二章 ……あれから、一年

 「……たしかに不便な話よね。こうしていちいち手紙を運ばなくちゃ互いに連絡も取れないなんて。しかも、手紙を運べるのは限られた存在だけ」

 街道に沿って騎竜を走らせながらメインクーンはそうボヤいた。

 鳳凰ほうおう大陸たいりくラ・ド・バーン。

 大陸の形が四枚の翼を広げた鳳凰の姿を思わせることからそう呼ばれる。

 巨大な恐竜たちが闊歩する大地であることから『恐竜きょうりゅう大陸たいりく』とも呼ばれる。

 ラ・ド・バーンの自然は過酷の一語に尽きる。巨大な恐竜や異世界の魔物たちがのし歩き、人々を蹂躙じゅうりんする。これらの巨大な怪物たちにとっては人間の切り開いた街道など自分の縄張りに勝手に引かれた傷跡のようなもの。そんなものは気にもとめずに自分の歩むべき道を押し通る。

 人間を見れば襲うこともある。

 と言うより、自分の行き先にたまたま人間がいれば気にもとめずに踏みつぶす。それは、人間が足元のアリの存在に気が付かずに踏みつぶして歩くのとなんらかわりない。人間が自分たちの踏みつぶす虫けら同様に踏みつぶされる世界。

 それがラ・ド・バーン。

 あまりにも過酷なラ・ド・バーンの大自然に対し、人間は〝マウンド〟と呼ばれる都市を築き、防壁を巡らし、そのなかにもって暮らすのが精一杯。〝丘〟と〝丘〟の連絡もままならず、ようやく切り開いた街道を使ってやり取りするしかない。

 しかも、並の人間では〝丘〟を出ようものならたちまちあたりにたむろする野性や魔物たちに狙われ、生命を落とす羽目になる。街道を通って〝丘〟から〝丘〟へと移動できるのは腕に覚えのある冒険者ぐらい。あとは護衛を雇った隊商ぐらいのものだ。一般人が別の〝丘〟に移動しようと思えば自ら冒険者を雇うか、それでなければ定期的に出立する隊商に参加するしかない。それでも、護衛ごと隊商が全滅、と言うことも決してめずらしいことではない。

 『かつて、人間は空を飛んで移動することができた』

 シリウスで出会った黒衣の宰相・すばるの言葉が頭に浮かんだ。

 『かつて、第一文明期、そう呼ばれる時代にはたしかにヒトは空を飛んで移動する技術をもっていた。それだけではない。大陸の隅々まで自分の声と姿を送り届ける技術もあった。大陸の端と端とで普通に会話が成立していたわけだ。そんな技術が現代まで残っていれば、我々はどれほど発展していたか。悲しいことにかの大崩壊期に失われてしまったがね』

 昴は内心の悔しさを隠そうともせずにそう語ったものだ。

 「……たしかに、空を飛んで移動できたら便利でしょうね。恐竜や魔物に襲われる心配もないし。まあ、翼竜とか、空を飛ぶ魔物もいるにはいるけど。自分の声と姿を送り、大陸の端と端とで話が出来るなら危険を冒して〝丘〟から出る必要もない。誰も身の危険なしに連絡しあえる。そうなれば、わたしたちもわざわざ危険を冒して手紙を運ぶ必要もなくなるわけだし」

 危険を冒して。

 メインクーンはそう言ったが、内容に比べて口調はいたって呑気なものだ。『自分が』危険にさらされるとは思ってもいないのだ。

 自分の強さに自信がある、と言うのとはちがう。

 知っているのだ。

 自分の強さを。

 メインクーンが五歳の頃から一〇年の時を過ごしたトリトン公国を出奔してから一年が過ぎていた。その間にメインクーンの名前は新進気鋭の冒険者として北方大陸全域で噂されるまでになっていた。そこにはもちろん、めずらしい〝知恵ある獣〟の冒険者――しかも、とびきりの野性的美少女――だと言う事情もある。しかし、何と言ってもその実績か圧倒的に過ぎた。

