第8話 反省と失敗
レイスヴァールは早歩きで自室に戻り、扉を閉めたところで頭を抱えた。
(とんでもない事をした…)
とうぜん、やましい気持ちなどなく触れていたのだが、あんな場面で、それはそれで失礼なのかもしれない。
(あぁあ、思い出すな!思い出すな!!)
ガンガンと頭を壁に打ち付ける。
手には柔らかな感触が残っているようで、それを考えると本当に申し訳なくなる。
(タムは…女性なのに失念していた…)
分かっていたはずなのに、全く頭から抜け落ちていた。
おそらくは、ハニーベアというキャラクターを重ねてしまったせいだろう。
いつも穏やかで話しやすい雰囲気を纏い、キッカケもあったが実際に普通に会話する事が出来た。
(会話する事が、苦痛でなかった。それに…楽しかった)
あれほどちゃんとした会話が女性と続いたのは、初めてかもしれない。
小さい頃から領地を守る為の鍛錬に明け暮れた結果、社交界へデビューした時は全くの世間知らずになっていた。
同い年や年下が我先に目当ての女性へ話し掛けて、婚約を勝ち取ってゆく。
レイスヴァールの前には、家柄のおかげで話し掛けなくても女性が列を成すほどだったが、武器を持たない女性が何を好むのか流行も知らず、話が続かないので徐々に列は減っていった。
それでも自分を追いかけてくるのは、家柄目当ての女性のみ。辟易して途中からはハロルドに押し付けて逃げるようになった。
昔の嫌な記憶を思い出してしまいレイスヴァールが頭を振ると、タムの笑顔がフワリと浮かんできた。
(そうだ、タムならば…)
鏡を見ながらクルリと回り尻尾を見ようとした仕草、いたずらっぽく笑う顔、驚いた顔からの気が抜けた笑顔、そしておそらく自分だけしか見たことがない泣き顔。
(……)
思わず血が上った顔を片手で覆う。
全てが自然な動作や顔で、夜会の女性達のように作られたモノではない。
ハロルドが即座に惚れたのも今なら分かると思った。
(ち、違う、俺は反省を…)
しかし、反省をしようと考えれば考えるほど、タムの事が頭をよぎり全く反省にならない。
それどころか、次に会ったら聞いてみたい事だらけだ。
(あの子の言葉が分かるのは俺だけなんだ)
ついには理由をつけて、積極的に会おうと考えたのだが本人はそれに気が付いていない。
「よし、そうとなれば」
コンコン。
「!」
思わず身構える。扉の向こうに、何やら物騒な気配がする。
(ユリか…!)
覚悟を決めて扉を開けると、にこやかな顔をしたユリが立っていた。
「お時間よろしいですか?」
「ああ」
どうせ用事があったところで、これから起こることが後回しにされるだけだ。
「では、鍛練場においでください。5分後です」
「わ、わかった」
ガチャリと扉が閉まると、レイスヴァールは大慌てで鍛錬用の服へ着替える。
鍛練場まで行くのに5分かかるのだ。
そしてスパイク付きのブーツを引っ提げて廊下を出来るだけ早く歩く。
(昔から変わらん。それどころかドンドン厳しくなる!)
外へ出る扉まで行くのが面倒になり、鍛練場が見える窓からひらりと飛び降りる。
ここは2階だが、身体強化の魔法が使えるレイスヴァールにはなんて事のない高さだ。
そうして指定場所までたどり着くと、先程までメイド服だった筈のユリは鍛錬服へ既に着替えて訓練用の刃先が潰された槍をついて待っていた。
(スタートは変わらんのになぜ早い?)
