9 「心理、ですよ」

 事件を終えたミャオは、日の暮れた帰り道をたどっていた。

 後宮は小都しょうとといわれるだけあって、晩でもいたるところに提燈がともされて、非常に賑やかだ。あちらこちらから食べ物のにおいが漂ってくる。お腹がぎゅうと鳴って、妙は夕餉のまかないは終わっただろうなとため息をついた。


「そうだ、大月餅ダイゲッペイ!」


 想いだして、いそいそと取りだす。

 帰って落ちついてから堪能したいが、女官の先輩にばれて、取られでもしたら悔やんでも悔やみきれないので、歩きながら頬張る。


「うっまああぁ」


 はす白餡しろあんとろけた。

 本物の餡はあずきだけではなく、丁寧に練った栗や蓮の実、なつめなどで造る。様々な果実、穀物のあまみがひとつになって、絡みあい、口のなかが極楽だ。

 舌に触れた塩みは家鴨の卵黄である。高級な月餅には黄身の塩漬けがごろりと、まるごと埋めこまれている。これがまた絶品なのだ。


「にゃはあ……これはたまらんですねぇ」


 頬っぺたが落ちないように気をつけながら、ミャオは月餅に舌鼓をうつ。


(あの第一皇子は喰えないやつだけど、こんなに旨い物をもってるんだったら、また相手をしてやってもいいな)


 今度はもっと愛想を振りまいてやろうと考えなおす。

 現金だが、それもまた、人情というものだ。


 食べ終わったところで突如、後ろから誰かに袖をつかまれた。抵抗する暇もなく、燈の絶えた路地裏に連れこまれる。

 悲鳴をあげかけたが、紅の髪をみて、ミャオが黙る。

 考えてみれば、後宮に暴漢などいようはずもなかった。


「宮廷の月餅は旨かったみたいだな」


 累神レイシェンだった。彼はミャオが逃げられないよう壁に腕をついて捕えてから、妙の頬についていた餡のかけらを指で摘まんで、舐める。軽薄に笑いながら彼は続けた。


「神の託宣ねぇ、違うだろう?」


 累神の瞳が燃えるように瞬いた。


「あんたの占いには、裏がある」


「ははは、なんのことでしょうか。神を疑うのは感心できませんねぇ」


 ミャオは愛想笑いでごまかそうとするが、彼の眼差しをみれば、すでに確証を得ていることがわかる。いったい何処から見物していたのかはわからないが、言い訳をならべたところでかわせそうにもなかった。


 観念した妙は愛想を投げだして、乱暴に髪を掻きあげた。


「心理、ですよ」


 累神が詳しく話せ、と要求するように柳眉りゅうびの端をあげる。


「占いとはそもそもが〔ウラをう〕という言葉からきています。ウラとはウラ。糾うとは縄を綯う事ですが、問い質して調べるという意もあります。無意識のなかに散らばった心のかけらを縒り、糾って、真実を導きだす――つまり、些細な表れから心理を分析するものです。私には神も祖霊も憑いてはいませんが、嘘もついていません」


 巷の占い師とは趣は異なるが、イカサマを働いているつもりはない。理窟があるか、ないかという違いだけだ。逃げだすつもりがないとわかったのか、累神レイシェンが身を離す。


「心理、か。それはどういう理窟なんだ」


「人の身には、魂魄こんぱくというものが備わっています。こんとは意識、たいするはくが感情です。このふたつがあわさって、心といいます。これは御存知かと。身を表とするならば、魂魄は裏側にある不可視のものですが、裏と表は紙一重。切っても切り離せないものでもあります」


 故に、とミャオは人差し指を立てる。


七魄しちはくは時に人の表に現れます」


「七魄か。確か、喜怒哀、おそれ、愛、憎悪、欲望だったか」


「諸説ありますが、おおよそはそうですね」


 さすがは第一皇子、放蕩者でも教育は受けているらしい。


「そう、難しいことではありませんよ。嬉しい時は人は笑うでしょう? 口角がこう、あがって、瞼がさがるので、細めた瞳の端にちょっとだけしわができます。これが喜びのはくの表れです」


「だが、愛想笑いというのもあるだろう」


「そうですね。でも、愛想笑いの時は、瞳のまわりは動かないことがほとんどです。笑顔を繕うのがどれだけ巧みでも、口がさきに笑い、瞳が動くのは後になります。言葉は嘘をつけても、こういう一瞬の動きは偽れません」


 ミャオ自身、仕組みは理解していても、無意識の動きは取り繕えない。彼女の愛想笑いも瞳が後続しているはずだ。


「後は、例えばですね。さきほどの女官――小紡シャオファンの心理を解きましょうか」

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