白規の過去

第24話 北辰国の黒い木

   

 中華大陸の西にそびえ立つ銀狼山脈は、北に延びるほどにその背を低くし、やがて東にむかって弧を描きはじめる。そして山脈の最後の山の端は、真っ白な氷原の中に埋もれて消える。


 天上界に住む神々が日々の無聊をなぐさめるために下界に造った中華大陸という箱庭。


 長い間、その箱庭の北をふさぐのは、見渡すかぎり氷と雪しかない白く厳しい氷原だと思われていた。短い夏を迎えれば雪と氷が解けて地表が見えるその氷原の南の端ぎりぎりの場所に、神にその姿を似せられた人々は小さな国をいくつも造って住んでいた。


 白規が生まれ育った北辰国ほくしんこくも、西華国せいかこく趙蘆冨ちょう・ろふが率いる軍隊に滅ぼされる前までは、その一つだった。


 中華大陸の南の砂漠にすむ民は、その肌の色は浅黒く漆黒の瞳を持ち癖の強い赤毛だったが、北の氷原に住むものはその肌は抜けるように白くまた瞳の色は煙ったような薄青色で、そして髪は黒く直毛だ。


 厳しい環境のせいで老いれば顔には染みが浮き皺も深くなり頭髪は灰色となるが、男も女も若い時は異国の者達が憧れ見とれる美しい容貌だ。そのために他国に攻められて国が滅びれば、子どもたちは奴隷として売られ、後宮では宮女宦官そして街中では妓女男娼として重宝された。


 趙蘆冨によって北辰国から西華国に連れて来られた白規はくきも、七歳で、そういう運命をたどらざるを得なかった一人だ。




 ※ ※ ※


 時に人は、おのれの命の賭けてでも知りたいものを知りたがる。

 その強い好奇心は神と違って、人の寿命があまりにも短いためだろう。


 時の過ぎゆくままに身を任せてのんびりと生きていると、あっというまに死んでしまうのだ。無謀と紙一重とは知りながら、人は知りたいものそして得たいものに突き進んでいく。


 風すさび雪煙の舞う氷原をまっすぐ行けばその突き当りはどうなっているのか、知りたいと思った若者が昔々の北辰国にいた。


 その若者の命知らずな冒険のおかげで、食料をたっぷり積み込んだそり馴鹿となかいに曳かせ、七日七晩をひたすら北に走れば氷原を抜けることを、北辰国のものたちは知った。そして、氷原を突き抜ければ、剣の切っ先のように尖った葉を持つ巨木が立ち並ぶ深く黒い森に行きつくことも、またこの時に知った。


 黒い森を見つけて戻ってきた若者は、その証に巨木の一枝を持ち帰っていた。

 そしてそれを見せながら、広場に集まった物見高い仲間たちにその黒い森のさまを話し聞かせた。


 その頃の北辰国に住む者で、自分の背丈より高い木を見たものは数少ない。交易の仕事で南に旅したことのある者か、南の国から流れてきて住みついた他国者か。


 しかしそのような彼らでも、若者のそりの後ろに革紐でぐるぐるに巻かれて、七日七晩、氷原を曳かれてきた木の枝を見て驚愕した。その木の枝にはするどく尖った葉が一つ一つ、まるで何ものかの手によって埋め込まれたかのように規則正しく整列して生えていたからだ。


「おい、不用心に触るなよ」


 初めて見る木の枝に触れようと手を差し出した仲間たちを、そう言って若者は押しとどめた。そして伸ばされた無数の手がいっせいに引っ込められたのを確かめてから、彼はおもむろに両手に巻いていた布を解いた。血にまみた傷だらけの手が現れる。


「おれの手のようになるぞ」


 物知りとして皆の尊敬を集めている一人の老いた男が言う。


「信じられん。おれが南の国で見た木の葉というものは柔らかいものだった。鳥や獣が喜んで食べていた。これがほんとうに木の枝と言えるのか」


「おまえはおれの見てきたもの、そして、おまえの目の前にあるおれの持ち帰ってきたものを信じないと言うのか」


「そういう訳ではないが……」


「おれはこの目で見たのだ。氷原を抜けた場所に、見上げれば首の骨が折れそうなほどに高い木が、ぎっしりとどこまでも並び立つさまを。その一つ一つの木の太さは、大人の男が幾人も手を広げたのと同じくらいあった。しかし言葉で言ったところで信じてはもらえないだろうと、苦労して一枝を切って持って帰ったというのに」


「そもそも、木の葉というものは草と同じく緑色で、その枝は茶色い。それに比べて、これは葉も枝も真っ黒ではないか?」


「そんなことまで、おれの知ったことか。おれが見たこと、おれが持ち帰ったものがすべてだ!」


「うわっ!」

 誰かが悲鳴をあげて、若者と老いた男の話の腰を折った。

「あいたた……。なんだ、これは? 木の葉のくせして、小刀の刃よりも切れやがる」


 血の滴る手を握りしめて、男が蹲る。この男もまた枝を持ち帰った若者とは別の意味で好奇心が旺盛だったようだ。


「馬鹿者が。だから、触れるなと言ったのに」


 その時、広場から別の声がした。


「このように不思議なものは、王さまにみてもらおうじゃないか」

「そうだそうだ。王さまの横にはいつも知識豊かな賢者さまがはべっている。賢者さまであれば、我々の知らぬ何かを知っているに違いない」




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