009

 暗がりの中、ベッドに倒れこむ。

 結果だけ言うとオレは退学しないで済んだ。


 決着が付いた後、アルニム学長に人生を賭けた詭弁をぶつけたオレだったが、その返答がされるより早く謎の大人たちが実験場に現れた。

 彼らはオレにひとつ提案をした。それは決闘の勝利をアーデルハイトに譲る代わりに、退学の無効と慰謝料の支払いをするというものだ。

 オレとしてはプリンスをボコボコにして負け犬として晒したい意図は一切なく、穏便に済ませられるならそれに越したことはないと思っていたので、二つ返事で提案を飲む。


 詳しい契約内容はこうだった。

 ①決闘の勝者をアーデルハイトとする

 ②ロウへの退学要求は撤回する

 ③ロウへ慰謝料として金貨1枚を支払う

 ④決闘内容及びこの契約を結んだ事自体、互いに口外しない


 立会人である学長は口を出さずその成り行きを見守り、今度は契約の仲介人としてオレとアーデルハイト派の間を取り持った。


 オレは契約の最中さなか、「往来の中で『退学を賭けて決闘だ』などと言い放っていたし、有耶無耶にするのは無理ではないか」と思っていた。

 しかし後から聞いたところ、彼らは決闘のシナリオを”アーデルハイトは決闘に勝利したが、ロウは殿下マクシミリアンの手勢であり、退学は兄の権力により撤回させた”という兄弟喧嘩にすり替えたらしい。


 何よりこの契約においてオレが重視しているのは、慰謝料を手に入れたことで、この世界に来て初めて自分の財を得られたことだ。

 親の庇護下に置かれ、死に隣接することなど無く、生きてるだけで衣食住が十分に確保された地球での自分は、今とは比べようがないほどに豊かだったと思い知らされた。

 人権も財産も無くし初めて、将来への不安がこんなにも心を蝕むと分かった。両親への感謝と元の世界への帰還を改めて心に誓う。


 寝返りをうち仰向けになる。決闘からあっという間に時間が経ち、今はもう月明かりだけが部屋を照らす時間だ。

 オレは懐から金貨を取り出し、闇の中に掲げた。僅かな光だけでも煌めくそれは金メダルほどの大きさでずっしり重く、オレに十分な安心感を与えた。


 手の平より少し小さく、重さは満タンの500ミリペットボトルくらいだろうか。記憶を辿ると、駅前の質屋にデカデカと張り出されていた金の取引価格が確かグラムあたり1万円いかないぐらいだったはずだ。

 ならもしこの金貨が純金だったら……400万円相当?


「いいかお前ら、金貨ってのは記念に発行されたモンでもなければ、純金なんざ有り得ねえからな。なんたって純金は歯より柔らけえ! 金メダルを噛むあの仕草も『これは純金です』っていうパフォーマンスなワケだ。まぁ現在のメダルは銀に金メッキしてるだけだがなぁ……」


 ふと、社会科の寺崎の授業が思い起こされる。高校の先生は個性的な人ばかりだった。特に寺崎は豆知識ばかり話し、授業が脱線しまくることで有名だった。懐かしいなぁ。


 噛めばこれが純金かどうか分かるらしいが、噛みたくない。スマホはトイレよりも汚いと言うし、ならば不特定多数が触っている貨幣なぞスマホの比ではないだろう。


 明日起きてエーリカやレイカンに聞けばいいか。

 そう思いついた所で大変なことに気付いてしまう。


 散々あの2人に助けられながら、オレは何のお返しもできていない。


 2人は年1回の帰省さえできないほどに家が貧しいながら、貴族と豪商が蔓延はびこる学院に入学してみせた努力の人だ。そんな人達がオレに割いてくれた今までの時間は、本来勉強に充てるはずの時間だったんじゃないか?

