第5話

◇◆ ◇◆ 一七年前・十一月二十四日(木曜日) ◇◆ ◇◆


 今朝は焼き鮭とインスタントのお味噌汁。それとほうれん草のおひたし。焼き鮭は最初に焼いた方は少し焼き過ぎたけどその面を下にして私の方におき、綺麗に焼けた方はお兄さんの方へ並べた。

「お、いい匂いだな」

「うん、上手に焼けたよ」

「おう、じゃあ食べようか。いただきます」

「いただきます」

 今朝も本当に美味しそうに食べてくれるお兄さんを見ていると頑張って良かった。そう思えてきて胸の中が暖かくなった。


◇◆ ◇◆ リエラ(お留守番) ◇◆ ◇◆


 昨日の電話の中で元カノさんの荷物は「そのままにしておいても邪魔になるだろう」という先方の言葉で元カノさんの実家に着払いで配送する事になった。

 なので、今日の私は荷造りに勤しんでいた。


 夕方になって買い出しにいつものスーパーへ向かった。 

 キリのいいところまでと思って荷造りをしていたらこの時間になって、いま慌ててスーパーへと走っているところだった。

 スーパーについてから最初に向かったのは野菜売り場。そこはこの前来た時とは全然違った雰囲気になっていた。多くの奥様が殺気立っている。

 そう、今日は週に一度の特売日に重ねて周年祭という事で夕方のタイムセールまで行われていた。

「無理…… 私、あの中に入っていけない……」

 どの売り場に行っても目玉商品には多くの奥様が群がっていて凄く殺気立っていた。

「凄いなあ、あの人たち……」

 無難に人だかりのできていないところの商品をカゴに入れてレジへと向かう事にした。


 家に帰って鍵を回したところで違和感を覚えた。いつもならガチャっと少し重い感触が手に伝わってくるはずなのにそれが無かった。

「あれ、鍵かけ忘れて出かけたかな」

 施錠されていない扉にそう考えるのは当然のことだと思う。けど、この時の私はもう一人この家の鍵を持っている人がいる事を失念していた。

 玄関に入って後ろ手に鍵をかける。その次に目に飛び込んできたのは知らない女性物の靴。

「えっ」

「ちょっと、どういう事!!」

 奥から怒気を孕んだ声が飛んでくる。

「ひっ」

 息が詰まる。苦しい、どんどん呼吸が浅くなってくる。視界がどんどん狭くなって何か言われているその言葉が耳をすり抜けていく。そうして私は気を失ってしまったらしい。


◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆


 次に目を覚ました時、私はお兄さんの背後に守られるような形で横たわっていた。お兄さんは知らない女の人と話をしている。お兄さんは落ち着いた静かな口調で、女性は感情的で時々、威圧的に叫ぶ。怖い、思わずお兄さんのシャツを掴んでしまった。

「あっ、大丈夫?」

「ちょっと!私が話してるところでしょ!!それに!その子は何よ!!」

 怖い、女性が叫ぶたびに私の体はビクっと反応してしまう。ギュッと目を閉じてうずくまる事しかできない。

「ちょっと黙れよ。怯えてるだろ」

「うるさい!私がいるのにこんな女を連れ込むなんて!!」

 その言葉でその人がお兄さんの元カノさんだという事はわかった。

 ザッと擦れる音が聞こえるのと同時にお兄さんの「あっ」という声が耳に飛び込んできた。顔をあげると私に向かって伸びてくるその人の手が目に入った。

「い、嫌っ……」

 その手を拒むようにはたいて壁際まで後退る。

「お前、いい加減にしろよ!自分が浮気して、他の男の子を妊娠したんだろ。それで彼女ヅラするなよ。もう俺とお前は未関係なんだからな」

「だからって、お父さんに言わなくてもいいじゃない!おかげで、一人で子供を育てないといけなくなったんだから!!」

「知らんわ!他人の子供を育てるほどお人好しじゃないぞ」

「私と結婚するんだから当然じゃない」

「お前なぁ…… つい先日、俺と別れるって言ったの誰だよ」

「そんなの、その場の勢いよ!」

「知らん、俺はもうお前と結婚する気はない。荷物は実家に送っておくから、もう帰れ」

「嫌よ、行くとこ無いんだから!」

「それこそ俺に関係あるか?今までも帰って来なかっただろう」

「嫌、彼女を追い出す気なの!」

「もう彼女じゃ無い。フったのはお前だ」

「だから、それはその場の勢いよ!」

 あまりにも身勝手なその人の言葉に私は反射的に行動した。今までこんな事は一度も無かったのに。

「ふざけた事を言わないで下さい!!」

 そう叫んでその人の頬を張った。乾いたパーンという音が室内に響き、その人の右頬は赤く染まっていた。

「あっ、あなた、なにするのよ!!」

 殴りかかってきたその人と私の間に飛び出したお兄さん。ガッと鈍い音がして膝をつく。

「お兄さん、大丈夫!?」

 ポタポタと床に血が落ちる。それが目に入った瞬間、抱きつくようにしてお兄さんに覆い被さる。

「な、なによ、私のせいじゃ無いわよ。あんたが飛び込んできたから、いけないのよ!」

 そう叫んでその人は鍵を投げつけて家を出て行った。


「いっつ〜〜」

「大丈夫、お兄さん?口の中見せて」

 お兄さんの頬は赤くなっていて唇の端から血が伝っていた。

 あ〜んと開けたお兄さんの口の中はやっぱり切れていた。

「ごめんな、変なことの巻き込んで」

「ううん、お兄さんも庇ってくれてありがと」

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