11「俺はあんたが欲しい」

「私、神サマってきらいなんですよ」


 ミャオは唇の端をゆがめ、累神レイシェンを睨みあげる。


「だって、そうじゃないですか。世のなか、悪者がのさばって正直者が馬鹿をみるばかりで、神サマがいたとしてもたぶん、碌なもんじゃない」


 妙の父親が助けをもとめてきた知人に騙され、全財産を奪われた時も、神様とやらはなにもしてくれなかった。残ったのは多額の借金だけ。


 両親は結局、幼い子孩こどもたちを残して失踪した。死んでしまったのか、何処かで生き延びているのか。妙にはわからない。

 幼かった妙を育ててくれたのは七歳違いのあねだった。だが、そんな彼女も三年前に何処かにいってしまった。

 ミャオは十一歳だった。それからずっと、生き残ることだけを考えてきた。

 生きてさえいれば、またいつか、姐に逢えると。


 だから、禍福かふくあざえる縄の如し――偉人が綴った言葉を客寄せにつかいながら、彼女自身は禍福が等しいはずもないと考えている。


 よくて禍が七割、福が三割。その程度だ。


「それで? どうするんですか。神をかたった罪で私を捕まえますか?」


「――まさか」


 累神レイシェンが嗤った。

 ミャオが瞳を見張るほど、凄絶に。


「奇遇だな。俺も神とやらは信じていないもんでね」


 なのに、綺麗だ。ひと握りの嘘もない、魂からの嗤いだった。彼は終始、微笑を張りつけていたが、妙はこの時はじめて、この男の笑顔をみたとおもった。


イー ミャオだったか」


 累神レイシェンが妙にむかって、腕を差しだす。


「俺と組まないか。俺は、あんたが欲しい」


 誰かに必要とされたことのなかったミャオは一瞬だけ、息を張りつめた。だが無意識の昂揚を、理性が律する。


 第一皇子がなぜ、彼女心理学を欲しがるのか。


 愚者だというのがただの噂にすぎないことは、すでに妙にはわかっている。

 彼は明敏な男だ。必要とするには、必要するなりのわけがあるはずだ。


「それって、一年前に皇帝が崩御なさった事と関係していますか」


 皇帝は昨年、桜が散るとともに命を落とした。

 以降、シンは約一年に渡って、空位期くういきが続いている。現在は朋党ほうとうが実質の政権を握って地域の権力闘争を抑制しているので、権力の真空しんくうという事態は免れていた。夏には、第二皇子が皇帝になるだろうといわれていたが、まだ公表されたわけではない。


「敏いな、あんた」


 眸子ぼうしのなかで黄金の星が燃える。


「ますます欲しくなった」


 ぞくりと身が竦み、ミャオが無意識に退いた。

 狼に睨まれた猫のような心地だ。


(この男、皇帝の倚子を狙っているのか)


 彼は第一皇子だ。皇帝になりたいと望むのは自然な事である。だが、なぜか違和を感じた。彼がなにを望んでいるのか、予期できない。


(どっちにしても、だ)


 皇帝の問題などに係わりたくなかった。


「私は卑しい占い師もどきでして、皇子様おうじさまの御役にたてるようなことはなあんにもできませんから」


 いそいそと帰ろうとする。だが逃がしてもらえるはずもなく、累神レイシェンが壁を蹴って、退路を塞いだ。累神は間髪いれずに喋りだす。


ひんが男に寝こみを襲われて、眼を斬られるという事件があった。九日前の中夜ちゅうや(*夜十時から二時)だ。悲鳴を聴きつけた女官が嬪を助けようと侵入者に立ちむかったが、彼女も眼を抉られ、殺害された」


「物騒! やだやだ、聞きたくないですって!」


「殺人犯の男はいまだに捕まっていない。このあたりをうろついているかもしれないな」


「さらっと刑部けいぶ官吏かんりの職務怠慢じゃないですか」


 累神がなぜ、いきなり事件の話題を振ってきたのか、解かってしまうから、よけいに妙はぶんぶんと頭を振った。


「この異常な事件、あんただったら、どう解く」

「……」


 妙が黙る。累神も黙った。

 重みのある沈黙に堪えかね、妙は言葉を絞りだす。


「それだけだと、なんとも。夜間の房室へやに侵入できる男ということは、宦官かんがんか衛官か、嬪の宮で勤務しているものという線が……って、私には関係ありませんから」


「へえ、残念だな」


 累神が意地悪く双眸そうぼうをすがめた。


「宮廷の包子パオズは食べたくないのか」


「うっ」


「蒸したてふわふわの生地から、最高級の黒豚の脂がじゅわりと溢れだして海老やら筍やらと絡みあい、それはそれは旨いそうなんだが」


「………………なにをすればいいんですか」


 食欲に敗けた。さきほども一時の欲に敗けたものの最後をみたばかりだったのに。


「心理をつかって、調査してくれ。襲われた嬪はファ 朝蘭チャオランという」


「え、朝蘭チャオラン嬪ですか?」


 朝蘭チャオラン嬪といえば、例の常連客ではないか。めっきり訪れなくなったとおもってはいたのだが、まさか、事件に巻きこまれていたとは。


「なんだ、知りあいだったのか」


「常連です。ということは、殺されたのは」


ファ 夕莎シィシャだ。朝蘭嬪の実のあねだとか」


「やっぱり! 後宮の鴛鴦おしどりがこんなことになるなんて」


 累神はその噂を知らなかったのか、瞬きする。


「鴛鴦?」


「あ、ええっと、ご存知ないならだいじょうぶです。女のかしましい噂ですから」


 女には得てして、男には聴かせたくない噂のひとつやふたつあるものだ。花の棘というには細やかな。

 他愛のない悪意がひと匙、まざった噂が。

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