第7話 共鳴

『レイ!!』

 タムは手を伸ばして転倒しかけているレイスヴァールの腕を取り、思い切り引っ張り上げる。

「うわっっ」

『わっ!?』

 全力を出したのがいけなかった。

 引っ張りあげすぎてレイスヴァールがタムにぶつかり、その衝撃でタムが床に尻もちを付いた。

 そのままレイスヴァールが彼女に降ってくる。

「!!」

(やばっ!!頭だけは守らないと)

 とっさに彼の頭を胸元に抱え込み、そのままドスンと床に倒れ込む。

「んーっ!むーっ!」

 柔らかいものに顔を埋める形になってしまったレイスヴァールは、慌てて抱え込んでいるタムの腕を叩く。

 力強い腕が解けると、タムの両脇に膝をついて顔を覗き込む。

「大丈夫か、タム」

 ちょっと驚いた顔のタムは、へにゃり、と笑った。

「!」

 心臓がドキリと跳ねる。

『ダイジョブです。この体、かなり頑丈みたいなんで。レイは怪我ありませんか?』

 タムは自分よりも、レイスヴァールのことを心配している。

「ない。頭も打たずに助かった」

『良かったです。熊の力って強いんですね…気をつけます…』

 あそこまで瞬時に引き寄せられるとは。

 今度、マーサに聞いて力加減を覚えなければと思う。

 ホッとした様子のタムをの上からどこうとして、レイスヴァールは気がつく。

「!…すまん、服が…」

 ブラウスの胸元が少しはだけてしまっている。ぶつかった衝撃でボタンがとれてしまったようだ。

 見てはいけないと思うのに、ふかふかしてそうな膨らみをについ目がいってしまう。ハロの事をとやかく言えない。

 しかも彼女は全く動じてないように見えて、自分だけドキドキしている気がする。

『大丈夫ですよ。後でユリに裁縫道具を借りて縫います』

 昔から胸のせいでボタンが弾け飛ぶ事はよくあるのだ。

 ボタン付けくらいはできるが、ユリに服をとりあげられてしまうのが先だろうな、とタムは苦笑した。

「…」

 急に黙ったレイスヴァールに違和感を覚えて、タムが見上げる。

『どうしました?』

 レイスヴァールの低い声が上から降ってくる。

「これは…共鳴、だ。神力が共鳴している」

『共鳴??』

 目の前にあるレイスヴァールの瞳が、特に金色の部分がチカッと光っている。

『レイ、目が』

「ああ。君の目も光っている」

 まさか、と思いつつレイスヴァールはタムの胸元に手を伸ばす。

『れ、レイ?』

 焦って身をかわそうとするが、狭い上にレイスヴァールの足が左右にあるので回転出来ない。

 そうこうしてる内に、彼の手が鎖骨あたりを触わり始めた。

『ひぇっ』

 タムは情けない声を上げる。生まれてこの方、医者以外の異性にそんなところを触られたことがない。

(あわわわわわわわ…)

 優しく触れる感触に困り果てたタムが手で顔を覆った時、驚いたレイスヴァールの声と凄まじく厳しい声が、重なった。

「タム、蜂蜜石が…」

「レイスヴァール様?」

 カツ、と音がして光を背にした黒い影が迫る。

「何をなさっておいでです?」

 執務室からの光を遮ったのは、ユリだった。

(な、なんかさっきより冷たいオーラが…)

 凄まじい覇気を感じてタムは顔を覆っていた手を外す。光を背にしたユリの顔が見えない。

「ユリ、タムの…くっっ!!」

 ユリが何かを振り下ろすのと、レイスヴァールが上半身を翻し腕を盾にして受け止めるのは同時だった。

(な、なに今の??)

 タムには二人の動きが全く見えなかったが、ユリがとてつもなく怒っているのは分かった。

 午前中の出来事の比ではない。部屋の温度が冷えている感じさえする。

 振り下ろしたものを上げ、傍らに立てかけると低い声で言い放つ。

「レイスヴァール様、早く婚約者をとは言いましたが、既成事実を作れとは言っておりませんよ?」

「きっ!?…ち、違う!!」

(ほぇぇぇぇぇぇ!?)