むしろ、ユリは自室へ戻って着替えてから出てくる分、自分の方が早い筈だ。
体格も若さも自分の方が優っているのに、いつまでたっても勝てない。
「時間内にいらしたことは褒めますが、ショートカットしましたね?」
どうやら窓から降りるのを見ていたらしい。
「虫が入りますので、閉めてから飛び降りるようにして下さい」
ショートカットを怒られるかと思ったら虫とは。拍子抜けしたレイスヴァールは謝る。
「すまん。次からは窓を閉める」
その言葉にユリは眉を上げた。
(しまった)
彼女からは冷気が漂ってくる。
”次は”という言い訳は最もユリが嫌う言葉だった。
「戦場では次は御座いません。瞬時に考え、行動をなさって下さい」
「分かった」
以前は更に言い訳をして逆に説教が長くなったものだ。レイスヴァールは素直に頷く。
「では、あまりレイスヴァール様を叱らないようにタムに言われましたので、素振り千回をお願いします」
「ぐ、分かった」
回数の多さに唸るが、直ぐに投げて渡された模造刀を振り始める。
素振りが百回に達したところで、無言で見ていたユリが口を開く。
「蜂蜜石の件ですが」
「!」
一瞬、ユリの目を見るが、直ぐに視線を正面へ戻して頷く。
「蜂蜜石がタムの胸元に埋まっているのを確認しました。石は頭だけ出ているのみ、鎖でつながっていた指輪は皮膚の表面に出ています」
「やはり石だけか…」
先程は薄暗かった為、あまり良く見えずに手で触ってしまったが、今考えれば執務室でキチンと説明すればタムは普通に見せてくれただろう。
ますます己の言動が悔やまれる。
「剣先が乱れてますよ」
(乱すようなことを言うくせに…)
とは口が裂けても言えない。
「ハロルド様はどうして蜂蜜石を贈ったのでしょう?」
ユリの言葉は少々怒気をはらんでいる。言葉に気を付けながらレイスヴァールは説明した。
「ハロは、タムをハニーベアだと考えている。小さな金の指輪を付けたのは、肌に埋まった蜂蜜石ではなく、ネックレスの方に人の目を向ける為だと話していた」
物語の中だけにいたハニーベアを確認する術は全くない。
だからハロは、”ハニーベアの胸元には蜂蜜石が埋まっている”という文章を、実践を持って確かめたのだと思うが。
「本人に、説明していなかったのは、良くなかったと思う」
「そうですね。タムはハニーベアもそうですが、子供でも知っているような常識を知りません。キチンとご説明があって、本人の承諾を経て成されるべきでした」
確かにそうだ。蜂蜜石だと気が付いた時に、外せばよかったと今は後悔している。
「ユリもタムがそうだと思うか」
「そうですね。天の庭でフェーラ様にお会いしたと話していましたし、金の小熊獣人なぞ見た事もありませんので、確定でよろしいでしょう」
「だろう?まさかハニーベアが顕現するとは」
喜色の声でレイスヴァールが言いかけた時、一層強まった冷気を感じて口を閉ざす。
また地雷を踏んだようだ。
「…まったく。ご自分たちが起こした行動について、今後どのような影響があるか、もう少し想像力を働かせてください」
まだ誰にも報告をしていないハニーベアについて、どういう影響があるというのだろう。
返答に困っていると、ユリは溜息をついた。
「ラングリー商会、スロール伯爵、男爵家の令嬢二人。騎士団の団長、神託を確認した神殿。屋敷の使用人の家族。…これらにはもう話は流れてしまっているでしょう」
言われて言葉に詰まる。
「例え言い聞かせたとして、人の口に鍵は掛けられません。…これからの問い合わせはブラウンが全て処理します。レイスヴァール様は、通常通りお過ごし下さい」
「タムの事はハニーベアだと言わないほうがいいのか?」
「いえ、グランスピリット家にはハニーベアが居る、でようございます。家名が彼女を護るでしょう」
「!」
護ると言われ、ようやくタムの身が危険に晒されることに思い至った。
