一五章 闇のなかへ
その日から、メインクーンは渋る義兄の尻を蹴り飛ばすようにしてリアナのもとを訪れるようになった。リアナの方はいつ行ってもかわることのない
「ご、ごごごご機嫌うるしゅわ、うるわしゅ……」
「……それを言うなら『ご
「……だゃまりぇ!」
メインクーンのツッコみに対する答えすらこのていたらく。おかげでリアナにコロコロ笑われ、
メインクーンでなくてもそうしたくなるだろう。まさか、冷徹怜悧、剣士としても、領主としても抜きん出た技量をもつこの貴公子が、こと色恋沙汰となるとここまでのポンコツだとは……。
「まったくもう。求愛行動ひとつにどれだけかけてるのよ」
「う、うるさい……! こう言うことにはタイミングというものがあってだな……」
「そんなもの、本能でこなすものでしょ。さっさとやっちゃいなさいよ」
「そんな獣染みたことかできるか!」
「兄さんはもっと動物的になった方がいいのよ。こんな調子じゃいつまでたっても求愛できずに、リアナ姫を争いのまっただ中に放り込むことになるわよ。それでもいいの?」
「いいわけないだろう!」
「だったら、さっさとものにしなさいよ」
「……善処する」
そう言っては逃げ隠れするアドプレッサだった。
直情径行を絵に描いて黄金の額縁を付けたような種族である〝知恵ある獣〟としては、歯がゆいことこの上ない。
――いっそ、ふたりとも縛りあげて、真っ暗な部屋に放り込んで、無理やりくっつけてやろうか。
そう思うぐらいだが、
――さすがに、それはまずいか。
そう思う程度には人間世界の常識にも馴染んでいる。
「ずっと人間の世界で生きてきたんだから仕方ないけど……わたしもけっこう、人間の面倒くささに染まっちゃってるわね」
そう思い、少々、『種族の誇り』を傷つけてしまっている気のするメインクーンだった。
その一方で、もうひとりの姫君であるスクアローサのもとへも足繁く通っていた。頻度で言えばこちらの方が多いぐらい。もとより、猫は夜の世界の生き物。明るく朗らかで、昼の世界の象徴のようなリアナより、夜の世界の住人のようなローサの方が性に合ったのかも知れない。
ローサのもとへはひとりで訪れ、自分とローサとナナの三人でテーブルを囲むのだが、
「ローサさまはリアナ姫のことがお好きなんですね」
「ええ。リアナさまはまだあんなにお小さいのにとてもかわいくて、しっかりなさっていて。とても、素晴らしい方ですわ」
ローサは相変わらず過去の世界に生きているようで、いま現在のことが見えていない。その目は前を向いてはいるが、視線は過去の世界にとどまったままなのだろう。いま現在のこの世界のことを見ているようには思えない。
正直、メインクーンとしては苛々する。
――小さい頃にどんな目にあったにせよ、だからと言って、過去にばかり閉じこもっているなんて。
徹底した個人主義者であり、母親をのぞいては『家族の情』など持ち合わせていない〝知恵ある獣〟である。『家族を奪われた悲しみ』とやらに心を囚われ、心を閉ざしている姿は嫌悪感を誘うものでしかない。
とは言え、だからこそ、どうにかしたいと思う。過去の世界から魂を引っ張り出し、いま現在のこの世界に解き放ってやりたいと思う。
〝知恵ある獣〟なりに『親切心』というものに目覚めていたわけだ。
お茶会を終えて、メインクーンはナナに送られながら廊下を歩いていた。ナナに話しかける。
「ローサ姫は相変わらず、過去の世界に閉じこもりっぱなしね」
言われて歳の割に幼いナナの顔が沈痛な表情に沈んだ。
「はい。あたしも何とかローサさまに『いま』を見てもらおうと手を尽くしてきたんですけど、効果がなくて……。それだけ、お悲しみが深いんでしょう。それに……」
ナナは言いずらそうに付け加えた。
「……正直、ローサさまの場合、『いま』に戻ってくることがお幸せなことかどうか」
そう言うナナの表情には深い迷いが見えた。その理由はメインクーンにもよくわかった。
「『いま』に戻ってくれば、たちまち政争の具だものね」
「……はい」
前国王の娘であり、今時めずらしい純血の東北翼系である『化石の王女』スクアローサ。ドーナをはじめとする北方系の有力氏族が専横を振るうことを怖れる貴族たちにとっては、
そうならずにすんでいるのはローサ自身が過去の世界に閉じこもっているから。
『あんなやつは使い物にならん』と、貴族たちから思われているから。
そのローサが『いま』に目覚め、過去の世界から戻ってきたらどうなるか。
たちまちのうちに神輿を欲しがる貴族たちに担ぎ出され、ローサに対抗する存在として祭りあげられることは目に見えている。その先にどんなむごい現実がまっていることか。
