005

 オレは決して魔術を使ってなどいない。やった事と言えば、介助かいじょを受けながらの魔力放出。ただそれだけだ。


 実験場のど真ん中に立っているオレは、恐る恐る目を開け、上を見る。鋼鉄で覆われていたはずの天井には、大きな風穴が開けられていた。





 エーリカと一旦解散したオレは、まず荷解にほどきを済ませることにした。

 木箱の中身は着替え、何冊かの本、辞書ぐらい厚い紙束、それに鉛筆の芯だけのような見た目の筆記用具が複数と、麻の手袋だった。着替えだけクローゼットに移し、残りは箱に入れておく。

 テーブルの上のかぎを持ち外に出る。忘れずに施錠せじょうした後、エーリカの部屋へと向かった。


「どうぞー」


 ノックもしない内に声がかけられる。お邪魔させてもらおう。


「しっかり意識してれば強烈な存在感ね、ロウ」


 エーリカの部屋はオレの部屋と大差はない。テーブル・2段ベッド・クローゼットはそのままで、私物が多さが唯一の違いだ。


「そこ座って」


 丸テーブルを間に挟んで向かい合う。


「色々聞きたいことあると思うけど、まずさっきの学院と学園の話からでいい?」


 うなずく。


「ロウとアタシが通ってるのは魔術学院。でも本来ここに通えるのは、どこかの魔術学園を卒業した上で、学院の入学試験を合格した生徒だけなの」


「どこかのってことは学園は複数存在するんだ。じゃあ学院は?」


「ここ1校だけよ。魔術師になる唯一の方法、それが学院の卒業」


 つまり学院は、この国のエリート中のエリート学生を更にふるいに掛ける施設ということだ。普通に考えて自分が卒業できるとは到底思えない。


「なら、学に入学する条件って?」


「身分関係なく10歳の時点で一定以上の魔力を保有してること。ただ平民が入学しても、そのほとんどが卒業できない。できるのは豪商の子供くらいね。」


 ということはエーリカは金持ちの娘なのかな。失礼だから聞かないけどね。


「で、肝心かんじんの魔術に関してだけど」


 彼女は両手を合わせ音を鳴らす。下衆げすな思考が中断され、彼女に注目する。


「寮では使っちゃいけないの。建物壊しちゃうといけないし」


「なるほど、じゃあ使っても良い場所があるんだ」


「そういうこと。今からそこに行くから、誰かに開けられないよう部屋の鍵かけてきてね」


 彼女はいたずらっぽく笑う。


「ならもう行けるよ」


 鍵を見せた。



 彼女に案内された先は、教室棟にある実験場という施設だった。名前を聞いた時は高校にあった化学室を想像したが、実際見ると”鋼鉄で出来た体育館”という表現がそれに一番適していた。彼女の後に続き建物の中央まで移動する。


「まずお手本を見せるね!」


 そう言うと彼女は首に下げたペンダントをつまみ、自分の右目の前に持ってくる。指の中に収まっているのは楕円だえん形をした無色透明の石だ。集中した様子で言葉をつむいでいる。


「魔力生成地点指定、右眼球を始点とする右親指への直線上3m先。

 軌道指定、同直線。

 魔力量指定、球形、半径50cm。

 発射速度、秒速5m。

 状態変化、燃焼、5秒かけて一定量を消費」


 魔術の詠唱に使われている言語は、彼女が喋っていた言語とは明らかに違っていた。しかしはたから見ても魔力の流れなどは感じられず、何かが起こる気配もない。


「発動」


 刹那せつな、少なくとも4,5歳の子供ほどには大きい火の玉が現れ、エーリカの向いている方向へ真っ直ぐ飛んでいく。そのまま実験場の壁にぶつかると、最後にボウと豪炎を放ち消え去った。


「これが一番簡単かつ、魔術を知らないロウでも分かりやすい派手な魔術だよ」


 適当なコメントが見当たらず、絶句してしまう。何か反応をしなければと思ったオレは、とりあえず拍手を送る。


「じゃあ次はロウの番だね」


「いや……絶対無理」


「あはは、違う違う! 詠唱をやれって訳じゃなくて、私が手伝うから魔力の存在を感じてみようってこと」


「あぁ、そういうことね」


「学園行かずに学院2回生からスタートして卒業目指すのならコレぐらい出来なくちゃね!」


 彼女は笑顔で言う。皮肉の意図は無いのだろうが、自分の目標がどれだけ無謀むぼうか際立つようだった。



「う~ん、私じゃ無理かぁ」


 エーリカは随分ずいぶんと頑張ってくれたみたいだが、魔力を感じることが出来ないオレからすると、女の子がオレの胸に手を当てうんうんうなっていただけで、鼓動が加速する以外の成果を得ることはなかった。彼女は頬に指を当てると、考え込む。


「あ、適任一人いる! ちょっと待ってて!」


 言い終えるやいなや、彼女はダッシュで実験場を走り去った。


 時間が余ってしまった。このまま何もせず時間を潰すのはもったいないだろう。そう、今からやることは時間を無駄にしない為に仕方なくやるだけだ。決して目の前で魔術を使われ、在りし日の少年心をくすぐられたからでは無い。