 レイスヴァールは焦って否定して、タムは思ってもいない言葉に混乱する。

「俺が転んだ所を助けてもらっ」

 ヒュッと音を立てて、棒がレイスヴァールの頬近くをかすめた。

「ではなぜ体位が逆なのです?しかも、先程の手はなんです。手は」

 言い終わる前に最もな事を指摘されて、レイスヴァールはハッとする。

 どうやら瞳が共鳴したことに夢中で、女性の体に、しかも胸元を触っていたことを意識していなかったようだ。

「いや、その、触れていたことは詫びるが、理由があっ」

 スッと目を細めたユリは突き出した棒を引っ込める。

「ではその理由とやらをお聞きしましょうか」

(ほうきってあんな音するの…?)

 ユリが手にしていたのは、屋敷で使われている普通のほうきだ。

 理由次第では、槍のように見えるほうきがもう一度振り下ろされるだろう。

(うーん…とりあえずどいてくれないかな…)

 しかし一触即発の二人は、お互いの出方を見ているのか一歩も動かない。これは、自分が間に入ったほうがいいだろうとタムは判断した。

「レイ、起きる」

 日本語ではなくこちらの言葉で伝えて、ぽんと彼の腕を叩く。

「あ、ああ!そうだな、すまない」

 今日何度目かの謝罪をしてレイスヴァールは、はだけたブラウスを元に戻してから脇に寄り立ち上がる。

 そして手を差し出してくれた。

「お待ち下さい。レイスヴァール様、少し退室を」

「え?…!わ、分かった。タム、後で」

 タムの様子を見て、あ、という顔をして顔を背けたレイスヴァールは慌てて部屋を出る。

「?」

 その様子にタムは自分の様子を改めて確認すると、サスペンダーが片方外れてズボンが少し下がり、おへそとパンツが少し見えてしまっていることに気が付いた。

(ありゃ…レイがさらに疑われてしまう…)

 よいしょ、とズボンを上げてブラウスをしまいサスペンダーを肩に掛け直して立上がる。

「…その様子だと、押し倒された訳ではなさそうですね。少し取り乱しました」

 アレで少しなんだ、と思いつつタムは苦笑しながら言った。

「レイ、転びました。私が、ええと…引き上げました。慌てました、から、力が強い、ぶつかって私が転んだ」

 身振り手振りで説明すると、分かってくれたようだ。

「そのようですね。大きな物音がしましたので」

 もしかしたらタムを心配して、外で待機していたのかもしれない。

「力については、マーサに話して力加減を教えてもらいましょう。それより、レイスヴァール様の仰っていた共鳴とは?」

 なぜレイスヴァールの手がそこにあったのか、それはタムには分からないので首を傾げる。

 彼女はユリに見てもらおうと、ボタンの飛んだブラウスを開く。

「ここ、レイ見てた」

 自分では首を下げても全く見えない。

 すると、ユリの目が大きく見開かれた。

「これは…そうでしたか。これに、レイスヴァール様の神眼が反応したのですね」

「しんがん??…何か、あるの?」

 ユリは大きく頷く。

「神眼とは、神の目と書きます。それから、タムの鎖骨の少し下あたりに、ハロルド様の指輪があります」

「指輪???」

 どういう意味だろう、タムは再び尋ねる。

「指輪には蜂蜜石という宝石がついていましたね?あの石がタムの体の中に半分埋まり、小さな指輪の部分が出ている状態です。探しても見つからないはずですね」

「う、埋まる???」

「そのようです。ハロルド様がこれをあなたに贈った理由が分かりました」

 信じられないことだが、本当にそうなっているらしい。ユリはハロルドに怒っているようだ。

 そして、レイスヴァールにも。

「…しかし、それはそれ、これはこれです。成人男性が未婚女性の胸元を触るなど」

 思い出したのか、握っていたほうきの柄がバキリと割れた。

(ひぇっ!?)

