第二話 猫と王女と暗殺メイド
七章 偽兄の素顔
北方大陸第二の強国ヴェガ。
その王都ユーコミス。
花の都。
大陸一の都市。
そう呼ばれるだけあって、ユーコミスは華やかそのものだった。
白を基調としたその都市はどこも上品で洗練され、大通りはおろか露地裏まで美しい装飾が施されている。道行く人たちの表情も明るく、ペットを連れている人たちも多い。そのペットもどれもよく太り、手入れも行き届いている。それだけペットに注ぎ込める経済的、精神的な余裕があるという証拠だ。
北方人だけではなく、央胴人や東北翼人も普通に見られるところが、いかにも国際的な大都市といった印象。この華やかさ、多彩さは北方大陸最大の強国シリウスの王都メグにもないものだった。
『国の規模では第二位でも、王都の壮麗さと文化的な洗練度ではヴェガが随一だ!』
ヴェガの人々がそう胸を張って自慢するのも納得の姿だった。
そのユーコミスの〝
――お忍びのつもりで町に出てきたものの、世間知らずで常識がないために貴族風の出で立ちのままであり全然、お忍びになっていない貴族の青年。
そんな印象になってしまい、人目を引くことおびただしい。通り過ぎる人たちがジロジロと無遠慮な視線を投げかけていく。
もっとも、メインクーンはそんなことは気にもかけなかった。人間社会ではめずらしい〝知恵ある獣〟の少女、それも、とびきり美しい少女と言うこともあって見られることには慣れている。ジロジロと無遠慮な視線を投げかけられるのもむしろ普通のことであって、いまさら気にもならない。
むしろ、メインクーンの方が『おのぼりさん』よろしく、当たりの風景を物珍しそうに眺めている。
「さすが、北方大陸一と呼ばれる〝丘〟ね。規模も大きいし、人も多い。なにより、華があるわ」
メインクーンは素直に褒めたつもりだった。ところが、アドプレッサはそう受け取らなかったらしい。むっつりした様子で言った。
「北方大陸一ではない。大陸一だ」
その言い方がなんとも真剣なものだったのでメインクーンはちょっと意外だった。
――へえ。愛国心なんて持ち合わせているのね。
そう思った。
人を寄せ付けない冷徹な雰囲気からてっきり、そんな感情は持ち合わせていないのかと思っていた。まあ、『愛国心』と言うよりは『郷土愛』と言うべきなのかも知れないが、どちらにせよ、そんな感情をもっているのは意外ではある。
――『愛国心』にしても『郷土愛』にしても〝知恵ある獣〟には縁のないものだしね。
徹底した個人主義者であるが故になにものにも属さず、ただひとり、自然の野山を枕に生きる〝知恵ある獣〟。その〝知恵ある獣〟にとっては言わば世界全体が自分の家であり、住み処。そのなかの特定の一部に特別な感情をもつことなどない。まして、国に所属し、その国に忠誠を誓うなど、
「あまり、キョロキョロするな。田舎者だと思われるぞ。お前もエリンジウム公爵家の一員になるつもりなら堂々と……」
メインクーンの態度を見かねてアドプレッサはそうたしなめた。しかし、そのときにはすでにメインクーンの姿は人混みに紛れて消えていた。
「おい、どこに行った⁉」
アドプレッサはその冷徹な風貌にも似合わないあわてた声をあげた。辺りを見回す。しかし、人混みでもすぐに見分けの付くはずの特徴的な猫耳は見当たらない。
「くっ、あの馬鹿め……!」
アドプレッサは一生分の舌打ちをまとめてすると押しかけ妹の姿を探し求めた。しかし、無数の人の壁にさえぎられて一向に見つからない。
アドプレッサは小走りに駆け出した。辺りをキョロキョロと見回した。他人より頭ひとつ分は高いアドプレッサがあちこち駆け回るのだ。まわりの人たちにとっては迷惑この上ない。幾人かの通行人を跳ねとばすようにしながら探し求める。
「どこだ、どこに行った⁉」
「なにしてるの?」
突然、声がした。振り向くとすぐそこにクレープやら、アイスクリームやら、ケーキやらを両手いっぱいに抱えたメインクーンが立っていた。
「いい歳して、はぐれたぐらいであわてないでよ。心配しなくてもその図体だもの。すぐに見付けてあげるわ」
「お前……! それはなんだ、なにをもっている⁉」
アドプレッサの詰問にメインクーンはいかにも〝知恵ある獣〟らしく
「ケーキにクレープ、アイスクリーム。知らないの?」
「それは知っている! なぜ、そんなものをもっているかと聞いている!」
「食べるため」
これまた〝知恵ある獣〟らしい直截な返答にアドプレッサは憤った。
〝知恵ある獣〟の言葉や態度は直截すぎて、人間から見たら『馬鹿にされている!』と感じることも多いので、アドプレッサが憤るのも無理はないところだったろう。突然、押しかけ妹の出来てしまった新米兄はしばらく口のなかで何やらモゴモゴ言っていたが、やがて、あきらめたらしい。結局、溜め息をひとつ付くとこれだけを言った。