――それぐらいなら、このまま穏やかに。
そう思うナナの気持ちはわかる。
――そうなると、ローサ姫のためにも問題を解決しないといけないわけね。
メインクーンは改めて思った。
――結局、兄さんがさっさとリアナ姫をものにしてしまえば解決することなんだけど。あのヘタレ馬鹿兄貴。
と、アドプレッサに対する文句をひとしきり、胸の内で呟いておいてからメインクーンはナナに尋ねた。
「例の『邪悪な気配』に関しては何か言っている?」
「あ、はい。ときどき、仰っています。『だんだん強くなっている。嫌な気分がする』って」
「そう。となるとやっぱり、この間の連中にわたしを襲わせるのが早いわね」
「だ、だいじょうぶですか、ひとりで?」
「ひとり? あなたは?」
「それが……あたしは国王陛下からの指令で、しばらく国を離れて他国の調査に行かなくてはならなくなって……」
「調査?」
「はい。近隣諸国を巡って動静を探ってこいと。長期の捜索になりますからしばらくは帰ってこられません」
「どうして、ローサ姫付きの忍び兼メイドのあなたがそんな任務を命じられるの? そのための人員は別にいるんでしょう? それに、なにより、あの無気力国王がそんなことを命じるなんて思えないし。怪しいでしょう」
「それはそうなんですけど……指令書そのものはまちがいなく本物でしたし、国王陛下の署名もありましたから。王家に仕える忍びの一族としては従わないわけに行かなくて」
「なるほどね。宮仕えの辛さというやつね」
「……すみません」
「いいわ。気にしないで。厄介者の網闘士はすでに死んでいるんだし、残りの四人だけならわたしひとりで充分、ケリが付く」
――もっとも、向こうもプロ。欠員が出た以上、別の手段を使ってくるでしょうけどね。
メインクーンはそう思ったが、不安や心配はまったく感じなかった。
この一年間、冒険者として生きてきた。そのなかで多くの危地や窮地を体験してきた。そのなかには今回の件に劣らない陰湿な陰謀劇もあった。〝知恵ある獣〟狩りのプロに狙われたことだって何度もある。そのすべてを脱し、生き残ってきた。だからこそ、いまこの場にこうして存在している。
その実績から来る自信。
それが、メインクーンの目を曇らせていた。
ナナがローサのもとをはなれてからしばらくのときがたった。メインクーンは以前にも増して足繁くローサのもとを訪れるようになっていた。
ひとつにはナナに熱心に頼まれたからでもある。ナナは出発前、メインクーンの手を握りしめて何度もなんども哀願していったのだ。
「あたしがいなくなったらローサさまは本当におひとりになっちゃいます! だから、お願いです、メインクーンさま。一日に五回はローサさまのもとへ訪れてください!」
「一日に五回って……どこかの宗教じゃないんだから」
そう思って呆れてしまったが、ナナの気持ちはわかる。メインクーンだって若い女性がひとり、やることもなく、日がな一日、薄暗い部屋のなかでぼんやり過ごしている……と思えばたまらない気持ちになる。無理やり引っ張り出して外の世界に連れ出したい気持ちになる。だから、足繁くローサのもとに通い、魂を『いま』に戻そうとしてきた。ところが――。
その日は様子がちがっていた。
その日もいつも通り、ふたりでお茶会を開いていたのだが、ローサの様子は最初から普段とちがっていた。表情に力があり、目はしっかりと前を向いていた。視線が『いま』に向けられているのだ。
いままでの姿が演技だったのではないか。
そう思えるぐらい、印象がちがって見えた。
「メインクーンさま。お願いがあります」
突然にそう言いだしてきた言葉にも、いままでにない力強さ、はっきりとした意思が込められていた。
「お願い?」
「はい。わたしと一緒にある場所に向かってほしいのです」
「ある場所?」
「感じるんです。深いふかい、邪悪な気配を。それを感じるのがたまらないんです。まるで四六時中、神経にやすりをかけられているような。それを確かめ、断ち切るために、メインクーンさまのお力を貸していただきたいのです」
それまでとは見違えた態度と言葉。明らかに不自然な変わり方。疑ってかかるのが当たり前。そう言う場面だろう。しかし、メインクーンは迷わなかった。ローサの言葉にうなずいていた。
――ローサ姫は嘘偽りは言っていない。
ローサからは『嘘』を感じさせる匂いはまったくしていなかった。
メインクーンは人としての理性よりも、獣の本能を信じたのだ。
「わかりました。ご一緒します」
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