「言語道断です。後で、みっちり鍛錬です」

 そこは説教じゃないのか、とタムは思ったが、怖いオーラに声をかける事が出来なかった。

 やはり、ユリは普通のメイドではないらしい。

 彼女は瞬時に雰囲気を変えてニコリと笑いタムを振り返った。

「さ、タムは湯浴みをして着替えましょう。レイスヴァール様には伝えておきますので」

 どうやら直ぐに会わせる気はないようだ。

「あの、少し…レイを、怒らない、下さい」

 言葉が分かったのは嬉しかったが、それ以上に、自分の話を聞いてくれて今の姿も見せてくれた。

 獣人の事も教えてくれてお菓子もたくさんくれたのだ。アレは事故として処理したい。

 察したのか、ユリは笑いながら息をつく。

「あまり怒らないで下さい、ですね。分かりました。素振り1000本にしておきましょう」

 どう考えても多そうだと思ったが、タムは頷いた。

「レイの話を、聞いて下さい」

「レイスヴァール様に、何かを聞けばよいのですか?」

「私のことです」

「…分かりました。何か分かったのですね。聞いておきます。さ、服は用意しておきますので本館の地下に行って下さい」

 この屋敷の地下には温泉が湧き出ており、男女ともにいつでも入れる大浴場があるのだ。

「はい」

 彼女はペコリとお辞儀をして、ブラウスを押さえながら退室する。

 ユリは折れたほうきを脇に抱えながら、物置のドアを閉めた。

 執務室にレイスヴァールはいない。おそらく、頭を冷やしに自室に戻ったのだろう。

 ユリはフッと息を吐いた。

「…驚いた。あの女性にも近寄りたがらない坊っちゃんが、ねぇ」

 レイスヴァールは家柄も容姿も恵まれているが、ハロルドと異なり異性とあまり話したがらない。夜会などではいつも壁やバルコニーに逃げていると聞くし、最近では多忙を理由に出席もしていない。

 なぜそうなったかは本人も話したがらないし、ユリ自身にも記憶にないが、その堅物がタムを呼んだ時は、珍しいと思ったが嬉しかったのだ。

 マーサにタムの好物を頼んでいたので、おそらくは、午前中に起きた出来事の謝罪だろう。

 いつもならブラウンや自分に任せるのに、己のせいであんな目に合わせて流石に申し訳ないと思ったようだ。

(お詫びが食べ物とは…女性の扱いが分からないレイスヴァール様らしいですけどね)

 それにタムはアクセサリーよりお菓子のほうが嬉しいだろう。

 言葉に難はあるが、お互いに真面目で優しい気質があるので、ゆっくりと話が出来るだろうと思った。

 さり気なく通りかかった時に、酷い物音がして慌てて中に入った所、あの状況を見てしまい、つい頭に血が上ってしまった。

(それにしても、タムはいつも通り動じませんね…)

 あんな場面でも手で頬を覆っていただけ。困った時にタムがよくする動きだ。

 ハロルドの時は投げ飛ばしたが、レイスヴァールにはそうしなかった。

(…あのメイド達のような女に比べれば…)

 辺境だけあって、付近には妙齢の女性…しかも国の守護の要となる領地に嫁いできてくれるような胆力を持った女性が全く居ない。群がってくるのは、権力や財産を目当てに来た女ばかり。最近は手口も巧妙になってきた。

(タムはとても強い力があるようです。鍛えるのも楽しそうですね)

 そして彼女には不思議な魅力がある。言葉を話せるように慣れば、きっと当主にも気に入られるだろう。

 もちろん、ユリの本来の主にも。

 彼女は淡い期待にふふ、と微笑んだ。

「さて、お洋服を用意しなければ。あの子の魅惑の胸元はどうしようかしら…」

 あの様子ではハロルドに続きレイスヴァールも陥落したとユリは確信した。

 今度、屋敷付きの裁縫職人に相談しようと思いつく。

(今日のところはタムに服を用意して、その後にレイスヴァール様に鍛錬を行ってもらいながら、タムのことを聞きましょうか)

 そう決めて、残されたティーカップなどを片付けて給仕ワゴンを押し、執務室を出ていった。

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