「……〝知恵ある獣〟が人間の菓子を好んで食べるとは聞いていないが」
「わたしはずっと人の世で暮らしてきたのよ。少しは人間らしくなるわ。それに……」
「それに、なんだ?」
「わたしの父親は多分、人間だから」
人間だから。
その一言を聞いたとき――。
アドプレッサは一瞬、ギョッとした表情を浮かべた。それから、恥じ入ったように白皙の頬をかすかに赤くした。
「そ、そうか……」
いかにも気まずそうにそう言うと、顔をそらした。
――聞いてはいけないことを聞いてしまった。
いかにも『悔いている』といった様子の表情がそう告げていた。
アドプレッサは知っていた。
〝知恵ある獣〟にとって『父親が人間』というのがどういう意味か。
徹底した個人主義者であり、自然の野山を枕とする〝知恵ある獣〟。本来であれば人の世に関わることはなく当然、人と交わることもない。その〝知恵ある獣〟が人と交わり、子供を成す。それはどんな場合か。
偶然、出会った同士が愛し合い、子供を作る。
そんなケースがないわけではない。しかし、それは、ごくごく稀な場合でしかない。ほとんどの場合、〝知恵ある獣〟の父親が人間であるのは『奴隷主の男が、奴隷にした〝知恵ある獣〟の雌を
つまり、メインクーンの父親が人間であると言うことはメインクーンの母親が奴隷、少なくとも、元奴隷であり、性的な
そんなアドプレッサの反応にメインクーンは思った。
――ほんと、ヘタレよね、こいつ。
人間と〝知恵ある獣〟では感覚がちがう。
〝知恵ある獣〟にとって性行為とはあくまでも子作りの儀式であり、自然の一部。わざわざ隠し立てするようなことではない。その〝知恵ある獣〟にしてみれば、性的に
――でもまあ、この様子なら、何かあったらこのネタでイジれそうね。
と、少々(かなり?)意地悪く、メインクーンは考えた。
押しかけ妹がそんなことを思っているのを知ってか知らずか、新米兄は気を取り直したように言った。
「……ふん。お前の父親が人間なのは当然だ。お前はおれの母親違いの妹なのだからな」
やがて、貴族街に付いた。エリンジウム公爵家の屋敷はさすが、ヴェガきっての大貴族だけあって一際、大きく、豪壮な作りだった。それでも、過度な華やかさなどはなく、成金的な趣味の悪さは一切、感じさせない。落ち着いた、クラシックな品の良さを感じさせる屋敷だった。
「さすがに伝統ある貴族のお屋敷と言ったところね。品の良い作りだわ」
「ふん。当たり前だ。おれの……おれたちの家なのだからな」
アドプレッサはそう言うと玄関のドアを無造作に開けた。
「お帰りなさいませ、アドプレッサさま」
まるで、ずっとそこにいて待ち構えていたかのようなタイミングで出迎える声がした。
そこにいたのは執事の礼服に身を包んだ中年の紳士だった。
「おや、そちらのお嬢さまは?」
とくに表情をかえるでもなく、中年の紳士はそう尋ねた。
チラリ、と、アドプレッサはメインクーンを見た。
「父の代から我が家の執事を努めているウッドワーディーだ。かの
なにしろ、この家で一番の権力者だからな。
そう付け加えたのはアドプレッサなりのユーモアらしかった。
「お前はしばらく、客間でまっていろ。ウッドワーディー、話しておくことがある」
「はっ」
ウッドワーディーは一礼して主に従った。手近にいたメイドにメインクーンの世話をするよう指示することを忘れないあたりが、いかにも『出来る執事』なのだった。
メインクーンはメイドに案内され、客間に通された。大貴族だけあって一日に訪れる客の数も多いのだろう。そこはホテルのラウンジを思わせるほどに広く、贅沢な作りの部屋だった。お茶が出されたが、そのお茶を飲み干すまでもなくアドプレッサとウッドワーディーが姿を現わした。
ウッドワーディーが
「お話はすべて、うかがいました。エリンジウム公爵家の執事としてこれより、誠心誠意、仕えさせていただきます、お嬢さま」
ウッドワーディーのその態度は文字通り『すべての』事情を聞かされたことを告げていた。つまり、この執事はアドプレッサの出征の秘密も知っていると言うこと。知っている上で誠実に仕えている。そして、アドプレッサもそんなウッドワーディーのことを心から信頼している。そのことが見て取れた。
――この無愛想男にも信頼出来る相手がいるのね。
『愛想がない』という点ではメインクーンもいい勝負なのだが、自分のことは遠いとおい棚の上に放りあげてそう思うのだった。
「おれは国王陛下への
「了解」
別に文句を言う理由もないのでメインクーンは素直にうなずいた。
