマ持ち歩きは確かにとんでもないリスクだ。懇切こんせつ丁寧におかねのことを教えてくれた恩もあるし、預けてしまっても良いだろう。


「じゃあお願いします」


「畏まりました、ロウ様」


 *


 口座登録は問題なく進んだ。サインを求められた際、無意識に”鬼道了”と書いてしまい焦ったが「むしろサインの偽造ぎぞう難度が上がって良い」との事でそのまま登録された。


 登録料のぎん貨3枚を引いて、オレの預金は小きん貨9枚とぎん貨17枚らしい。

 ……いや待て、きん貨1枚-ぎん貨3枚=小きん貨9枚+ぎん貨17枚?

 もしかして1万円=千円10枚みたいな価値じゃないの?


「貨幣の両替レートって毎日変わります?」


「左様でございます」


 困る。


「例えば、小どう貨1枚で1本買えていた串焼き肉が2倍に値上げした場合、小どう貨2枚で1本になるって認識でいいですか?」


「いえ、大抵は値札を変えることはしません。表面上は小どう貨1枚で1本のままですが、肉の量が半分になるでしょう」


 物価の変動や貨幣の価値は、コンビニ弁当のようなサイレント値上げシステムで考えればいいということか。それなら分かるかもしれない。

 物価の推移すいいは日本でも当然あった概念とはいえ、値札が変化するのではなく所持金が変化するのは違和感が凄い。


「色々勉強になりました。ありがとうございます」


「いえいえお役に立てて何よりでございます」


 この後オレは小ぎん貨2枚・どう貨8枚・小どう貨20枚を引き下ろしたが、その時になって初めて財布を持っていないことに気づいた。行きはきん貨をズボンの中に入れ、腰に当て、上からベルトで締めるという荒業で運んだから財布が要らなかったのだ。


 結局レオルクさんに事情を話し、商会で使われている財布を特別に譲ってもらった。勿論、その分のおかねは預金から払った。

 街で見かける財布はただの巾着きんちゃく袋をベルトに吊っている作りなのだが、ジーゼ商会製財布はベルトを通す用のリングが巾着袋から直接伸びている。

 要はベルトを切らない限り、ひったくることが不可能な作りになっていた。頼もしい。


「ロウ様、またのご利用をお待ちしています」


 見送られながら店を後にする。


 レオルクさんの対応は実に丁寧で、そしてあまりに日本的すぎて自然に受け入れてしまっていた。市場を見る限りああいった接客はむしろ珍しく、値段交渉してナンボという雰囲気が大半を占めている。


 金融きんゆうはどこもあんな感じなのか、ジーゼ商会が特別なのかは分からないが、取り敢えずあそこに案内してくれた騎士に感謝だ。


 *


 ひったくり対策カンペキな財布が、まさかカツアゲを呼ぶとは思わなかった。「良い財布してんじゃねえか」という絡み文句を聞いて、マヌケにも「確かに合理的だ」と感心してる間に路地裏へ連れ込まれていた。


 前後の通路をそれぞれチンピラが塞ぎ、目の前には大柄なハゲ。3人組だ。くぐってきた修羅場のお陰もあり動揺してはいない。傍から見れば落ち着き払った若者がカツアゲされてる不思議な光景だろう。


 預金額のことを考えるとさっさと財布の中を渡して開放されるのも一つの手だが、こいつらの言う通りに従うのは何だかシャクだった。


「テメエ黙ってねぇでさっさと出すモン出せや!」


 デカハゲが怒鳴ってオレを壁に突き飛ばす。直後、オレの顔面すぐ左に刃物が突き出された。ナイフで壁ドン状態だ。


 お返しに、この窮地をひっくり返す一手をオレは実行した。

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