3-12 姐の手がかりと銀錦の乳母

 十日振りの占い商売は大繁盛だった。


「久し振りに占い師さんにみてもらえてよかったわぁ」

「なんか、心強いのよね」


 結果はどうであれ、占い師の言葉というのは人に安心感を与えるものだ。客の欲しい言葉を選んで喋るのだから、あたりまえとも言える。疲れた様子の人には日頃からよく頑張っておられますねと声を掛け、努力は報われますよ、とでもいってあげれば、ちょっとは気分が晴れる。後はちょっと良いことがあった時に想いだして、占いどおりだったと実感してもらえたら、大成功だ。


 客は続々と行列をなして、ひと段落ついたときには夏の星が天を飾っていた。

 提燈を揺らす風は蒸し暑い。もらった饅頭マントウ包子パオズは今晩のうちに食べてしまわないと傷みそうだ。


(こんなに食べられるかな……いいや、食べてみせよう、食いしん坊占い師の意地にかけて!)


 心のなかで誓いを掲げていたところで声を掛けられた。


「占い師様の御噂を頼りに参りました。もう終わってしまわれたのでしょうか」


 白髪はくはつを結わえた老女だった。


(めずらしいな)


 後宮では五十を過ぎた老人を見掛けることはない。

 妃妾きしょうにも女官にも年季がある。年老いても後宮におられるのは女官を統べる命婦めいふという役職のものだけだが、老女の服は命婦の制服とも違っていた。


「まだやっておりますよ。こちらにどうぞ」


 鏡がわりの鍋の蓋を取りだして、ミャオは占い師らしく振る舞う。


「ああ、大変な御事情を抱えておられるのですね。ずいぶんと御辛い想いをなさってきたのでしょう」


(知らんけど)


 老女は涙ぐむようにしわだらけの眼もとをゆがめ、頭を低くさげた。


「わ、私の命運を、視ていただきたいのです……これからさき、どうなるのか」


 老女は身を縮め、先程からしきりに視線を彷徨わせていた。心理などつかわずとも、強い恐怖心、緊張感が読み取れる。時々足が震えるほどに怯えているところから推察すれば、日常的に誰かから暴力や虐待を受けているのではないかと妙は感じた。

 これはてきとうな受け答えをするわけにはいかなさそうだ。


 妙は背筋を伸ばして、聴くものに安心感を与える落ちついた声音で語りかけた。


「残念ながら、このままでは、貴方様がご想像なさっているとおりの結果となるでしょう。ですが、そこから抜けだして、助かる術もまた貴方様はすでにご存知なのではないでしょうか」


 後宮といえども、妃嬪から暴力を振るわれた女官、命婦が身を寄せられるところはある。妙は言外にそう示唆したのだが。


 老女は息をのみ、すがるように尋ねてきた。


「私は、死にますか?」


「へ」


 不吉すぎる言葉が飛びだして、ミャオはぽかんとなる。


「死ぬとしたら、どんなふうに――死刑ですか。それとも、殺されるのでしょうか。教えてください。貴方様のような特別な御方には死に際が視えるのでしょう?」


 いつだったか。

 あねが哀しげにつぶやいていた。

 私にはさきのことが視えるけれど、いちばんよく視えるのは死なのよ、と――それを聴いたとき、いつでも微笑みを絶やさない姐のウラにある絶望を感じて、妙は胸が締めつけられた。


「貴方、イー 月華ユェファを知っているんじゃないですか?」


 妙が想わず問いかけると、老女はさあと青ざめた。


「ち、違います、知りません、私は知りません……」


 うわごとのように繰りかえしながら、老女はひとつ、またひとつと後ろにさがる。妙が身を乗りだしたのがさきか、老女は逃げだした。


「待ってください! 待てって!」


 妙が老女を追いかける。

 後宮の大通りがもっとも混雑する時間帯だ。雑踏を掻きわけて追いかけたが、老女の姿は縺れるような群衆のなかに紛れてしまった。何処にいったのかと懸命に捜していると、燃えるような紅が妙の視界に飛びこんできた。


累神レイシェン様!」


 累神が振りかえる。

 彼は妃嬪たちを連れていたが、ミャオの声から異常事態だと感じたのか、彼女らをおいて妙のもとに駈けつけてくれた。


「なにがあった、そんなに慌てて」


「おばあさんを捜してまして! あねのことを知っているかもしれないんです!」


「後宮で、老女ね……命婦か?」


「官服ではありませんでした。総白髪で、緑と黄の絹の服で……」


「さすがにこの混雑ぶりだと捜すのは無理があるな。だが、そうだな。屋頂やねからだったら、見つかるかもしれない」


 累神はひょいと妙を担ぎあげた。戸惑っている妙を荷物でも運ぶように肩に乗せて、彼は軒から屋頂にあがる。


「累神様って身軽ですよね、……猿みたいに」


「ほかにもっと、いい例えはなかったのか……いたぞ」


 高いところから見渡せば、都の町角を彷徨う白頭を捜しだすことができた。通りは人に埋めつくされているので、屋頂を渡って老女のもとにむかう。

 屋頂から降ってきた第一皇子をみて、老女は悲鳴をあげ、腰を抜かした。

 累神は尻もちをついている老女の姿を確かめて、眉を寄せる。


「貴女は確か、錦珠の乳母か?」


 老女は相手が累神レイシェンだとわかるなり、泣き崩れて、震える腕を伸ばしてきた。


「累神様、助けてください……」


「助けてくれというのは、貴女のことを、か? 詳しい事情を教えてくれるのならば、貴女の身柄を保護することも可能だが」


錦珠じんじゅ坊ちゃまは……取りかえしのつかないことを。ああ、私にはどうすることもできず、……お許しを……」


「錦珠? 錦珠がどうしたんだ」


 余程に取り乱しているのか、老女の言葉はどうにも要領を得なかった。老女ははなを啜りながら、悲鳴じみた声を洩らす。


「どうか、錦珠じんじゅ坊ちゃまをめてください」


 雨垂れがぱつんと軒端で弾けた。あれだけ瞬いていた星が不穏に掻き曇り、月が遠ざかる。

 再び、夏の嵐がせまっていた。

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