20 鴛鴦は罪深い恋をした

 客席の最も先頭には青ざめた昼椿ヂョウチュンがいた。

 朝蘭チャオラン嬪は胸をつかれたようによろめいて、がたがたと震えだす。昼椿もまた、酷く傷ついたように息をのみ、青碧の瞳を潰すようにゆがめる。


「……朝蘭、じゃない……」


 静寂の水鏡みずかがみ昼椿ヂョウチュンの声が落ち、波紋を拡げた。


「違う、違うのよ、これは……」


「朝蘭の青は、瑠璃だった。紫がかったたまの青さだ。だが君は、緑がかった青藍だ。……君は、ほんとうに彼女のあねなんだな」


 まさか、昼椿がこの場にいるなど、彼女は想像だにしていなかったに違いない。いやいやと髪を振りみだして、朝蘭チャオランならぬ、夕莎シィシャは絹を裂くように絶叫する。


 彼女は想っていたはずだ。まだ、取り繕えると。

 後宮には姐と妹で瞳の青さが違っていたことを知っているものはいなかった。昼椿ヂョウチュンをのぞいて。


 彼女は昼椿ヂョウチュンを騙すためだけに妹まで殺めたのだ。


 なぜならば。


「貴方は、妹が下賜される武官――昼椿に懸想していた」


 だから彼女は妹の瞳を潰して、みずからの瞳をも永遠に包帯の裏に葬った。妹になりかわるために。妹を愛する昼椿の愛を、この身に享けるために。


「――昼椿ヂョウチュン様と結ばれたかったのよ!」


 喉が裂けそうなほどに声を荒げた。激烈な愛を投げつけられた昼椿は身を強張らせる。


「私は幼い時から昼椿様のことが好きだった! なのに妹は、故郷の男になど嫁ぎたくないと不満ばっかり。だったら私が妹になって、昼椿様と結ばれようと想っただけ!」


「君は、妹を可愛がっていたはずだ。彼女も君には、とてもなついていた、それなのに」


「可愛がっていた……? ふ、ふふふ」


 夕莎が嗤いだす。だが嗤っていてもそれは、喜びによるものではなかった。怒りだ。喉からあぶくが弾けるように強い怒りの魄があふれだす。


 ひとしきり嗤い続けてから、彼女はかっと鼻づらに皺を寄せた。


「可愛いものですか! 疎ましかったわ、ずっと、ずっとね! 姐様姐様って、どこにいくにも私を連れまわして! 私がいないとなんにもできないくせに」


 窮したねずみは猫をかむが、破綻に瀕した時に人はウラもオモテもまぜこぜになる。

 皮膚という皮膚が紅蓮ぐれんと裏がえるような、奇忌グロテスク――隠すべきものが剥きだしになるほどにおぞましいことはなかった。熟れた臓物をぶらさげていると一緒だ。


「どれだけ妹に縛られてきたことか……あの姑娘はね、私が紅を挿すことも許さなかったのよ。一度だけ、髪を結いあげていたら、顔を真っ赤にしてはさみで紐をきり落とした。姐様には似あわないって。彼女は私のことを引きたて役だと想っていたから、私が着飾るのがよほどにいやだったのね」


 彼女は牙を剥くように喚いて、またからからと嗤った。


「でも、ふふふふ、着飾ったら女官たちだって妹か、私か、見分けがつかないのよ……おかしいったら、あははははっ」


 傍聴している群衆たちは事態についていけず、唖然となっていた。側についていた女官は舞台の端で身をすくめている。

 控えていた刑部けいぶ捕吏ほりに取りかこまれても、夕莎シィシャは壊れたように嗤い続けていた。捕吏に縄を掛けられ、嬪殺害の罪人として連れていかれる。


「……夕莎シィシャ様」


 妙が最後に、彼女の背に声をかけた。


「貴方の妹さんは、あねである貴方を愛していましたよ」


 朝蘭チャオラン嬪は常連だった。みていれば、わかるのだ。朝蘭嬪は姐に喋りかけるときは毎度身ごと振りかえり、時に腕まで絡めていた。瞳には熱を帯び、輝いていた。あれは疑いようもない好意だ。ともすれば、恋でもしているかのような。


(ああ、そうか)


 すとんと、胸に落ちてきた理解があった。

 妹は、あねに恋をしていたのだ。


(だから姐が飾りたてることも、宮に宦官をおくことも嫌がったのか)


 解かりやすい妬みだ。姐を愛するものがあらわれて嫁に連れていかれないよう、姐の芽を摘み、陰に隠し続けた。


「……夕莎シィシャ、君は妹を憎んでいたそうだが」


 昼椿ヂョウチュンは震える声をしぼりだす。


「私は、君が妬ましかった。朝蘭チャオランが嬉しそうに喋るのはいつだって、君のことばかりだったから……なあ、知っていたか? 彼女は幼い頃、姐様ねえさまと結婚するといって、きかなかったんだ」


 夕莎シィシャが息をのんで、振りかえった。


 こぼれんばかりに見張られた青藍の瞳が砕けるように潤む。袂を濡らす雫は、妹を殺めてしまったことにたいする慙愧ざんきの涙か。愛した男を騙しとおせなかったことにたいする後悔の涙か。


 捕吏が乱暴に縄を引っ張る。夕莎は転びかけながら、背をまるめて離れていき、再びには振りかえらなかった。

 彼女が最後になにを想ったのかは、妙にもわからない。


 何処からともなく、拍手があがった。

 振りむけば、累神レイシェンが舞台の袖で盛大に手を打ち鳴らしていた。そこから端を発して、劇場に拍手が満ちた。傍聴していた群衆たちが総だちする。

 妙は憂いを振りきって微笑を繕い、声を張りあげた。


「神は虚偽を享給うけず――これにて、終い」

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