魔術学院の劣等生

007

 最初は戸惑いばかりだった学院生活も、エーリカとレイカンしか居ない夏季休暇中の環境は快適の一言だった。結局準備は何も出来なかったものの、メンタルだけは回復していた。


 学期の始まりまでは数日しか無かったが、共に食事をとり、一日の終りには学外の風呂に通う。そんな生活で2人と打ち解けるのは難しいことでは無かった。

 ちなみに誰一人として入湯料を払っていない。しかし風呂に入れているのは何故か?

 答えは払ってくれたからだ。


 学院創立以来、夏季休暇中に家に帰るお金のない生徒が在籍した事態が初めてなんだそうだ。


 2人のためだけに生活棟の大浴場を稼働させるのはコストの無駄ということで、学院から近くて治安の良い風呂屋”サーモス”にお金を払い、夏季休暇中は学生証を見せれば入り放題となったらしい。

 だが「平民風情にカネを落とすな」と批判され2人に嫌がらせを仕掛けられる可能性を予期した学長は、学院の予算ではなくポケットマネーから出したという。


 余談だが、風呂屋サーモスに来る街の人々は皆、左肩にタトゥーが入っていた。横線1本に対して垂直に交差する縦3本線というデザインだ。線自体がかなり太く、線の枠の内側には文字や絵が掘られている。


 ここはヤクザ御用達ごようたしなのかと思ったが、風呂屋の選考基準には治安の良さも含まれて居たはずだ。レイカンも特に触れたりしないので、気にしないよう努めることにする。


 *


 夏季休暇中に魔力や魔術の予習が出来なかったのには理由がある。


 実験場破壊事件にて「膨大な魔力を持っているにも関わらず、制御がままならない人間が魔術を使うのは不味マズい」と学院は考えたのだろう。オレは夏季休暇中の魔力使用を禁止されていた。


「ちょっと処罰重くない? これじゃ予習も何も出来ないよ」


 そうエーリカ達に聞いてみたところ、その答えにオレは驚かされた。


「むしろそれだけで済むなんて思わなかった」


 通常、魔術で直接鋼鉄を破壊するのはほぼ不可能らしい。この世界の鉱物──つまり鉄・金・宝石など──は魔力に対して強い耐性があり、金属加工技術の優秀さが”進んだ文明である象徴”だと長らくされていたそうだ。


 その背景には魔物モンスターという人類の天敵が強く関わっている、とレイカンは教えてくれた。


 緑の肌を持つ残虐な小人であるゴブリンや、生物の死体に宿り活動するゴーストなど、これらを始めとする魔物は人間の強い脅威となっていた。その理由が、の行使だ。

 魔物が使う下法、略して魔法と呼ばれるこれは、人類に対して猛威を振るった。生身の人間が火炎球や雷撃に対抗できるはずもなく、魔法へのカウンターとなる鉄や鋼は誰しもが手に入り扱える代物ではなかった。

 製鉄や鍛冶などは日々の衣食住が確保され、その上豊富な資源と潤沢な人材が揃って行える技術だ。過去の人類はそれらを十分に行えないほど全体的に貧しかった。


 しかし年月が経ち、農耕・畜産・建築など生活に必須な技術が発展し、人類の母数が増えマンパワーに余力が生まれると、それを鉱石の発掘・加工に充てた。結果はがねの武具は魔物を討ち倒し、人類は生存圏の拡大を果たした。


 それだけでは飽き足らず、魔法の解析までに手を付けた。魔物の体内から稀に得られる魔石という物質は魔力を増幅させる力を持っており、これが皮肉にも人類の魔術開発に拍車をかけた。

 そうして生まれたのが魔法……ではなく魔物を滅ぼすすべ、魔術である。

 エーリカのペンダントに嵌められた無色透明の魔石は比較的安物で、宝飾品ほうしょくひんと同じく品質を求めれば値段は青天井らしい。


 とにかく結果として、人類は魔物に対し圧倒的な優位を得た。以降、歴史は”人類同士の戦争→魔物の増加→休戦→魔物殲滅”のサイクルでだいたい説明できてしまうらしい。

 オレだけでなくエーリカも興味深そうに聞いていたので、これは常識ではなくレイカン個人が人類史に精通しているだけなのだろう。

 

 オレの話に戻そう。

 実験場は”発動した魔術を外に漏れさせない”ための施設で、当然使われている鋼鉄は一級品だ。しかしオレは破壊に特化させた魔術を使用した訳でもなく、ただの魔力の放出で破壊してしまった。

 強大な力を持ちながら、それを制御するすべを知らない。だから学院としては監督者が居ない状態での魔力使用を禁止せざるを得なかった、と言う訳だ。


 今思えば、オレを保護した殿下マクシミリアンの狙いもハッキリ分かる。彼からすれば将来大化けする人材を手駒にでき、オレは根無し草の少年ではなく魔術師という公的身分を得られる。ウィンウィンだ。