「では、ウッドワーディー。あとは頼むぞ。とりあえず、面倒を見てやれ」
「かしこまりました」
ウッドワーディーは
「では、メインクーンさま。お部屋にご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
言われてメインクーンは素直に従った。
その姿は従者にかしずかれる姫君そのものだった。さすがに〝知恵ある獣〟、人の姿の猫。人間に奉仕される姿が様になる。
屋敷のなかはどこもきちんと清掃され、きれいなものだった。あちこちに飾られている観葉植物もよく手入れされている。使用人たちの表情もみな明るく、鼻歌を歌っていたり、男の使用人と女の使用人がすれちがいざまに親密そうな挨拶をしたりと、かなり開放的な印象がある。
――かなり意外ね。あの不愛想な鉄面皮の家ならもっと陰欝な感じかと思っていたけど。
すでに名の知れた冒険者ということで、貴族の家に招かれたことも何度かある。エリンジウム公爵家に比べれば鼻息ひとつで飛んでしまうような下級貴族の家ばかりだったが。
そんな家の使用人たちはたいてい重労働を押しつけられて疲れた表情をしていたし、監視の目を気にして自由におしゃべりすることもできないような雰囲気があった。ここにはそんないやな感じはまったくない。みんな、喜んで働いているのが見て取れる。
――案外、使用人に対してはいい主人なのかもね。
メインクーンはできたての兄をちょっと見直した。
「メインクーンさま」
ウッドワーディーが声を掛けてきた。
「なに?」
「私は貴族とは血統ではなく、生き様だと思っております」
ごく短いが重要な一言だった。
つまり、自分はすべてを知っているということ、貴族としてふさわしい振る舞いをつづけるかぎりにおいては味方であること、しかし、そうでなければ……そう言っているのだ。メインクーンはポツリと呟いた。
「……あの人にもすべてを話せる相手がいたのね。安心した」
「恐れ入ります」
部屋に案内され、専属のメイドを紹介された。ウッドワーディーは礼をして退出し、部屋にはメインクーンとメイドだけが残された。
この年若いメイドは姫君の世話役に選ばれたことを誇りに思っているらしい。妙に張り切った様子だった。
「なにをいたしましょう、お嬢さま。なんでもおっしゃってください」
突然、現われたメインクーンのことを疑いもせずに主人の妹として受け入れているのは、貴族の家にあっては隠し子などめずらしくもないからだろう。
メインクーンは彼女に尋ねた。
「あなた、ここには長いの?」
「はい。三年ほどになります」
「じゃあ、聞くけど、兄さんってどんな人?」
「ああ」
と、若いメイドは納得顔になった。
「それは気になりますよね。アドプレッサさまはあの通りの方ですから。でも、ご心配なく。ああ見えてとてもお優しい方なんですよ」
「優しい? あれが?」
「はい。わたしたち使用人にもとってもよくしてくださって。お給金もいいし、普通よりも多くの使用人を雇っているので仕事も楽ですし。それに……」
メイドはちょっと言葉を濁した。
「……ご主人さまのなかにはその……まちがったメイドの使い方を好まれる方も少なからずおりまして、わたしの友だちのなかにも何人か、その……でも! アドプレッサさまは決してそんなことはなさいません!
それどころか、わたしの母が病気になったときには休暇を与えてくださった上に見舞い金まで出してくださったんです。おかげで医者に診てもらうことができました。見た目は不愛想で恐そうですけど、本当はとても優しくていい方です」
「そう……」
メインクーンが小さく呟くとメイドは心配そうに尋ねた。
「あの……少しはご安心できましたか?」
「ええ、ありがとう。どうやらうまくやっていけそうな気がするわ」
メイドはたちまち破顔する。
「いいえ、どういたしまして。わたしも精一杯、仕えさせていただきます」
「ありがとう。でも、いまはひとりにして。いろいろ整理したいこともあるから」
「はい。では、なにかありましたらいつでもお呼びください」
メイドは一礼して部屋を出ていった。
メインクーンは天涯付きの
――思ったよりいい人らしいわね。
もちろん、メインクーンの立場からしたらどんな人物だろうとうまくやっていかなければならない。しかし、善良で高潔な人物だというならそれに越したことはない。
とにもかくにも、この場所から新しい生活がはじまるわけだ。メインクーンはベッドの上で思い切り伸びをした。
「さあ、ここからが勝負」
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