002

 目を開く。

 部屋は薄暗うすぐらく、空気はひんやりと冷たい。知らない天井どころの騒ぎではない。

 気付くと、両手が鉄のかせで拘束されていた。右腕があるということは、やはり竜の一件は夢だったのか。イモムシの様に身をよじって、お世辞せじにも清潔とはいえない石の床から身を起こす。

 上下左右、そして後ろは石の壁で囲われており、前は金属の格子こうしで空間が区切られている。対面にも廊下ろうかへだてて同じ空間が見える。


 わかりやすく言うと、牢屋だ。


 もっと言うと、全裸 in 牢屋だ


「覚めないならせめて悪夢じゃない夢を見せてくれよ……」


 思わず呟くと、格子の外、すぐ右から金属がぶつかる音が鳴った。今度の夢はファンタジーじゃなくホラーか?

 身構えると、シルバーににぶく輝く金属の鎧で頭から足までをすっぽり包んだ人間がぬっと姿を現し、こちらを見つめる。1秒ほど視線をぶつけ合ったのち、鎧人間はガシャガシャと早足で何処どこかにけていった。


 緊張がいくらかやわらぐ。この弛緩しかんしたタイミングで驚かして来ないということは、ホラー系の夢じゃないのだろう。


 鎧人間が去り、体感で数十分が過ぎた頃、先程の金属音と共に何人かの足音が近づいてくるのが聞こえた。


 おりの外にズラッと並んだのは4人。

 さっきも見た銀の鎧人間と、それより背が高い鎧人間。白を基調きちょう金糸きんし刺繍ししゅうみ込まれた高価そうな服──世界史の資料集で見た、キリスト教の偉い人間の様なよそおい──を着た男の老人と、この中で一番立場が上だと思われる青年男性。

 青年男性は、貴族なんか生で見たこと無いオレでも分かるくらい、高貴な人間としての風格をかもし出していた。軍服とスーツを足して2で割ったような不思議な洋服は、白と赤色をベースにいろどられている。

 もし彼がテレビのバラエティに出演したなら、司会の芸人に「超オシャレなオーストリア国旗こっき着てるのかい」などとツッコまれるだろう。


 下らない事を考えていると、青年貴族が目線で合図し、銀鎧に扉を開けさせていた。デカ鎧の方はピッタリ二人に寄り添い、ボディーガードぜんとしている。


「立て」


 貴族が言う。とりあえず素直にしたがおう。


「言葉は理解している、と」


 あごに手を当て、値踏ねぶみするようにオレを見る。


大司祭だいしさい。これから見極めますので、判断の程よろしくお願いします」


 大司祭と呼ばれた老人が頷くと、首にかけていたペンダントをかかげ、オレをじっと見つめる。


「やれ」


 貴族がそういうと、銀鎧は金属を纏っているとは思えない素早さで牢に入ってくると、気づけばオレは床に寝かされていた。

 自分が何をどうされたのかは分からない。しかし銀鎧がオレを仰向あおむけに床へ寝かせて、その左足でオレの胸を踏んでいる、その結果だけは理解できた。


 銀鎧は腰の短剣を抜く。


 一瞬で全身があわ立つ。いくら夢でもこんなリアルな死は嫌だ!


「やめろ!」


 叫び、全力で身をひねろうと藻掻もがくが、ビクともしない。


 銀鎧が短剣を構え、狙いをつける。多分、オレの胸に。


 遂にそれは振り下ろされた。


 先程とは違い、目で追うことが出来た。世界がスローモーションのように遅い。


 スローモーション……?

