010
女性職員はものの数十秒で戻ってきて、オレを2階の個室へと案内してくれた。
革張りのふかふかソファに、ツルピカに磨き上げられた大理石のテーブル。部屋にある家具はどれも高級感をひしひしと感じさせる一品だ。
背後で扉の開く音。入ってきたのは、40代は過ぎているであろう白髪オールバックの男性。キッチリ整えられた口ひげに目を吸い寄せられる。
彼はオレの対面にある一人掛けチェアまで進むと、着席前に折り目正しく一礼し、自己紹介をした。
「ロウ様、お待たせして申し訳ありません。
深みのあるバリトンボイスが耳に心地良い。彼の見たままを表現するなら、有能そうな紳士だ。自分の体にフィットしたシャツ・ズボン・ベストを着こなし、立ち座りの動作はゆったりと優雅で、背骨に棒でも入っているかのように姿勢が崩れない。外資系企業ビル周りを歩くとこんな人たちがいたのを思い出す。
ダボ付いた白のロンTを着て彼の前に立っている自分が恥ずかしくなった。
「受付の者曰く『
「はい、使いやすいよう
「それは何をご購入なさるかまだ決まっていない、ということでしょうか」
「そうですね。ただ、このままじゃ使えないので」
テーブルにそっと
「こちら、鑑定をさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「どうぞ」
貴族から直々に渡されたから本物だと信じて疑わなかった。しかしよく考えたら
レオルクさんは
「こちら、本物と確認いたしました」
「ところでロウ様は護衛を付けておられないようですが……」
「外に待たせてるわけでもなく、そもそも連れていないですね」
レオルクは眉をほんの少し動かすが、すぐ元の表情に戻った。
「であるならば、両替した上で持ち歩くのは、このまま
「どういうことですか?」
「ご存知ならば大変申し訳ありませんが、
そうなんだ。知らなかった。
「ただ十分な収入を持たない者や身分のハッキリしない者が両替商に
「ということは、
「そのとおりでございます。もっとも、奪った
レオルクさんは席を立ち、棚から何かを取り出す。オレの目の前に置かれたそれは、大きいスマホくらい面積のある紙だ。空欄や番号が
「そもそも
為替手形。
「要は”ネット通販でモノを買った時の銀行引き落とし”だ。期末に記述で聞くからな~!」
しかしオレには社会科の寺崎がいた。先生、本当にありがとう。
「……この
「滅相もないことでございます。しかしジーゼ商会にて口座をお開きになるということでしたら、今すぐ承ります。」
思えば、現ナマ持ち歩きは確かにとんでもないリスクだ。
「じゃあお願いします」
「畏まりました、ロウ様」
*
口座登録は問題なく進んだ。サインを求められた際、無意識に”鬼道了”と書いてしまい焦ったが「むしろサインの
登録料の
……いや待て、
もしかして1万円=千円10枚みたいな価値じゃないの?
「貨幣の両替レートって毎日変わります?」
「左様でございます」
困る。
「例えば、小
「いえ、大抵は値札を変えることはしません。表面上は小
物価の変動や貨幣の価値は、コンビニ弁当のようなサイレント値上げシステムで考えればいいということか。それなら分かるかもしれない。
物価の
「色々勉強になりました。ありがとうございます」
「いえいえお役に立てて何よりでございます」
この後オレは小
結局レオルクさんに事情を話し、商会で使われている財布を特別に譲ってもらった。勿論、その分のお
街で見かける財布はただの
要はベルトを切らない限り、ひったくることが不可能な作りになっていた。頼もしい。
「ロウ様、またのご利用をお待ちしています」
見送られながら店を後にする。
レオルクさんの対応は実に丁寧で、そしてあまりに日本的すぎて自然に受け入れてしまっていた。市場を見る限りああいった接客はむしろ珍しく、値段交渉してナンボという雰囲気が大半を占めている。
*
ひったくり対策カンペキな財布が、まさかカツアゲを呼ぶとは思わなかった。「良い財布してんじゃねえか」という絡み文句を聞いて、マヌケにも「確かに合理的だ」と感心してる間に路地裏へ連れ込まれていた。
前後の通路をそれぞれチンピラが塞ぎ、目の前には大柄なハゲ。3人組だ。くぐってきた修羅場のお陰もあり動揺してはいない。傍から見れば落ち着き払った若者がカツアゲされてる不思議な光景だろう。
預金額のことを考えるとさっさと財布の中を渡して開放されるのも一つの手だが、こいつらの言う通りに従うのは何だかシャクだった。
「テメエ黙ってねぇでさっさと出すモン出せや!」
デカハゲが怒鳴ってオレを壁に突き飛ばす。直後、オレの顔面すぐ左に刃物が突き出された。ナイフで壁ドン状態だ。
お返しに、この窮地をひっくり返す一手をオレは実行した。
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