3‐6民は食をもって天をなす

 夏の夜風は心地いい。

 軒にならんだ提燈は祭りみたいに賑やかだ。

 ここは上級妃の宮ばかりが建ちならぶ区域だ。睡蓮が咲き誇る水庭すいていにかけられた橋を渡りながら、累神レイシェンが喋りだした。


夢蝶モンディエ嬪の取調べが進んでいるんだが、どうにも不可解な供述がでてきてな」


「どういうことですか」


甘草かんぞうの軟膏は宮廷医官きゅぅていいかんから購入した物らしい。漢方薬として、ではなく、薬をあまくするための練り飴だと教えられたとか。問題はここからだ。夢蝶モンディエ嬪の証言をもとにその宮廷医官を捜したところ、名簿には登録されていなかった。外見が一致する宦官はいたが……すでに死んでいた」


「……それは、事件のにおいがしますね」


 星辰シンチェンが薬を飲んで倒れた時、累神レイシェンフェイ妃はまっさきに毒による暗殺ではないかと疑った。実際のところは毒物ではなく漢方薬だったわけだが、心房しんぞうを患った星辰にとっては毒と大差ない危険物だ。


心房しんぞうの患者には甘草が毒となるということは医官たちも知っていた。漢方や毒に詳しいものならば、誰もが持っている知識だそうだ。だったら、よけいにこれを星辰シンチェンに飲ませるよう、仕組んだものがいてもおかしくはない」


「だとすれば、暗殺未遂ですよ」


 累神レイシェンはその通りだと眼差しをとがらせた。


「違和感はあったんですよね。なんで、あの時にかぎって、夢蝶モンディエ嬪は特別な薬なんかを取りだしてきたんだろうかと」


 患者が第三皇子だったから、夢蝶嬪も張りきったのかとも考えたが、フェイ妃は特に予約をせずに夢蝶嬪の宮を訪れたそうだ。つまり星辰シンチェンのために薬を調達したわけではない。


「よさげなものを宮廷医官から購入した後、第三皇子がきたら、これをつかってみようとなるのが心理です」


フェイ妃が星辰シンチェンを連れていくことも知っていたもの、ということか」


 だとすれば、刺客は後宮内部にいるということになる。


「星辰の暗殺を狙うとすれば、錦珠ジンジュ、或いは錦珠の支持者か」


「それだったら、後宮のなかにも結構いそうですね」


 橋を渡りきって屋頂やねつきの廻廊を進む。

 庭では百日紅が咲き群れている。ちりちりと燃える火種のような莟に視線をむけ、累神レイシェンがため息をついた。


「実際、まもなく皇帝がきまるというこの時期に星辰シンチェンが倒れたことで、星辰を推していたものたちの勢いが落ちてきている」


「敵の思惑どおりということですか」


 それはそれとして、妙は意外だったことがある。


「都では、ふつうに錦珠ジンジュ様が皇帝になるだろうという声ばっかりだったんですよね。星辰様のことは後宮にきてから、ああ、第三皇子もいるんだなとおもったくらいでして。でも宮廷では、星辰様を支持する党派が、かなりいるみたいじゃないですか。どうなっているんですかね」


星辰シンチェンを支持しているのは士族、昔ながらの幇が八割だ。商幇だけじゃなく、農協とかの民間組織も含めるから、後ろ盾としてはかなり強い。あんたにはそうした人脈はなかっただろうから、一部の民の噂だけが大きく聞こえてきたんだろう」


反響室エコーチェンバー現象ですね」


 耳慣れない言葉だったのか、累神レイシェンは眉の端をあげる。


「それはどういうものだ」


「巷というのは広そうでいて、非常に狭いものです。なぜかというと、同等の知識、意識を持ったものが群れるからです。群のなかでは意見が一致しやすく、ともすれば、それが世間一般の意見であると勘違いしてしまう――これを反響室エコーチェンバー現象といいます」


 累神が感心して唸る。


「あんた、ほんとによく知ってるな」


「群集心理のひとつですから。ただ、これ、勢いがつきだすと強いんですよね」


「根拠もない反響なのにか?」


「類似したものに噂の滝カスケードという現象がありまして。一部の群のなかだけで反響していた噂にほかの群が流されていって、石橋を流すくらいの勢いに膨れあがるということが希にあります」


 だから、噂の滝だ。


錦珠ジンジュ様は、民の支持が厚いんですよね」


「ああ、星辰シンチェンと違って、錦珠は都に度々赴いては表舞台に立ち続け、民心を惹きつけているからな。わかりやすい公約を掲げたり、恵まれないものに施しをしたり」


 想いかえせば、昨日も先輩女官にたいして、錦珠は優しい言葉をかけていた。鯉に餌をやるみたいに愛想を振りまかれて、先輩はまんまとうかれていた。


「公約というと、どういうのですか?」


「確か、貧しい家庭に補助金を配る、だったかな」


「わあ、それは露骨に強いですね」


「俺としては貧富の差を縮める根本解決にはならないと考えているんだが。有事の際ならばともかく十万程度をばらまいたところで、経済効果があるかどうかは疑わしい」


「民はその時その時、腹を満たすので精一杯ですからね。さきのことまでは考えていません。すぐにでも助けてくれそうな施政者に頼りたくなるもんなんですよ」


 そういうものかと累神レイシェンが眉根を寄せた。


「民は食をもって天をなす、とはよくいったものだな」

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