 あぁ、そういえばオレは電車にかれて死んだんだっけ。


 じゃあコレは走馬灯そうまとうか? でもそれって今までの人生を振り返るってヤツじゃなかったかなぁ……。


 半ばヤケになり、とりとめもないことを考えていると、短剣がオレの胸を突き刺す直前でビタッと止まった。


「え……?」


 ほうけた顔で目の焦点を短剣に向けると、頭上からしわがれた低い声が響く。


「恐怖が半分、諦念ていねんが半分。殺意はおろか、邪法での抵抗の欠片かけらも感じられませんな」


「そうか、感謝する」


「では失礼」


 そう言うと大司教はその場を離れ、どこかへ去ってしまった。


「この者を鉄のひつぎに入れ、例の部屋へ運べ」


 それだけ言い残すと貴族はデカ鎧を連れ立って踵を返しこの空間から出ていく。


 残された銀鎧は短剣をさやに納め、檻から出て施錠せじょうをし、牢の横にある椅子に座り動かなくなってしまった。


 *


 先程の言葉通り、鉄でできた棺桶かんおけ──ドラキュラが寝床に使っているアレ──に入れられ、本当にその状態で運ばれるとは思わなかった。

 例の部屋とやらに運び込まれたオレは、その部屋の明るさに目を細めた。

 木目のフローリングには真っ赤な絨毯じゅうたんいてあり、壁紙もこれまた赤く、天井からはシャンデリアが吊るされている。

 THE西洋の貴族の部屋って感じだ。

 入ってきた扉を通せんぼするように銀鎧が立っており、部屋の中央には椅子に座った青年貴族、かたわらにはデカ鎧が立っていた。


「彼に椅子を」


 貴族が言うと、デカ鎧が部屋の椅子を持ってきて、ドスンと置く。ちょうど貴族と対面するような位置だ。

 現代日本では許可されるまで座らないのがマナーらしいが、ここでそれが通用するのか分からない。

 まごついていると、貴族は目線で着席をうながしてきた。では遠慮なく座らせて頂こう。全裸だけど。


 明るい部屋でよく観察すると、貴族はヨーロッパ人を想起させる顔立ちをしており、有り体に言えばイケメンだった。センター分けされたツヤのある茶髪が爽やかさを引き立てる。


「まず聞こう。なぜ君の話す言語を、我々が理解できる?」


 こっちが聞きたい。この貴族らはオレの知らない言語で話しているにもかかわらず、頭の中でその意味を理解できているのである。ドラゴンの時に至っては鳴き声をも理解できていた。おまけにオレの日本語も伝わっているらしい。


「すみません、自分でも何がなんだか分からなくて」


 こういう時はとりあえず敬語だ。目上の人間には敬語、それで失敗することは無いだろう……多分。

 貴族はしばし目をつむるが、ゆっくりと開くとオレとしっかり目を合わせた。


「まぁ、君のことを詮索せんさくするのが目的では無いんだ。本題はひとつ。私に従うか、従わないかだ」


 暴力をチラつかせておいてこのセリフ、選択肢など無いと言ってるのと変わりない。


 また決まった一択いったくを選ばされるハメになるのか。

 ため息をつきたくなったが、こんな状況でやってのける程、きもは座っていない。


「はい、あなたに従います。えっと……」


「マクシミリアン・フォン・ラグズウルク。名は口にせず、殿下でんかと呼んでくれ」


「わかりました、殿下」


「よし。話は簡単だ、魔術師として私に仕えたまえ。それだけだ」


 コイツは何を言っているんだ?


「その、申し訳ないのですが、おっしゃられてる意味が全く意味が分かりません」


「この状況で無知のフリは賢い選択では無いぞ」


「いえ本当に……! 知らないんです、何も」


「じゃあ竜をどうやって撃退した?」


 殿下があしを組む。正直に話しているだけだが、信じてもらえない。冷や汗が背中を伝う。


「べらべらと一方的に喋りかけられて、気付いたらどこかへ飛んでいきました……本当です、嘘じゃありません」


「殿下、一つだけよろしいでしょうか」


 デカ鎧が喋りだす。男の声だ。


「どうした? 聞こう」


「この者、先程の一件でのではなく──」


「あぁ、、ということか」


 デカ鎧は頷く。


「であるならば、魔術が使えないというのは事実かもしれません」


「自分の命がかかった場面で冗談言える人間にも見えないし、な」


 殿下は顎をでると、オレへ言った。


「君、魔術を使えるようになりなさい」


 そんな簡単に言われても困る。


「君に、”リーン領のとある村に住む、独学で翻訳魔術を完成させた膨大ぼうだいな魔力を持つ庶民”としての身分を与えよう。私の権力で魔術じ込むから、そこで魔術を学んで使えるように……そういや君、年齢は?」


「17です」


「見た目では学園生くらいだと思ったが……。なら学院だな」


 学園だか学院だか知らないが、確認すべきことが一つ。


「えっと、もし魔術が使えるようにならなかったら……」


「君は存在しなかったことになる。いや、存在しなかったことに


 背筋に悪寒おかんが走る。


「そんな悲観しないでくれ。もし卒業できたら君は宮廷きゅうてい魔術師だ、ポジティブに考えていこう」


「わ……かりました」


 現代日本の常識からするとあり得ないぐらい非対等な雇用こよう契約だ。頭が痛くなってくる。


「で、君の名前は?」


鬼道きどうりょうです」


「キドー・ル、ロ、ロー?」


「りょう、です」


「ロー、ロウ、ルォウ……多分この国の人間はその音を発音できないな。君の名前はこれからロウだ」


「えっ! キドーの方、えっと名字は?」


「難民が家名を持ってたら色々面倒なことになるからナシだ。悪いけど君はこれから『ホースノキア大公国にて保護された東方系難民、名はロウ。多大なる魔力の保有を認められ、マクシミリアン・フォン・ラグズウルクの推薦により学院へ編入』という設定に従って生きてくれ」


「……はい」


「明日の朝にはここを発って学院へ向かう手配をするから、この部屋からは出ないように」


 そう言うと殿下と鎧達は部屋を後にした。足音が遠ざかり、聞こえなくなる。


「夢でも走馬灯でもないのかよ」


 ベッドに倒れ込み、呟く。


「家に帰りてぇ……」


 無力感にさいなまれながら目をつむると、疲労がドッと押し寄せて意識をみ込んだ。

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