003

「出ろ」


 銀鎧の声が聞こえる。徐々じょじょひつぎふたがズラされ、朝日が目を刺激した。目的地に着いたらしい。

 冗談抜きで何度死ぬかと思ったことか。思わずため息が出そうになる。


 学院へ向かう旅路たびじは、最悪という言葉では到底とうてい言い表せられないぐらい不快なものだった。まさか鉄の棺に閉じ込められた状態で、三日三晩も馬車で移動しっぱなしになるとは思わなかった。

 肝心かんじんの馬車の乗り心地はそれはもう最低で、れを軽減する仕組みが一切ないのか断続だんぞく的に強い衝撃しょうげきが内臓を揺らした。

 一度も嘔吐おうとせずに乗り切った自分の褒め、頭をセルフででようかと思ったほどだ。


 ちなみにオレを乗せて馬車を走らせていたのは銀鎧たった一人。昼食・夕食の時に棺から出される時の「出ろ」「戻れ」という命令以外、言葉を交わそうという姿勢が見られず、オレも黙って従っていた。


 ただただ不快な事ばかり募ってく現状だが、馬車に揺られる暇な時間で思考や状況を整理できたのは、思わぬ収穫だった。

 薄々は理解していたし、認めたくない事実だが、恐らくこの現状は夢ではない。夢にしては長すぎる上に、いやに五感がハッキリしている。


「出ろ、早く。出たら馬車から降りろ」


 銀鎧に急かされ棺から身を出す。初夏だろうか、あたたかな風がほおでる。一応言うと、全裸ではない。鉄の棺に放り込めれる前に着替えを渡され、今はそれに身を包んでいる。

 少しタイトだがピッチリ過ぎない茶色の長ズボンに、オーバーサイズ気味の白いロングTシャツ。腰には革のベルトを巻き、靴は……好意的に見れば下駄とローファーを足して2で割ったような不思議な作りだ。身も蓋もない表現をするなら「革を足に貼り付け、底に木の板をくっつけたもの」でしかないが、貰っておいて文句を言うのははばかられるので、大人しくこれを履いている。


 馬車を降り、バキバキに凝り固まった体をほぐそうと伸びをすると、斜め後ろで大きな声。


「あ~つっかれた!」


 驚いて振り向く。今聞こえたのは、馬のいななききだけのはずだ。ということは、馬が喋った?

 いや違う、オレが馬の言ってることを理解したのだ。ドラゴンの時と同じ様に。だからといって特に何も起きないわけだが。


「ついてこい」


 銀鎧は御者台ぎょしゃだいから命令した。

 ゆっくりと進む馬車に着いていくが、景色が見えないので馬車の横まで移動する。

 まず目に入るのは、小さめの一軒家ぐらいはあるんじゃないかと思えるほど大きい噴水、そしてその噴水をコの字に囲むように建てられている真っ白い……建物だ。建物だと思うが、噴水の奥に見える大きな門とその横にある小さな扉以外に出入り口はなく、建物の左右ははるか向こうまで高い塀がそびえ立つ。ここは要塞だと嘘をつかれても納得しかねない見た目だった。


 4tトラックすら余裕で通れそうな鉄の門の前に馬車を止めた銀鎧は、下馬してその傍らにある扉まで歩いていく。たぶんこっちが人間用なんだろう。そこに立っている門番らしき男に、銀鎧はボソボソと何かを耳打ちする。


「開けろ!」


 門番が声を張り上げる。内から扉が開かれた。


「馬車の荷物は寮の部屋に運んでおく」


 門番が言う。寮、ということは通学が楽そうで良いな。

 呑気なことを考えながら扉をくぐる。一面の芝に、石畳の通路が敷かれている。右手奥には鮮やかなオレンジ色の建物が並び、正面奥には白い建物の群れがあり、左手奥には森が見えた。

 これからここで魔術を学ぶのか。強制された使命だが、期待と好奇心が全く無い訳でもなかった。


 人通りがない道を銀鎧は迷わずスイスイ進む。履き慣れない靴で追いかけるのは大変で、置いていかれないよう観光は止め、歩きに意識を集中する。

 銀鎧が向かったのは正面奥の白い建物群の一角だ。扉をくぐり、建物内にお邪魔する。白一色の外壁とは違い床には木が使われていて、多少の温かみを感じた。

 銀鎧は2階に上がると、ある扉の前でピタッと止まり、ノックをする。


「どうぞ、お入りなさい」


 中に入る。銀鎧はオレの後から部屋に入り、ドア横にピッタリ張り付いた。目線を部屋に向ける。全体の雰囲気は「校長室を西洋貴族っぽく仕上げました!」という感じ。そして部屋の奥には、70歳くらいだろうか、銀髪の女性が椅子に座っている。


「早馬で来た連絡は読みました。編入生のロウさんって、あなたね?」


 頷く。ゆったりとして穏やかな口調だ。恫喝か命令しか受けて来なかった心に、優しさが染み渡る。


「私はここギュンネー魔術学院の学長を務めている、ゾフィー・ツー・アルニムです」


 校長室っぽいのではなく、まんま校長室だった。


「初めまして、アルニム学長。ホー……、えーっと」


 なんちゃら国の難民うんぬんのセリフが頭からすっぽり落ちてしまった。マズイ。


「『ホースノキア大公国にて保護された、東方系難民のロウ』。ちゃんと覚えないとダメですよ」


 学長はクスクス笑う。


「なるほど、これが翻訳魔術ね。あなたの話してる言語も気になるけど、一番はその魔力量……。とんでもない手札を得たのねぇ殿下は」


 期待されてるところ申し訳ないが、翻訳魔術と言われても全部自動で行われているだけで、「原理を解説しろ」と言われても無理だし、どうやって誤魔化すかも分かっていないからあまり触れてほしくないのが本音だ。


「でもそれだけ高度なが使えるなら、わざわざ学院に通わなくても即戦力になるんじゃないかしら?」


「いや、それは! その……実は」


 学長がオレの発言を遮るように掌をこちらに向ける。


「ごめんなさい、イジワルしたいわけではないんですよ? つまりね、あなたのその翻訳魔術、実際は魔術では無いんじゃないかしら? そして殿下はそれを承知で魔術学院へ送ってきた」


「なぜわざわざそんなことを?」


「……薄々そうじゃないかと思ってけど、何も教えず放り投げたのね、殿下。いいでしょう、私の午前はあなたにあげます。お付きの方、案内ご苦労さまです。退室してもらっても?」


 ちらっと銀鎧の方を盗み見る。暫くその場で静止しながら学長と視線をぶつけ合っていたが、諦めたのか結局は退室した。思わず肩の力が抜ける。


「私はあなたの味方、というわけではないけれど、見ててあまりに可哀想だったから。これで気負わずに話してもらえるかしら?」


「はい! 実はオレ……」


 恐らく自分は一度死んでいること、気付いたら森に放り出されてドラゴンに好き勝手言われたこと、知らない言語はおろか生き物の鳴き声すら翻訳されること、殿下とやらに拾われて生殺与奪せいさつよだつを握られたこと、魔術を覚えて学院卒業を義務付けられたこと。せきを切ったように話が止めどなくあふれ、気づけば全部打ち明けていた。

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