 この一年の間に人間の三倍のペースで依頼を受け、そのすべてを期待以上に果たしてきた。その過程で名だたる冒険者たちと諍いになることもあったが、そのすべてに勝利した。その腕を見込んだ国家からの直々の依頼を受けたことも何度かある。それもすべて完璧にこなしてきた。そうして、冒険者としての名声を不動のものにした。

 魔剣〝魂砕き〟のメインクーン。

 その名前を確固たるものとしたのだ。

 これまでにメインクーンが出会った『自分よりも強いもの』と言えば、魔物や恐竜も含めて、シリウスで出会った黒衣の宰相・昴ただひとりしかいない。

 その事実がメインクーンにごく自然にこう言わせる。

 ――わたしは強い。

 ――戦争を殺す。

 〝知恵ある獣ライカンスロープ〟としての天性の能力の高さに加え、その目的のために徹底的に自分を鍛えてきた、その成果だった。

 メインクーンはかつて、こことはちがう世界で生きていた。わずか三歳にして戦争に巻き込まれ、生命を失った。そして、このラ・ド・バーンの大地に転生した。しかし――。

 ここでもまた戦火に見舞われた。

 物心ついたときには母とふたり、戦火から逃れ、放浪の旅をしていた。食べるものもろくにない。道ばたの雑草を食べ、水たまりをすすり、修道院の炊き出しにすがった。熱いスープを盛ってもらうための器がないので母が自分の手に盛り、真っ赤に焼けただれた手のひらから飲ませてくれた。

 そんな旅だった。

 そのなかでメインクーンは誓った。

 ――自分を殺した戦争を今度は自分が殺す。

 そのために――。

 トリトン公国公妃の座を捨てて出奔した。

 そして、知った。二〇年前、北方大陸全土を巻き込む戦争を起こした張本人、北方大陸最大の国家たるシリウスの女王、覇者マヤカの存在を。

 『この大陸に平和を』

 それが覇者マヤカの願い。

 『この北方大陸は古来、無数の勢力が林立し、争いを繰り返してきました。その歴史を終わらせ、平和な世界を築く。そのためにはひとつの勢力が北方大陸全体を制圧し、統一する必要があるのです。そのために、わたしはこの戦いをはじめたのです』

 マヤカはそう語った。

 ――戦争を終わらせるために戦争を起こす。

 それが覇者マヤカの、そして、その懐刀たる黒衣の宰相・昴の言い分。そして――。

 『あなたにもそのために協力していただきたいのです』

 覇者マヤカ。

 黒衣の宰相・昴。

 ふたりは共に、メインクーンに自分たちの仲間となって『戦争をなくすための戦争』に参加してほしい。そう言ってきた。

 ――冗談じゃないわ。

 メインクーンにとっては悪い冗談にさえならない話だった。

 ――戦争をなくすために戦争を起こす? そんなこと、何千年も間から繰り返してきたことじゃない。それでも、戦争はなくならなかった。それなのに、同じことを繰り返してどうするのよ。

 そう思う。

 何より、メインクーンとその母とが苦しめられたのは覇者マヤカの起こした戦争なのだ。なぜ、自分と自分の母を苦しめた当人に協力しなくてはならないのか。

 そんな義理はない!

 だからこそ、メインクーンは覇者マヤカに対抗する勢力になることを決めた。覇者マヤカとはちがう方法で戦争をなくし、覇者マヤカかまちがっていたことを証明し、自分と自分の母があんな目に遭ったのは不当なことだった、と、そう証明するために。

 そのために、冒険者となった。

 冒険者となって富と名声を手に入れた。

 メインクーンが冒険者として得たものは大陸全域にまたがる名声だけではない。

 これまでに受けた幾つもの依頼を通して、すでに一財産と言えるだけの規模の財を手に入れていた。その巨額の財は冒険者ギルトの金庫に預けられ、大陸中のどの事務所でも引き出すことが出来る。しかし――。