「魔力生成地点指定、前方3m。

 魔力量指定、球形、半径50cm。

 発射速度、秒速5m」


 ところどころ忘れた部分はあるし、発音は日本語だが最初はこんなものだろう。


「……発動!」


 オレの声が反響する。ただそれだけだった。


「で、頼み事とはコレと一緒に魔術師ごっこか?」


 男の声。振り返ると、エーリカの隣に怪しげな風貌ふうぼうの男が立っている。漆黒の長髪は腹まで伸びており、前髪も目にかかる程度に長く、おかっぱ風に切り揃えられている。

 黒々とした瞳に、東アジアっぽさが混じる顔立ちだ。今までに見た人間はみなアメリカ人やヨーロッパ人のような見た目をしていたから、親近感が湧く。

 服装は質素で、体は薄く痩せ気味。だが身長は高く、175cmのオレと比べて頭半個は抜けていた。


「あは。まぁ、やる気十分ってのが伝わってきたよ!」


 エーリカのフォロー。ありがたいが、追い打ちにしかならない。


「レーカンにはロウの魔力を動かして感覚を掴ませてほしいの」


「初めまして、レーカンさん。東方系難民のロウです」


 オレの自己紹介を聞いていたレーカンは、ピクッと眉を動かす。


「ショウ・レカンだ。さっき話は聞いたが、2回生への編入って事は同期なんだろ? 敬語は要らん」


 レイカンがこちらに進み、手を伸ばしてくる。

 握手かな?

 こちらも手を差し出そうとしたが、予想は裏切られた。


「さっさと済ませるぞ。昼飯を食いに行く途中だったからな」


 レイカンは右の手のひらをオレの胸にぴったり付け、言う。


「今から魔力を動かす。気付いたことあったら声に出せよ」


 中途半端に伸ばした手を戻し、目を閉じる。何も感じない。


「特性は分からないが、属性は特に無さそう……だッ!?」


 今までの淡々とした口調から一転し、レイカンの口調に焦りのようなものが混じる。気になり目を開けると、オレを睨むレイカンと目が合った。彼は声をひそめて囁く。


「あんた、本当に人間だよな?」


「そうだけど……何で?」


「それ答える前にもう一つ。本当に一切魔力を感じてないのか?」


「うん。今も何かしてくれてるんだろうけど、全く」


 彼は言葉を途切れさせる。心なしか顔が強張っている気がする。


「心臓のあたり、普通の人間には無い”何か”がある。そこを刺激してみるが……どうなっても文句は言うなよ」


 言い終わると、レイカンは左手もオレの胸に当てる。額にはじっとり汗が滲んでいた。急に心臓が爆発して終わりなんてこと無いよな?

 レイカンから緊張が伝播でんぱしたのか、鼓動が早まる。

 再び目を閉じ、自分の心臓に精神を集中させる。感じるのはドクドクと脈打つ鼓動だけ、そのはずだった。


 胸の奥、心臓のところに何かがあるのを感じる。

 今までに感じたことがない感覚で、強いて言うならしこりを思わせる塊が、たしかに胸の中にある。

 初めての感覚に好奇心が頭をもたげる。より深く集中すると、しこりから細い何かがはみ出しているのが分かった。

 まるで洋服の袖から解れた糸が伸びているかのようだ。それがチロチロと揺れつつ、しこりから剥がれてゆく。その速度は非常にゆっくりで、じれったい。


 ぺり……


 ぺり……


 ぺり……


 遅々として進まない状況に、イラつきが高まる。


 一気に引き抜ぬきたい!


 そう強く念じた途端、しこりから伸びた何かがぷちっと切れる感覚が伝わってきた。ストレスから開放され、胸がスッとする。


 瞬間、胸の中が温かいもので急激に満たされ、あふれそうになる。吐き気に似た感覚に襲われ、思わず両手で口をふさぐが、何ものどをこみ上げて来ない。

 遠くから誰かに話しかけられている様な気がするが、勢いよく流れる水音を想起させる轟音が頭を埋め尽くし、不快感に支配される。


 目を開けると、レイカンが何かを怒鳴っていた。しかしその声は聞こえない。頭に響く爆音は勢いをどんどん増していく。

 胸を満たす何かが溢れ、全身を埋め尽くす。

 体が内側から圧迫され弾けそうだ。意識がだんだん離れ──


 頬を引っ叩かれる。再び前に視線を向けると、そこにはエーリカがいた。

 彼女は何らかのジェスチャーをオレに見せている。自分自身の胸を繰り返し叩いていた。そして、何かを破る仕草。それらを繰り返している。


 胸、破る……。


 不快感に耐えながら再び意識を集中させ、体中を満たす温かいものを肋骨の中へかき集めるようイメージした。

 胸を、裂き、それらを、放出する!


 目に見えぬゲル状の何かが胸を突き破り、勢いよく飛び出た。

 反動で仰向けのまま倒れ、背中が床に叩きつけられる。直後に不快感は消え去った。

 不快感が消えたのは一先ひとまず良かったが、今までに感じたことのない違和感が残る。強いて言うなら、胸の真ん中にぽっかり穴が空き、そこから温かいものが滝のように垂れ流されている感触。


 バッゴオオオオン!!!


 突如天井から爆発音に似た音が響く。反射で体がすくみ、ギュッと目を瞑った。片目を開ける。エーリカは口を覆い、レイカンは手を頭に当てていた。2人に共通しているのは、天井を見上げているということ。


 もう片目も開け、恐る恐る上を見る。鋼鉄で覆われていたはずの天井には、寮の扉くらいの大きさはあろう、巨大な風穴が開けられていた。

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