 オレは自分が世界一不幸な人間だと思い込んでいて、周りへの思いやりなんて頭の片隅にも無かった。


 今回の決闘だって、絶望するオレにアドバイスをくれたのは2人だった。彼らが居なければ今頃オレは、良くて退学、最悪の場合炭になってたに違いない。


 2人に感謝の気持ちを伝えよう。

 言葉と、そして現物で。


 *


 授業が始まった週の週末、オレは街へ出た。

 この世界の暦は地球とあまり変わらない。ハッキリ違う部分といえば、一月いちがつが35日でその他が30日なことぐらいだ。ちなみに学院は土曜にも授業がある。つまり今日は日曜だ。


 オレが知っている道は学院からレイカン行きつけの風呂屋までだけなので、少し知らない道を歩いては戻りを繰り返して行動範囲を増やした。

 目的はエーリカとレイカンへのプレゼントを買うことだが、ひとつ問題があった。


 オレが持ってるカネは、この金貨一枚なのである。


 街に出てすぐは万札握りしめた小学生くらいの気持ちだったが、街を歩くに連れ、その認識は間違っているというのが判明した。

 人々がお金をやり取りしている様子をどれだけチラ見し続けても、ほとんどどう貨でしか支払いが行われていない。

 そして稀に違う硬貨が使われている場面に出くわしても、それはぎん貨なのだ。


 それに加え硬貨の大きさが明らかに違う。

 小一時間こいちじかん街を歩いたオレが目にしたのは、穴が開いている10円玉くらいのどう貨・1円より小さく薄いどう貨・500円玉くらいのぎん貨・100円くらいで薄いぎん貨の4種だ。

 オレの持ってる金貨はオリンピックのメダル程の大きさで、どう貨・ぎん貨に比べると明らかにデカい。デカすぎる。

 ちなみに客や店員が「どう貨・小銅貨」「ぎん貨・小銀貨」と呼んでいたので、オレもそれに倣うとする。


 もしかして、金貨って市場で使えない?


 脚の疲れと引き換えに、オレが考えついた仮説だ。

 コンビニ感覚で適当な露天の飯でも買って両替しようと考えていたが、様子を見て正解だったかもしれない。金貨なんて誰一人として使っていない。

 肉まんをインゴットで買おうとするヤバい子供がいたら滅茶苦茶バズるだろうなぁ。


 下らない妄想をし、心のなかで笑う。そこらで金貨が使えないとなれば、次に取る行動は一つ。


 両替だ。


 とは言っても、店の場所を聞くのにも一苦労だ。場所を尋ねた時に「何か買ってくれよ」なんて言われても払えないのだから。


 となるとお巡りさん、もといここギュンネーをパトロールしている騎士を捕まえるほか無い。大通りに出よう。


 *


 騎士はすぐに見つかった。「子供が両替商に何の用だ」と不審がられたが、潔白を表明するため学生証を見せたところ、直前の態度が嘘かと思うほど素直に教えてくれた。持っててよかった身分証。


 案内された両替屋は、周囲と同じレンガ造りの建物だとは思えないほどに綺麗で立派だった。

 高さは3階建てほどで、1階の大部分が分厚いガラス張り。コンビニとは違いクリアで薄いガラスではないが、中の様子が見て取れる。


 扉を開け中へ入る。ぱっと見のレイアウトは郵便局に近い。カウンターまで歩き、誰も相手にしていない女性職員に話しかける。


「私、こういう者でして」


 初手しょて身分証。これの有効性は先程しっかり理解した。


「魔術学院2回生のロウ様、ですね。本日はどのようなご要件でしょうか」


 20代中盤くらいの若い女性職員がにこやかに答える。


「これを両替してほしくて」


 懐から金貨を取り出し木製カウンターへ置く。ゴトッと重い音を鳴らし現れたそれを見て、女性職員は目を剥いた。

 それどころか、周りからシンと音が消える。不思議に思い見渡すと、屋内に居る全員がこちらを凝視していた。

 顔に貼り付けられている感情はほぼ一つ、驚愕だ。


「ロウ様、少々お待ち下さい」


 震える声でそう言い終えるやいなや、職員が颯爽さっそうと奥の扉へ消えた。

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