5  占い通りに首を吊った妃妾

 春の雨あがりは死の臭いがする。

 しとどに濡れた落花が踏まれて、あまったるい香を漂わせるせいかもしれない。


 ここはジュェン倢伃しょうよの宮だ。

 庭さきの白木蓮は微かなひかりを帯び、うすくらがりにたたずんでいた。燃えつきた後の焔を想わせる。白木蓮の枝からは奇妙なことに桜や梅や芍薬が咲き誇っていた。さながら花の宴だ。


 だが近づくにつれて、そうではないとわかった。


 木蓮の枝から、なにが、ぶらさがっている。


 風で軋みながら揺れるのは花篭か。いや、違う――あれは女だ。白絹のどうぎしたばきを身に纏い、うす紅の帯を締めた婉麗えんれいな女。


 花で飾りたてた頭を重く項垂れて、ジュェン倢伃しょうよが首を括っていた。


 女官に連れられて現場に駈けつけたミャオは、息絶えた妃妾ひしょうを振り仰ぎ、呆然となる。


(うそ、……なんで)


 現場に集まっていた女官たちは部外者の登場に振りかえった。妙をみて、声を落としながら囁きだす。


「あれが例の占い師かしら」


「首に気をつけろと、ジュェン様に予言を」


「まさか、娟様が自害なさるなんて」


 だが、この事態に最も戸惑っているのはミャオだ。先程まで朗らかに喋っていた妃妾が一刻も経たないうちに物言わぬ屍となっているのだから。


「占い師の言葉で思いとどまってくれれば、よかったのに。それとも、あの言葉で踏んぎりがついたとか?」


 妙が強張った頬を、さらにひきつらせた。


(なんか、とんでもないことをいわれてるんですけど! 首に気をつけて、とは確かに言ったけど、筋違いのほうであって、ほんとに吊るなんて冗談じゃない!)


 死を招く占い師とかいわれたら、最悪だ。

 せっかく後宮での商売もとい、食べ物調達が軌道に乗ってきたところなのに。


 妙を連れてきた女官は震えながら、さめざめと泣きだす。


「占い師様は、こうなるとわかっておられたんですよね」


(わかるもんか)


 人が命を絶つわけは様々だ。他人が無責任に推し量れるものではない。


 第一皇子の言葉を借りるのもしゃくだが、悩み事がない人間などはいない。後から、思いつめていたとか、つらそうだったとか考察するのはかんたんだ。だが妙には、彼女が自害するとはとても想えなかった。


 娟倢伃は春の宴を楽しみにしていた。今晩自殺するつもりだったら、どんな服がいいかと気に掛けるだろうか。

 それに彼女は、自身のための糖花こんぺいとうを持ち帰っていたのだ。好物を食べずに命を絶つはずがなかった。


 妙は木蓮にむかって、踏みだす。


 女官たちは誰もが遠くから眺めるばかりで、屍の側には近寄ろうとしなかった。

 怖いのだ。

 妙は幼少期に都の貧民窟で暮らしていた。あそこは人死にが絶えないところだった。今さらだ。それにまもなく官吏かんりがきて、遺体を連れていくはずだ。それまでに確かめておかないといけないことがある。


 ジュェン倢伃しょうよは縄ではなく帯で、命を絶っていた。


 木蓮の根かたには牀几しょうぎが倒れていた。これを足掛かりにして帯を枝に結び、首に絡めてから、牀几を蹴った。実にありふれた自害の手順だ。

 だが、典型の順序を踏んでいるのに、妙なことがひとつ。


 くつがないのだ。


 ジュェン倢伃は裸足を晒して、ぶらさがっている。

 なのに、どこを捜しても沓がなかった。

 首を吊って自害する時も身投げする時も、くつは揃えておいておくものだ。これは、まわりに自害であることを報せたいという心理による。遺書のかわりだ。


「ちょいと失礼して」


 ミャオもすそをめくり、ジュェン倢伃しょうよの足を確かめた。

 陶磁で造られたような、綺麗な足裏だ。土は、ついていない。


 廊子えんがわから庭の木蓮までは、二十歩程の距離がある。石畳を踏んだとしても、こんな雨のなか、くつを履かずにきて、足裏がいっさい汚れていないのは不可解だ。かわりに背が泥だらけになっている。転倒したのか、あるいは。


 続けて、棒のように硬くなった腕に触れた。


 爪が割れている。胸でも掻きむしったのだろうか。


「……ん、糸屑……なんで、こんなものが」


 割れた爪には、赤い糸が絡まっていた。

 ああ、と妙は理解する。



(彼女は、殺されたんだ)



 木蓮に触れる。割と細い幹だ。ジュェン倢伃は非常に痩せているので、なんとか枝にぶらさがっているが、先程の女官くらいだったら折れていたかもしれない。


 官吏が到着した。変な疑いをもたれてはやっかいだ。哀悼を捧げていたことにして、ミャオは後ろにさがった。


 官吏たちはジュェン倢伃しょうよの遺体を地に降ろした。横たえられた娟倢伃の遺体には、すぐにむしろが被せられる。だが、妙はみた。


 無残に腫れあがった娟倢伃の頬には、幾筋もの涙の痕があった。


 袖振りあっただけの他人だが、無念だっただろうなとミャオは想う。自害扱いで終わってしまっては、死んでも死にきれないはずだ。


 妙は霊というものを信じてはいなかった。人が死後、そんなものになるんだったら、地上はもっと賑やかだろう。残虐な事件だって減るはずだ。霊なんてものは、人の想像の産物にすぎない。

 だが、それでも安らかに眠れない死にかたというのはあるだろう。

 縊死をよそおって殺すというのが、予言から想いついたものだとすれば、妙にも責任はある。


 ミャオは唇をひき結んでから、声を張りあげた。


「神の託宣たくせんが降りました」


 宮に戻りかけていた女官たちが振りかえる。


ジュェン倢伃は自害なさったのではありません」


 場が凍りついた。


「どういうことですか」


 女官が顔を強張らせながら問い掛けてきた。


「誰かに殺されたのです」

「そんなはず……」


 ない、といいかけた語尾が細り、絶えた。

 誰もがありえないと考えながら、ジュェン倢伃しょうよの縊死を先読みしていた占い師の言葉ということもあって、否定しきれない。


 ミャオはよどみなく続けた。


「彼女を殺害した者は――貴方がた、女官のなかにいます」


 濡れた花のにおいを巻きあげて、不穏な風が吹いた。

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