「想定不足だった…すまない」
特にあの意地の悪いメイドからは、タムの性格とは正反対の、悪い噂が流れるとしか思えない。
「謝るのは、ハロルド様とレイスヴァール様のお二人からタムになさって下さい。…ですがあの子の事ですから、直ぐに許すと思います」
「そうだな。この世界の事を知らないのだから…」
レイスヴァールはその様子を思い浮かべて苦笑する。
自分が周囲にどのような影響を及ぼすか、知る由もない彼女は気にするな、と言うだろう。
「ですので、お二人が必ずタムを危険から守るように、ご注意下さい。ラングリー家とスロール伯爵家には既にブラウンが釘を刺しました」
「分かった。ありがとう」
しかし、男爵家は家を潰したとしても、タムの姿を知っている令嬢二人をこの世から消すことは流石に出来ない。
悪い噂はハロルドに手伝ってもらい、情報操作をするしかない。
「情報操作はある程度行いますが、下町から流したほうが良い場合もありましょう。そこはハロルド様やラングリー家にお任せしています」
「そうだな」
ハロルドは遊び歩いている風に見えるが、しっかりと情報を集めてくるし、拡散もする。
騎士団の中で物理の力は中の下の部類に入るが、魔法と戦略になると誰にも負けない。物理は強いが頭を使うほうがからっきしのレイスヴァールには頼れる相棒だった。
「この件でご質問がなければ、タムの生い立ちをお話し下さい」
「タムから聞けと言われたのか?」
「そうです」
確かに、タムから神語で直接話を聞けるレイスヴァールからユリに話をしたほうが早いだろう。
レイスヴァールは辺りを確認する。
「結界を張ってありますよ」
用意周到なユリに呆れつつ、素振りを続けながらレイスヴァールはタムの事を伝えた。
「異世界のニホンという国から、フェデリ様に無作為に搾取されて来たようだ」
ユリの顔が歪む。あの小僧、と聞こえた気がしたが聞こえないふりをして刀を振り下ろす。
(フェデリ様は母上の出身地の守護神だったか…)
自分よりも詳しいだろう、随分と厄介な神様のようだ。
「神力が足りず転移した場所は天の庭のすぐ横。落ちかけて縁を掴み、そこでフェーラ様に会い…金の果実を落ちる時に口へ放り込まれたらしい」
「フェデリ様は最悪ですが、女神様も人が悪い…」
レイスヴァールは仕方ない、と呟く。余程の事がない限り女神は世界に不干渉だ。
ゆえに、タムは法外な幸運を受け取ったとも言える。
「彼女、元は人だったそうだ」
「やはりそうでしたか。年齢をやたらと気にしますし、尻尾や耳がある事をすぐ忘れるようなので、おかしいとは思っていました」
合点がいったようでユリは頷いた。
「タムがいた世界は、知恵あるものは人しかいない世界。そこで…介護士という職についていたそうだ」
この世界では存在しない職業だ。
「似ている職業だと、看護士だろうな。ただ、治療は行わないそうだが…独り身や世話の必要な老人に部屋を提供し身の回りの世話をすると話していた」
食事を提供し、ボケないようにイベントを行ったり、運動をさせたり。体調が悪い時は病院へ行く手配をするという。
病院の説明を聞いた時は面食らった。こちらでは、医者が呼ばれて往診に行く。
「なるほど…随分と合理的な世界のようですね。納得できます」
タムは作業をする際、まるで時間に追われているかのようにいっぺんに作業しようとする。
かと言って仕上がりが雑にはならないので、いったいどういう生活をすればこんな丁寧な並列作業になるのか、とユリは思っていたのだ。
「それで…家業を手伝わせたら面白いな、と思う」
前を向きながらユリに伝える。
そろそろ汗が止まらなくなってきた。
「そうですわね。言葉をもう少し覚えれば、お役にたてるでしょう」
最もなことをユリは言う。レイスヴァールはタムと会話が出来るので失念していた。
「…言うのを忘れていたが、タムが話しているのは神語だ。だから皆には理解出来ない」
