2‐23「俺を皇帝にしてくれないか」

「あいつの言葉に嘘はあったか」


 ミャオは動揺しつつ、こくんと頷いた。

 錦珠ジンジュがあることをいった時、一瞬だけ、あきらかに呼吸がみだれた。


「僕が殺すはずがない――あの言葉、嘘です」


 累神レイシェンは視線をふせ、息をついた。


「そう、か」


 彼は濡れた紅髪あかがみを握り締め、乱暴に掻きあげる。予想は、ついていたとばかりに。

 ミャオはうつむいた。皇帝の暗殺。女官如きが知るべきではなかった危険な真実に触れてしまった。後悔もある。

 だが、妙を最も戸惑わせているのは――


「ひとつ、尋ねていいですか? 錦珠ジンジュ様は先のできごとを予知できるといってましたよね。あれはほんとうですか」


 彼はあねと同じ本物なのかということだ。


「事実だよ」


 累神レイシェンが肯定する。


「一昨年は北部の領地に敵が侵攻してくるといって、軍をむかわせ、敵軍を撃退した。昨年も南部で地震があるといい、民を全員避難させることができた――もっともあれこれと先読みして、動くようになったのは四、五年前からだが」


「それまではそんなことはなかったんですか」


「俺が知るかぎりではな」


 ミャオは酷い胸騒ぎを感じた。

 最愛のあねが失踪したのも五年前だ。奇妙な一致。ただの偶然なのか。或いは関連があるのか。


「だが、これではっきりした。これまでは疑惑に過ぎなかったが、皇帝を暗殺したのは錦珠ジンジュだったんだ」


 累神は濡れ髪を掻きみだす。


「錦珠に野心があることはわかっていたが、そうまでして皇帝の倚子いすが欲しかったのか」


 皇帝が崩御すれば、第二皇子である錦珠ジンジュが新たな皇帝になることは、殆ど確定していた。累神レイシェンは廃嫡で、第三皇子である星辰シンチェンは幼く病弱すぎる。宮廷では第三皇子を支持する政派もあるそうだが、錦珠の政派は強硬タカ派で勢力も強い。


「強硬派の官僚たちが錦珠を支持しているのも、錦珠の先読みをつかって、戦争を始めたいからだ。あいつが皇帝になったら、シンは確実に乱れる」


「告発は……できないでしょうね」


「証拠がないし、錦珠ジンジュがそんなものを残しておくはずもないからな」


 累神レイシェンの眸が燃える。

 逢った時を想いだすような、黄金に燃える星の眸だ。


イー ミャオ


 累神は妙にむかい、腕を伸ばす。


「俺を皇帝にしてくれないか」


 累神は心理を隠すのが巧い。

 だが、妙は累神と一緒に行動してきて、それなりには打ち解けてきた。段々とではあるが、彼の癖も理解できるようになった。


 だから、わかる。


 彼は嘘をついた時、左側に視線を落とすのだ。

 大抵の者は嘘をつく時に右側を視るというのに。


 だから――今の言葉は、嘘だ。


「なんで」


 そんな嘘をつくのか。


 彼は皇帝になど、なりたくない。皇帝になるつもりもなかった。それなのに、妙に頼むのだ。皇帝にしてくれと。


 不意に。揺れていた累神の視線がさだまる。

 星の瞳が、妙を映す。まっすぐに。


「俺が信頼できるのはあんただけだ」


 それだけで、わかってしまった。

 これは、これだけは、真実だ。


(嘘だったら、よかったのに)


 帝族の継承争い。殺伐たるあらそいの舞台だ。占い師紛いの姑娘むすめなんかが、踏みこんでいい領域ではない。命知らずにも程がある。

 毒殺だとか、暗殺だとか、そんなものとはいっさい縁のないところで程々に働き、旨い物を食べて、穏やかにのほほんと暮らしていきたい。


 それなのに。


 ミャオは唇を引き結ぶ。


「――私は」


 放っておけない。


 濡れてもなお、燃え続ける髪をなびかせた男。星の瞳の第一皇子。旨い物を食わせてくれるからでも高貴な身分だからでもなかった。

 なにもかもを諦めたような眼差しが、胸を刺す。いつのまにか、それは抜けない棘になった。


「たぶん、たいして、役にはたちませんよ?」


 寂しげに漂っていた累神レイシェンの指に触れたのがさきか、つかまれ、強くひき寄せられる。妙が、傘を落とした。石畳に転がった傘にざあざあと雨が降りしきる。


「あんたが、必要だ」


 また、何処かで雷が落ちる。

 嵐を連れて、夏がきた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 これにて第二部完結となります。


 続きは「小説家になろう」でも連載中ですが、ご感想、レビューなどの反響次第ではまたこちらにも第三部を投稿していくかもしれません!

 ちなみに「小説家になろう」では書籍化確約しています!


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