 ――この程度では足りない。

 メインクーンはそのことを知っていた。

 自分ひとり、あるいは、幾人かの家族をもって一生、豪勢に過ごす。

 それ程度の目的なら造作もなく達成できる。その程度の金額は手に入れている。しかし、メインクーンの目的はそんなものではない。この世界そのものを作り替え、戦争を殺すことなのだ。

 そのためには個人的な財産では足りない。

 それこそ、国家予算規模の財力が必要になる。

 そのためにいま、メインクーンは北方大陸第二の国であるヴェガの王都ユーコミスを目指している。これまでに冒険者として手に入れた富と名声を使い、ヴェガにおいて要人としての地位を手に入れるために。

 ――ヴェガの要人、貴族クラスの立場を手に入れることが出来れば名声、財力、影響力のすべてが飛躍的に跳ねあがる。そうなれば、目的に一歩、近づく。

 世界を作り替え、戦争を殺す。

 その目的に。

 「まあ、その前にスノードロップに手紙を届けなくちゃいけないわけだけど」

 スノードロップはここからユーコミスに向かう途上にある。ただし、完全に途上というわけではなく、途中で別の方向に向かう必要はある。このまま街道沿いに南東に進んでいけばユーコミス。その途中で西に曲がり、そのまままっすぐ行けばスノードロップにたどり着く。

 スノードロップはその名の通り、雪と花の〝丘〟として知られている。寒冷な気候の北方大陸で、しかも、高地にあるために一年の半分を雪に覆われている。そして、雪のなかでも咲く可憐な花々に覆われた美しい〝丘〟として、観光地としても有名な場所だ。

 寄り道と言えば寄り道になるが、それほどの距離ではない。それに、スノードロップと言えばヴェガきっての大貴族、エリンジウム公爵家の治めるそれなりに大きな〝丘〟だ。そこに行けばユーコミス当てのなにかしらの仕事にありつけるだろうし、うまく行けばエリンジウム公爵家とつながりをもてるかも知れない。

 『どんなクラスでもそうですけど、冒険者も全体の七割以上を下級三位が占めています。中級で一〇パーセントほどです』

 一年前、冒険者登録をすませてくれた受付嬢の言葉を思い出した。

 『まして、上級ともなれば、一パーセントいくかどうか。それぐらい希少なんです。その希少性から『勇者』とも『野性の貴族』とも呼ばれ、社交界での格式は王侯貴族に次ぐほど。上級冒険者の銘があればどこの屋敷でも、お城でも、フリーパスみたいなものですよ』

 それならば――。

 上級二位にランクされ、しかも、魔剣〝魂砕き〟のメインクーンとして北方大陸全域に名を知られるいまのメインクーンであれば、領主の館に乗り込むこともできるはずだった。 ――まあ、そこまで都合よく運ばなかったとしても観光地として有名な場所だし、寄り道する価値はあるわよね。

 どうせ、すぐに達成できるような目的ではない。一生かけて、少しずつ叶えていくべき目的なのだ。ほんの何日か観光を楽しんでみたところで悪くはない。

 メインクーンはスノードロップ目指して騎竜を走らせつづけた。やがて、行き先からかすかな声が聞こえてきた。

 人間の耳には決して聞こえないほどの小さな声。〝知恵ある獣〟ならではの鋭敏な知覚だからこそ聞き取ることができた声。

 声が小さいのではない。

 距離が遠いのだ。

 だから、わずかな音としてしか聞こえない。

 メインクーンは騎竜をとめた。街道の先へと目をこらした。〝知恵ある獣〟の視力は人間をはるかに凌ぐ。それは、獣と言うよりむしろ、猛禽の目と言ってもいいほどのものだった。人間には見えない遙か遠くの出来事もはっきりと見て取ることが出来る。

 メインクーンが目をこらした先。

 そこでは、ひとりの人間が武器を構えた一〇人以上のゴロツキどもに囲まれていた。

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