「まぁ…こぞ…いえ、フェデリ様のミスですわね。召喚された者が言葉に困るなど言語道断です…!」
小僧と言いかけたユリが訂正しながら言う。
この世界のために別世界から召喚された者は、連れてきた神の責務として必ず神力を与えられるが、それとは別に最低限のマナーとして姿をこの世界にまつわる氏族へ変え、不自由しない言語を持たせるのだ。
「今、あちらは…ロンド国は平和で召喚を行う状態に陥っておりません。フェデリ様は何をお考えか…」
王族が神に願い執り行う儀式ではなく、勝手に異世界から搾取してきた上に、神力不足で空中に放り投げるなど、前代未聞なのだ。
「そこはまだ調査中だ。おそらく神力不足に陥った筈のフェデリ様より、フェーラ様に聞くほうが手っ取り早いかもしれないが…。それで、神力不足のタムはフェーラ様より追加で神力を授かり、姿を変えられたのだろう」
そして運良く近くにいた神竜の血を引くマグリーを引き寄せて助けさせたのだ。
「まったく…後程、ロンド国にも問い合わせしましょう。して、タムに何を手伝わせます?」
少し期待の入り混じった声。
「おそらく同じ考えだと思うが、母上を任せてみようかと思う」
少し事情があり、部屋に閉じこもってしまったレイスヴァールの母、ジョセフィーヌの話し相手に。
「そうですわね。二人欠員が出ましたので、私とタムでちょうどいいですわね」
自分でクビにしておきながらしれっと言う。
とんでもない性格のメイドだったので、さらなる問題が起こる前にクビになってよかったが。
「そうだ。そろそろユリも気になっていただろう。母上は頑固だが寂しがりやだ。頃合いかもしれん」
意地を張って既に半年。そろそろ心も落ち着いた頃だろう。
「分かりました。私は本日から、タムは明日に引き合わせましょう」
「ああ、頼む」
今までの経緯から簡単にはいかないだろうが、何故かタムの笑顔を思い出すとうまく行く気がした。
「しかし、ハニーベアか…」
「困った人のところに現れる、でしたね」
絵本では、ハニーベアが旅をする先々で困った人に出会い優しい心と力で解決する。
「蜂蜜石は…なんのためにあるのでしょうね」
どの絵本も、表紙のハニーベアは二足歩行だが完全な子熊の姿で、胸元に丸い蜂蜜石が埋まっているのが普通だ。
ラングリー商会の扱うぬいぐるみも胸元に蜂蜜石をあしらっている。
「分からん。特に使うシーンは無かったように思うが…」
小さい頃に何度も読んだ本だ。内容は覚えているが、蜂蜜石の”魔力を貯める”という簡単な説明だけで、使う事はなくハニーベアの特徴として捉えられている。
「まぁ、そのうちわかるだろう。ウチには本物がいるんだ」
「そうですわね。何かあれば内密に記録を残すようにしましょう」
「ああ、頼む」
一応返事はしたが、奇跡のような出来事を顕現しそうな雰囲気はタムにはない。
出来れば、そういう力は無いほうがいいともレイスヴァールは思った。
(そうでなければ、神殿が差し出せとか言いかねないからな…)
ハニーベアは神ではないので神殿とは関係はないが、女神に力を直接もらったと聞いたら神使だの理由をつけて攫いかねない。
「後日、私とタムとで街にお使いに行きますので、ご承知置き下さい」
「!?…どうした急に。危険ではないのか」
ユリは呆れた顔で説明する。
「グランスピリット家が伝説のハニーベアを独占して閉じ込めているなどと噂を立てられても困りますから。それに、早めに街に慣らしておけば…タムを知って貰えば、万が一攫われたとしても、捜索で街の皆も協力しますでしょう」
「な、なるほど…」
ユリは先の先まで見据えているようだ。
「分かった、頼む」
護衛はユリがいれば十分すぎるほどだ。
「かしこまりました。では、残り500本です」
「うぐっ。分かった…」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます