一六章 敗北のメインクーン

 ローサに案内されてやってきたのは王宮の離れにある一角。いまはもう使われていない古びた建物だった。

 建物自体も古いが、まわりも荒れ果てている。草はボウボウに生えているし、石畳はひび割れ、苔むしている。一目見て、誰からも手入れされていないことがわかる。

 「文化自慢のヴェガも見えないところはこんなものなのね」

 少々の皮肉を込めてメインクーンは呟いた。

 近くに子供たちが住んででもいれば喜んで秘密基地にしそうな建物だ。だが、あいにく、ここは王宮のなか。そんな冒険心あふれる子供など存在しない。他に人の寄りついている様子もないし、王宮近くに潜んで悪だくみをするにはまずは手頃な場所と言えるだろう。

 「ここがあなたの感じる場所?」

 メインクーンはローサに尋ねた。

 ローサは力強くうなずいた。その仕種がやはり、いままでの、過去に魂を囚われたままのローサとは思えないぐらい違和感がある。

 それでも、メインクーンはローサを疑ってはいなかった。ローサの身からは嘘偽りや企みを意味する匂いはまったくしていない。メインクーンはいままで自分を生かしてきた野生の本能を信じていた。

 ローサは答えた。

 「そうです。ここから邪悪な、とても邪悪な気配を感じるのです。まるで、ピリピリと肌に刺さるような……お願いです、メインクーンさま。この邪悪な気配を絶ち、わたしを救ってください」

 これもまた奇妙な言葉だった。

 ローサはこんな風に他人に助けを求めるような感情は持ち合わせてはいないはずだった。

 メインクーンはじっと地面を見つめた。

 子供ならすっぽりと姿が隠れてしまうぐらい丈の長い草がいっぱいに生えた建物のまわり。人間の目ではとても見分けなど付かないだろう。それでも、〝知恵ある獣ライカンスロープ〟の鋭敏な視力はそのなかにはっきりと見届けていた。人間の足跡を。

 ――足跡の種類は主に四つ。最近はないけど五つ目の足跡もある。それに、ときどき六つ目の足跡。

 例の〝知恵ある獣〟狩りのパーティーと、その雇い主である黒幕。

 そう考えれば辻褄つじつまが合う。

 パーティーのうち、網闘士はすでに死んでいる。この網闘士が、最近は見えない五つ目の足跡の主なのだろう。そして、ときおり現れる六つ目の足跡の主が黒幕というわけだ。さすがに、その足跡だけで誰なのか特定することは出来ない。いままで見たことのない足跡なのだから。

 「ここに連中がいるのはまちがいなさそうね。じゃあ、行ってみましょうか」

 メインクーンは軽く探検するノリで言った。

 建物目指して歩きだした。ローサも当たり前のようについてくる。メインクーンはなにも言わなかった。

 戦闘能力のないローサを連れて行くのに不安がないわけではない。しかし、このままこの場に置いていたり、ひとりで帰したりするのもやはり、危険。自分のいないところで人質に取られたりしては困ったことになる。それぐらいなら自分の側に置いておいた方がいい。

 ――わたしが守ればすむ話だものね。

 一年に及ぶ冒険者生活のなかで護衛の仕事も何度も請け負った。そのすべてを完璧にこなし、すべての依頼人から『また依頼したい』と絶賛された。その実績あっての自信だった。

 扉を開けた。

 なかに入った。

 なかはもう使われていないさびれた建物らしく明りひとつない暗闇……かと言うとそんなことはまったくなく、魔法の明りが輝く明るい空間だった。

 拍子抜けするぐらいあっさりと四人の人間が待ち受けていた。

 ひとりは剣士けんし

 ひとりは槍使やりつかい。

 ひとりは魔導師まどうし

 ひとりは薬師くすし

 まちがいない。

 先日、メインクーンを襲った〝知恵ある獣〟狩りのパーティーだ。

 「ようこそ、〝知恵ある獣〟どの。来てくれると信じていたよ」

 薬師があざけるように言った。

 この世のすべてを見下しているような目付きと、奇妙にねじ曲がった唇とが嫌らしい気分にさせる人間だ。出迎えの言葉を口にしたところを見ると、この薬師がパーティーのリーダーなのだろう。

 「出迎え、ご苦労さま。簡単に姿を現わしてくれて助かるわ」

 「レディーをまたせるなど、私の趣味ではないのでね」

 「紳士的でけっこうなことね。そのついでにおとなしく捕まって、すべてを白状してくれるともっと助かるんだけど」

 「若いレディーの頼みとあれば聞き届けてやりたいのは山々だが、それはできんな。我々はプロだ。プロとして契約は遵守しなくてはならん」

 「白状させたければ力ずくでこい?」

 「そういうことだな」

 「わかりやすくていいわね。人間のそう言うところだけは動物的で気に入ってるの」

 メインクーンは言いながら二本の刀を抜いた。

 左の長刀、右の短刀。

 右手にもった短刀で相手の攻撃をさばきながら、左手の長刀で相手を斬る。

 メインクーン得意の戦闘スタイルだ。

 「ふっ。君にいきなり斬り込まれてはかなわんな」

 「『ふっ』なんていう台詞は、二枚目がやるから様になるのよ」

 そう言われて――。

 薬師は傷ついた表情を見せた。

 そのお返し、と言うつもりだろうか。薬師は煙玉を投げ付けた。地面に落ちると爆発し、辺り一面に薄い靄を立ちこめさせた。

 その匂いには覚えがあった。〝知恵ある獣〟の神経を麻痺させ、身動き取れなくするための特殊な毒だ。だが――。

 メインクーンはせせら笑った。

 「そんなものが、わたしに効くわけがないでしょう」

 こんな毒、『誰?』のもとで訓練積み。とっくに慣れ親しんで耐性が出来ている。が――。

 「えっ?」

 メインクーンは思わず声を漏らした。

 視界が揺らいだ。

 膝をついた。

 体が重い。

 身動きが取れない。

 ――そんな! なんで……?

 あり得ない。

 あり得るはずがなかった。

 こんな毒が自分に通用するはずがない。仮に従来の毒に改良を加えた新種の毒であったとしても、ここまで完全に体が麻痺するはずがない。多少、動きは鈍くなっても人間の五人や一〇人、余裕でさばける程度の能力は残るはずだ。それがいまや地面に片膝をつき、身動きひとつできずにいる。

 ――そんな……そんなことが。

 メインクーンは本気で焦りを感じた。

 こんな焦りを感じたのは冒険者家業をはじめてから一度もなかった。

 今度は薬師がせせら笑う番だった。

 「君が野性の〝知恵ある獣〟とはわけがちがう、特別な訓練を積んだ〝知恵ある獣〟であることは知っている。トリトン公国ではずいぶんと勇名を馳せたそうではないか」

 「……くわしいのね」

 「もちろん。獲物のことは可能な限り調べあげるのが生き残るコツだからね」

 薬師はそう言って再び笑った。

 「だから、少々、回りくどい手を使わせてもらった。君がスクアローサ姫のもとで飲んだお茶。そのなかに、ある薬を混ぜておいた」

 「なっ……⁉」

 「薬と言ってもそれ自体ではなんの効果もない無味無臭、〝知恵ある獣〟の鋭敏な感覚をもってしても気付くことの出来ない特殊な薬だ。だが、そんな『毒にも薬にもならない』薬品でも、飲んだ直後にこの煙を吸い込むと体内で合わさり、身体機能を奪う結果となる。君はいままさにその状況にあるわけだよ」

 薬師は不出来な学生を嗤う、意地の悪い教授のような口調でそう『解説』した。

 「……まさか。ローサがわたしをはめた? あり得ない。そんな匂いはしなかった」

 メインクーンはほとんど麻痺した体を必死に動かし、ローサを見た。

 ローサはいままでの意思力に満ちた姿が嘘だったかのように、以前のぼんやりした姿に戻っている。再び、魂が過去の世界に囚われたのだ。

 薬師はメインクーンの言葉に大笑たいしょうした。その姿は、学生がピント外れの答えをしたときに優越感に満ちてわらう教授のそれだった。

 「それはそうだろうとも! 嘘偽りを意味する匂いなどするわけがない。本人自身、嘘をついているという自覚などないのだからな!」

 「……どういうこと?」

 「簡単なことだ。その姫君に薬をもり、暗示をかけることで本人に信じ込ませたのだよ。もともと、過去に魂を囚われたうすぼんやりした姫君だ。こちらの思い通りに操るのは簡単だったよ」

 「ローサを……。だから、前もってナナを追い払ったわけね」

 「そういうことだ。このタイミングで案内されてやってくるなど愚行ぐこうきわみ。だが、必ずやってくると確信していたよ。〝知恵ある獣〟の感覚はたしかに鋭い。うらやましいほどにね。だが、だからこそ、その感覚に自信をもちすぎる。自らの本能が警告を発しないいかぎり、警戒などしない。我々はプロだ。〝知恵ある獣〟の習性はよく知っているよ」

 「……一言もないわね」

 たしかに薬師の言うとおり。

 本能の警告がないばかりに、メインクーンはなんの警戒もしていなかった。

 「なるほど。お前たちの言ったとおり、まんまと捕えたわけだ」

 男の声がした。聞き覚えのある声だった。

 声と共に姿を現わした男。それは――。

 「……シペルス」

 王妃ドーナの兄、ヴェガの軍司令を務める男、シペルスだった。

 「ふん。いい気味だな。生意気な小娘よ。その様ではもはや指一本、動かせまい」

 「シペルス。あなたが黒幕だったわけ? たしかに、あなたの立場なら闇世界のプロを雇うことも簡単でしょうね。でも、なぜ、あなたが? すでに王妃の兄として、軍司令として、この国の実権を握っていると言っていいあなたがなぜ、いまさらこんな陰謀を巡らす必要があるの?」

 「ふん。知れたこと。いつまでもあんな妹にあごで使われてはたまらんからだ」

 「顎で?」

 「妹とは言え、王妃は王妃。形式上、従わぬわけにはいかん。そんなのはううんざりなのだ。そもそもあやつめ。エルウッディを殺し、玉座を完全に我らのものとすべきだと何度、言っても頑として首を縦に振らん。それどころか、『我が夫君ふくんあだなすなら王妃として処刑する』とまで抜かす始末。いつかは思い知らせてやろうと思っていたのだ。そこへ、きさまがのこのことやってきた。これは使える。そう思ったのだ」

 「……わたしをどうすると?」

 「決まっている。きさまをゾンビ化して操り、あの頑固な妹も、でくの坊の国王も、さらには、邪魔な姪っ子も、すべて殺させる。そうなれば玉座は王妃の兄である余のものだ。さらに、エリンジウム公爵家のものが王族を弑逆しいぎゃくしたとなれば当然、あの目障りなアドプレッサめも縛り首。国内の北東翼派の貴族も勢いを失う。余がすべてを手に入れるというわけだ」

 シペルスは胸をそびやかすと、誇らしくそう語った。

 自分は絶対的な勝利を握った。

 その自信が饒舌にさせていた。

 メインクーンは正直、感心していた。妹である王妃ドーナの七光りで軍司令に収まっただけの無能で脆弱な人間。そう思っていた。そのシペルスがこれほど迅速に、ここまでの謀略を構想し、しかも、実行に移すとは。どうやらこの男、戦士としては無力でも謀略家としてはひとかどだったらしい。

 「ヴェガを手に入れる、ね。それで、その後はどうするの? シリウスに制圧されたら殺されることになるんだけど?」

 「ふん。シリウスごとき、敵ではないわ。押されているのは、あのでくの坊が玉座におるからだ。余が国王となった暁にはシリウスなどたやすく打ち倒し、逆に併呑へいどんしてくれる。我がヴェガこそが大陸全土を制圧し、余が大陸全土をしろしめす皇帝となるのだ!」

 シペルスは両腕を広げ、宣告した。

 かの人の頭のなかでは、どうやら自分はすでに北方大陸全域を支配する皇帝であるらしい。

 メインクーンは麻痺した体で、それでもついつい失笑していた。

 「とんだ誇大こだい妄想もうそうね。言っておくけど、シリウスの宰相・すばるはあなたの手に負えるような相手ではないわ。身の程にあわない地位を手に入れれば殺されるだけよ」

 「ふん。負け犬の遠吠えほど見苦しいものはないな」

 「わたしは猫よ」

 「やかましい! おい、早くあの生意気な小娘をゾンビ化してやれ」

 「承知」

 薬師が自慢の薬物をつめたバッグを手に近づいてくる。

 メインクーンの体の麻痺はますます重くなる。もはや、指一本、動かせない。

 「言っておくが、薬の効き目がピークを迎えるのはこれからだ。自然に治癒するにはまだ一〇時間以上はかかる。それだけの時間があればゾンビ化することぐらい簡単にできる。それはわかるな? なにしろ、注射一本すれば良いのだからな」

 そう言って薬師はバッグのなかから一本の注射を取りだした。

 わざわざ見せつけるかのようにメインクーンの前で注射器に薬品をつめていく。

 シペルスのせせら笑う声が響いた。

 「お前はリアナとは仲が良いそうだな。喜べ。そのリアナを真っ先に殺させてやるぞ。もちろん、その前にたっぷりと楽しませてもらうがな。若い〝知恵ある獣〟の雌の味は人間相手では味わえないほど素晴らしいものだそうだからな」

 「……くっ」

 メインクーンはもはや指一本、動かせない。

 わずかな声を漏らすのが精一杯だ。

 ――なんてこと。このわたしがあんな男にしてやられるなんて。

 体さえ動けばシペルスごとき指一本で殺せるというのに。

 シペルスなど問題にもならないほど強力な相手との戦いを制し、ここまで生き残ってきたというのに。

 それなのに、まんまと引っかかるなんて……。

 薬師の腕がメインクーンの腕をとった。

 染みひとつない白い肌に注射器の張りが向けられる。

 普段のメインクーンであれば簡単に振り払える腕。その腕を振り払うことすらいまのメインクーンには出来ない。

 「哀れだな」

 薬師が嘲りの声をあげた。

 「〝知恵ある獣〟はたしかに強い。しかし、人間のズルさには勝てん。それ故に、我らに狩られ、オモチャとされるのだよ」

 〝知恵ある獣〟の精神を破壊し、ゾンビ化する薬品。

 その薬品をつめた注射器の針がメインクーンの肌に押しつけられた……。

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