 ただオレとしては生涯かけてバカ真面目に彼に仕え続けなくとも、魔術師という立場を利用して元の世界へ帰る方法を見つけさえすれば、そのままドロンすればいい。


 とにかく、オレは学院が始まるまでに魔力の操作などは一切練習できなかったものの、ここソーラ連合帝国における常識や学院で気を付けるべきことなどは身につけた……つもりだった。


 *


 明日から学院の授業が始まる関係で、今日は帰省した貴族やら豪商やらが続々と寮に帰って来る予定だ。

 「続々と馬車が入ってくる様子は旅芸人のパレードみたいで面白いよ、一回見たら飽きるけど」などとエーリカが言っていたので、朝から広場に出て学院に続々と入ってくる馬車を眺めている。


 ぼーっと見ているだけでも確かに装飾や塗装、大きさなどに家の力が反映されているのが露骨に見て取れる。スポーツカーと軽自動車が入り交じった都心の道路を思い出すなぁ。

 微妙なノスタルジックに浸っていたオレは、ふと目当ての馬車を見つけた。


 周りと比べても一際大きい車体、それを牽く肉食獣かと思うほどに筋骨隆々で立派な馬。極めつけは雄々しい鷲が真ん中にデザインされ、赤と白を基調に彩られている旗。


 あれに乗っているのはアーデルハイト・フォン・ラグズウルク。オレの同級生で、何より殿下マクシミリアンの弟だ。


 この学院が建てられているのはスワンゼンムルブという国の土地だが、スワンゼンムルブはソーラ連合帝国の加盟国でしかない。あくまで代表国はラグズウルク家が世襲するホースノキア大公国であり、現在の帝王は殿下の父親だ。

 つまり、アーデルハイトはソーラ連合帝国・皇帝の継承権第2位のプリンスということだ。


 オレがこの学院を卒業する為にこなすべきプチ・ミッション。そのひとつは、この皇子みこ懇意こんいな間柄になることだ。


 このプリンスに関わり得られるメリットとデメリットは、どちらもかなり大きい。そもそも、付き合う人間を選ぶ権利は向こうにある。だがオレには他の人に無い優位な点が一つある。


 それは、将来殿下に仕えるのが確定しているという太いパイプがあることだ。


 殿下に仕えるのはすなわちラグズウルク家に仕えることだ。ならば邪険にされることは無いだろう。是非ともお近づきになって、存分に助けを借りたい。

 オレはどんな手を使ってでもこの学院を卒業しなければゲームオーバーなのだ、なりふり構ってはいられない。


「おい貴様、その無遠慮な視線は何のつもりだ?」


 お世辞にもあまり褒められない思想に耽っていたオレは、声を掛けられて初めて自分の目の前に人が立っているのに気付いた。


「質問に答えよ」


 ツンツンとした赤毛、険のある目、堂々とした佇まい。


 間違えようハズもない、アーデルハイトその人だ。


 全身から冷や汗と脂汗がとめどなく垂れ流れる。

 確かにじっと観察してはいたが、わざわざ下車して絡んで来させるほど不遜ふそんな態度は取っていなかったはずだ。何故こんなことに。

 とにかく相手が不快感を示しているのは分かった、なら挽回ばんかいしなくてはならない。


「その、実は私、マクシミリアン殿下に将来お仕えする契約を交わしていまして。ですから弟君であるアーデルハイト様に是非ご挨拶がしたいと思い、眺めていたのです」


 オレが話し始めた途端、先程まで不快そうに目を細めていただけだった彼の表情がみるみる変貌する。


「勝手に翻訳される異国の言語……そうか貴様が……」


 目元は痙攣したかのようにピクつき、瞳孔が狭まり目つきの鋭さが増した。

 十中八九間違いなく、さっきのは失言だ。


「と言うのは冗談でして! 昨晩見た夢──」


「これ以上、俺を不快にさせるな。ホースノキアから学院に向かう折、ヤツマクシミリアンから話は聞いた。東方系の顔立ち……間違いはあるまい」


 付け入る隙が無い上に、初手の心証が悪いのはもうどうしようもない。ならばヒートアップさせないよう、上手くフェードアウトしてほとぼりを冷ます事にシフトしなくては。

 学校生活において、カリスマが持つ場の空気の掌握力や支配力の凄まじさは身を持って知っている。


「最期に教えてやる。ヤツがこの世から消えて欲しいと1番強く願うのはこの俺だ」


 アーデルハイトは顔をグッとオレに近づけ、吐き捨てる。


「最期というのは……?」


 彼は答えずに振り返ると、大声を張り上げた。


「広場にいる者共! そんなに気になるなら聞かせてやろう!」


 聞き耳を立てていた周囲の人間はバツが悪そうに肩をすくめ、しかし興味深そうにこちらを見る。

 アーデルハイトがオレに向き直る。


「難民のロウ、貴様に決闘を申し入れる!」


 さらに続く言葉が、オレを絶望に突き落とした。


「要求は一つ……貴様の退学だ!」

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