第34話 皇帝、寧安上人に金を掘ることを命じる
皆が去ると同時に部屋の中の熱気も去った。
途端に、銀狼山脈からそよそよと吹き降りてくる初秋の風が、不老不死の体といえども
静寂が部屋に満ちた。
黒白の石が並んだ盤上はそのままだ。一人となった寧安はしばらく石模様を眺めおろして物思いにふけった。囲碁の石の打ち方には人となりが出る。少女が打って並べた白石は、無邪気で賢くて好奇心が強くそして慈愛が溢れている。
――このような碁を打つ少女が、いったいどのような罪を犯して、天上界を追放されたというのか?――
残念ながら、石はそこまでは語らない。
――そういえば、趙将軍はどのような碁を打つのか。何度か誘ったことはあるが、『お上人さまのお相手をするなどとは、畏れ多い』とか言いおって、うまく逃げられたままだ。わしに手の内を見せたくないとは用心深いことだが、それでも今日、第三皇子につきそって挨拶に来たということは、第三皇子を皇太子にそしていずれは孫を皇帝にと、その野望を隠すつもりがなくなったということか。
そうだった、いつもは彼の影となって付き従っている、女のように整った顔立ちをした若い宦官……、今日は姿を見かけなかったが。あれを使って、後宮でいろいろと画策しているという噂は、わしの耳にも届いている。
最近の後宮では行方不明になる者や不審な死を遂げる者が多い。ひそかに放っている間諜の報告によると、そのどれにも、皇太子の座を確実にしたい第一皇子一派と、それを阻止するために趙将軍の命を受けたあれが暗躍しているようだ。あれの名は
頭の中で膨らんだ考えごとは、最後に声となった。
「白い面をかぶった妖魔……」
その時、部屋の外で騒がしい気配がして、早慶が飛び込んできた。
「お上人さま、お上人さま。た、た、変でございます」
「どうした? 第三皇子の屋敷に向かわれた喜蝶さまに、何ごとかあったのか?」
「あっ、いえ。こ、こ、皇帝陛下が、お忍びで参られました。客間にて、お上人さまをお待ちでございます」
「なんだ、そのくらいのことで騒ぐとは。皇帝といえど勝手に押しかけてきたのであれば、しばらく待たせればよい。お忍びなどと、大げさな。どうせ碌な用ではなかろう」
一度浮かせた腰を再び椅子に沈めて、寧安は答えた。
※ ※ ※
待たされること慣れていない皇帝だが、部屋に入って来た寧安を見るなり笑みを浮かべて駆け寄って来てその手を取った。
「突然に邪魔をしたな。ご老体、どうか座ってくれ」
銀糸で花鳥を縫い取った薄緑色の単衣を緩やかに身にまとった皇帝は、寧安を今まで自分が座っていた椅子へと誘う。ここまで下手に出てくるとは、やはり碌な用ではないということだ。
「陛下、わざわざのお越し、この寧安、まことに痛み入ります。しかしながら、これから銀狼さまに祈りをささげる身であれば、陛下のお話し相手をする時は限られております。さっそくに、ご用件をお聞かせください」
「おお、お上人にそのように単刀直入に言ってもらうと、こちらとしても話を切り出しやすいというもの。おまえたち、下がっておれ」
後宮からついてきた侍女と宦官を犬猫のように手を振って追いはらうと、皇帝はますます身を寄せてきた。
「他でもない、お上人にあれをやって欲しいのだ」
「あれとは……」
「銀狼さまの
第三皇子の屋敷改築と婚礼に思わぬ出費が重なってな。しかし最近は、後宮の歳出について大臣どもが口煩い。それで上人に、黄金を掘ってもらおうと思いついたのよ。どうだ、たやすいことだろう?」
十年前に攻め入った
「たやすいと簡単に言われましても。銀狼さまの黄金はすでに
五百年前、銀狼に姿をやつした若い男の神は、『自分の姿を石に刻み、朝夕に祈れ』と言った。その言葉に従って寧安は石に等身大の銀狼の姿を刻み、
黄金は
「まあ、そのように固いことを言うな。試してみてもよいではないか。お互いの得にはなっても損にはなるまい」
身を寄せて耳元でささやく皇帝の着物に焚き染めた甘たるい香の匂いが、寧安の鼻孔をくすぐる。五百年の間には、これと同じ匂いを彼は何度か嗅いでいる。
退廃の匂いだ。
(次話より、第3章となります)
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